皆様、いつもありがとうございます。


お、このところ、連投。失礼します。

病院での不満?を書いたため、

皆様にご心配いただいてありがとうございました^-^。

その実、「病院に期待しなくなった」ので、少し上がってきているような

気がしているのですが、どうも書き方が暗くなってしまいました。

書いているほど、

病院には期待してないので~ダイジョウブです。^-^。


さて。


私は、ずっと病気になってから

元の暮らしに戻りたい。

戻らなければ(義務的気持ち)。

とずっと思っていました。

ものすごい余裕がなく、時間に追われ、イライラしていた生活でしたが

それでもずっと

そう思っていました。いろいろなしがらみや義務を捨てることができませんでした。


病気になってからも、それは続きます。

けれども、頑張ればがんばるほど痛みは増して悪化していきました。

いろいろな治療にかたっぱしから手を出しましたが、どんどん悪化。

とうとう動けなくなってしまいました。


そして、私にとって、それは、もうあきらめるしかない、

そんな状況になってしまいました。


話はずれますが、

私は何年も前から、「臓器提供カード」を持っていて

それは「心肺停止後に臓器を提供する」、に○をつけてました。

このころ、それを書き直して、「脳死になったら臓器を提供する」に変更しました。

そして、そうなる日がそう遠くないようなそんな妄想に走ってました。

(今から考えると、命にかかわらない病気で

自分の足で立てない人間が、臓器提供するような状況に陥ることはない、という笑い話)。

もう、自分の足で立てるような日は来ない、そう思いつめました。


ところが、そういう状態を受容して、時間がたつと、

少し変化が現れました。

なぜか、私はわずかに上がることができたのです。

薬が少し効いたこともあるかもしれませんし、

あきらめの境地が、こころに変化をもたらしたのかもしれません。


アメリカの精神科医、キュブラー・ロスが書いた『死ぬ瞬間』には、

命に限りがあるとわかった自分をうけいれるまで

1  否定

2  怒り

3  取引

4  抑うつ

5  受容

のこころの段階を踏む、と書かれています。


私は、命に別状がある病気ではなかった(現段階)のですが、

何年も1から4まで行ったり来たりして、ずっとこころが安定せず

不安を自分で増幅させて

そのままずっと前に進めなかった気がします。


もちろん、今も不安だらけです。

そもそもこの状態が続けば食べていけるのか、という不安は大きいものです。


しかし、今となっては「受容」が自分を大きく変えたきっかけになったと

認識しています。

(そりゃ、昔と比べると、やれないことが増えてかなしい思いはたくさんありますが、

年を取ると、できないことが増えてくるのは当たり前)。


それに、

今回のことがなければ、

いつか、もっと大きなことが起きていたかもしれません。


元には戻れなくても、去年よりずっと体が動く自分がいる。

トイレに行けるし、ご飯も作って食べられる。

掃除機を使えるようになった。

すごいことやん。

それでいいやん。

来年のことどころか、明日のこともわからんけど、

それって、元気でもおんなじだし。

人生、災難がない人はいないからね~。