みっちゃん's ブログ(`・ω・´)

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平凡な主婦&仕事でのあれこれを書いています。

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2021.11.30(火)午前10時42分
母が亡くなりました。98歳でした。

コロナ禍で会えない日々が続いていましたが、10月初旬にリモート面会をしたばかりでした。

一つ前のブログの写真に比べて、表情もなくて歳をとってカメラ越しの再会もどこをみたらいいんだろう?って顔をしていました

10月16日に施設から電話が来て、左手が脱力して動かないので脳疾患だと思われます。
病院にすぐ行きますので、急いで来てくださいと。。

すぐに駆けつけると思ったより顔色も良くて、目も私達を見ている様子でしたが口がきけませんでした。
沢山の検査後、医師から肺炎と膀胱炎、そして右脳に梗塞が見つかりましたと言われてすぐに入院となりました。

コロナ禍で病室にも行く事も許されず、やはり病院でもリモート面会でした。
しかし先生からも頻繁に電話を頂いたり、時間を合わせて丁寧に説明をしてもらったりと、有り難かったです。

肺炎や膀胱炎は暫くして採血結果が良くなったけれど、脳梗塞を発症していたので口もきけなくなり、目も殆ど閉じたまま、食べる事も出来なくなりました。
先生からは1、2週間の命でしょうと言われました。

高齢なので覚悟はできていたけれど、、
どうしよう?この短い時間の中で何をしたら良いのだろうと戸惑いましたが、コロナ前に施設に面会に行くと、家に連れて帰ってね!山奥だけどとても気持ちが良いところなのよと言っていたのを思い出し、亡くなってしまっても、葬儀前に空き家になっている実家に連れて帰ろうと思いました。

午前中から実家に向かい掃除をしたり電気屋さん、ガス屋さんなどに来てもらってみんなで泊まれるようにして、帰りは母のとこに必ず面会に行きそんな生活が、なんと45日間も続きました、

医師から1、2週間の命でしょうと言われたけれど、母は何回も奇跡を起こして見せました。

母は朝の連ドラの安子さんみたいな、苦労をしていました。
兵隊さんと結婚して何ヶ月も一緒に居られなかったけれど、姉を身籠もり、、
姉が生まれてくる3日前に兵隊さんの戦死が告げられて、、
1人で姉を育てて、、、
大変な苦労をした人生だったと思います。
その頑張りを人生の最期の死に際まで見せて来れました。

食べれなくなった母がゼリーを少しずつ食べるようになりました。
スプーンでゼリーをすくって口のとこに持って行くと、パクッと口を開けてモグモグとちゃんとして、最初は嚥下が悪かったけれど段々むせないで飲み込めるようになりました。

先生や看護師さんも、○子さんの身体の中で何が起こっているのかしら?看取りの時間なのに、口を開けてパクッとまだ食べたいと思っているのでしょうね!こうなると教科書通りでは無くなって来ましたと驚いていました。

姉の声や叔母の声を電話で聞かせてあげると、少し目を開けてどこどこにいるの?みたいに探そうとしたり、目も開けられない日には私達が行って声をかけると涙が出たり、、

先生が父と妹と私だけ、感染症対策をしっかりして残る数日間、短時間ですが会わせてくれました。
動く右手を繋いだり摩ったりしてあげると、必ず握り返してくるのです。
目も開かず口もきけず、殆どうつらうつらと眠っているような状態でもそういう時間がとても嬉しくて、、、

母が45日間という時間を、残る私達に心と身体の準備期間だよって与えてくれたような気持ちがしました。

葬儀でも困らないように、そして母を実家に連れ帰ろうと準備をしたり、明日には会えないかもしれないと思って、疲れていても後悔しないように母に会いに行ったり、電話で病院に問い合わせ、状態を聞いたりと、、
病院の職員さんも、嫌な顔をしないでアドバイスや私達に寄り添うように優しい言葉をかけて頂きとても安心したり勇気づけられました。

お母さん、最期の最後まで強い死に際を見せてくれてありがとう

葬儀でも孫たちも、祖母のような強い人になりたいと思いますと弔辞で言っていました。

1ヶ月たった今、なんだか母ちゃんは死なない人だと思うよね!施設に行ったら笑顔で一生懸命に車椅子をこいで現れそうだし。。
コロナ禍で会えない時間が長かったけれど、今では何時でも側にいてくれるような気持ちでいます。

神葬祭でしたので、神主さんが神となり家を守ってくれていますと言って頂きました。

私たちを何時でも見守っていてね。
そしてお疲れ様でした。ご先祖様と安らかに眠ってくださいね。
ありがとうお母ちゃん。。。