僕の好きな歌でBiSHの「JAM」という曲がある。


BiSHと言えば「楽器を持たないパンクバンド」のコピーを持ち、初めは狭いライブハウスから所謂「地下アイドル」としてスタートした。
それこそ、事務所含めての上昇志向というか反骨精神というか、とにかく「売れてやろう」という意気込みは凄かったはずだ。実際そうじゃないと上昇するどころか、生き残れない世界。


BiSHの作曲含めサウンドプロデュースのほとんどは「スクランブルズ」の松隈ケンタ氏が手掛けており、作詞はプロデューサー兼事務所社長の渡辺淳之介氏によるものが多い。メンバーによる作詞ものもあり、そのほとんどが「もっと上へ」と自分を奮い立たせるものが多い。

そりゃそうだ。そうじゃなきゃ絶対にやってけない世界。サラリーマン風情にも一層風当たりの厳しい世間だけれど、彼女たちに比べりゃ充分安定志向(だと思う)。浮き沈みの激しい明日無き世界。「夢を追う」彼女たちにとっては毎日が戦い。






そんなBiSHにおいて「JAM」という曲の存在そのものが面白い。曲調はBiSHには珍しいミディアムテンポ。アレンジに関してもエレキギターが前面に押し出された曲が彼女たちの曲のほとんどを占める中で、シンセサイザーの鍵盤の音色が印象に残る。

そこに乗っかる歌詞。作詞はモモコグミカンパニー。自筆本を出版するなど、言葉での表現については随一の才能を持つメンバー。

曲中で歌われる歌詞には「一番なんていらないから 君にあげよう」「誰かの上立たなくてもさ 輝けるはずだから」「がんばらなくていいよ 重い荷物持ってくれた」と、それまでのBiSHとは一線を画すような言葉が並ぶ。

印象的なのは「一番なんていらない」「がんばらなくていいよ」の箇所。名もない存在から這い上がろうとしてきた彼女たちが歌うにはあまりにも不自然すぎやしないか。ましてやアイドルソングとはモーニング娘。やAKB48を筆頭に「これぞJ-POP」お得意の「自己啓発ソング」の王道。

けれど曲を繰り返し聴くうちに、そんな彼女たちが歌う「がんばらなくていいよ」だからこそ、他の誰が歌うよりもより一層の意味を持つのだと気付く。歌い手によってこうも聴こえ方が違う。言葉とは本当に面白いと感じさせてくれる。






モモコグミカンパニーがBiSHに入った経緯がそもそもちょっと変わってるなぁって思う。彼女の著書「目を合わせるということ」に当時BiSHのオーディションを受けた際の動機などが綴られている。そこから受けた印象は、オーディションを受けた動機が当事者的な意識よりもアイドルへの興味。どことなく俯瞰的ということ(それも彼女らしい)。

周りはたぶん、昔からのアイドル志望や自分を表現するために歌やダンスに磨きを掛けてきた目の色の違う娘たちばかりだったに違いない。その中で彼女を採用した渡辺社長もとても面白いなぁと思うけれど。本に書かれたそのオーディションにおいて、お互いが感じていた印象もまた面白い(笑)


そんな彼女はアルバム発売時のインタビューでこの曲について「自分の心の内をサラッと表現できた」と語っており(https://okmusic.jp/news/272577)、本当に無理なく等身大の自分自身が表せたものだと分かる。
「嘘がないこと」。それは作詞においてとても大切な要素であるが、「アイドル」という「アーティスト」とはまた違った立ち位置からは中々に勇気の要ることだと思う。その視点からすると、BiSHは既に「アーティスト」の肩書きの方が個人的にはしっくりくる。


文章での表現に優れていたり言葉を生業とする人には、感性が豊かで優しい人が多い。反面思いやりが強い分繊細で控え目だったりもする。きっと彼女にもそんな一面があるからこその歌詞なのだと思う。ただでさえ矢面に立つ職業。普通に生きていても強い刺激に晒されることがある。内面を打ち明けることはとても覚悟が必要なこと。


同じ言葉でも、大壇場からベテランミュージシャンが歌うそれとはまた違う意味を持って聞こえる「がんばらなくていいよ」。だからこそ、時には等身大の彼女たちに伝えたい。それと同じ言葉を僕たちに届けてくれたように。