1973年7月3日午後3時ごろ、熊本県菊池郡菊陽町に住む猪原修くん(当時5歳) が行方不明になった。母親(当時42歳) が出産間近のため隣町である大津町の病院に入院しており、修くんは寿司店勤務の父親 (当時42歳)と一緒に母親を見舞うため病院に来ていたが、父親が目を離したすきに行方が分からなくなった。病院近くの用水路や川、山林などを探したが手がかりはなかった。

行方不明になってから2年が経過した1975年6月16日午前10時ごろ、両親のもとに修くんを車ではね遺体を山中に遺棄したという内容の手紙が届いた。

差出人の名前や、遺体を埋めた詳細な場所は書いてなかった。消印のあった郵便局の周辺の人物の可能性もあるとみて、免許交付時期などから手紙の差出人を調べたが、結局正体をつかむことはできなかった。



身代金目当ての誘拐の可能性がある。


お金に困っていた犯人はなんとかしなければと焦っていた。


退屈して1人でフラフラ歩いていた修くんを見て、誘拐してやろうと思いつく。


身なりが綺麗だったため、裕福な家の子どもだと確信した。


言葉巧みに誘い、連れ去ることに成功したものの

計画性がなかったため、犯人はその後どうすればいいのか分からなかった。


修くんの家はすぐに特定出来たが、その時にはもう警察が動き出していたため身動きが取れず


そもそも、身代金要求などそんなことする度胸は持ち合わせていなかった。


我に返り、浅はかな行動をした自分を恨んだ。


解放することも考えたが、修くんに顔を見られている。


こんなことで人生を棒に振りたくない。


犯人は仕方なく修くんに手をかけ、遺体を隠した。