皆様、いつもありがとうございます。


病気になってからずっと「病名」がほしかったです。

これ、ほんとほしかったなー。昨年、書いたものは、やっぱりクライですね~。

http://ameblo.jp/cattact2011/entry-10932058465.html


でも、今は「ほしかった」と過去形です。


それは、上がっていることが大きいです。

いや、正確にいえば、できることがこんなにある、こんなに増えてきた、と

考えるようになってきたら、「もう病名なんて、どうでもええわ!」と

思うようになっています。


どうして、あーんなに病名がほしかったのか。


フツーに考えて、

どんどん動けなくなっていて、最後には自力トイレも行けなくなるなんて、

どう考えても、


「重大な病があるに決まっている!!」


という強い思い込みです。


今から考えると、ひょっとして、それは自分の脳が作り出した虚像で

身体表現性疼痛と言われても、仕方がないのですが、

天井だけを見ていた毎日をみると


「うーん、近いうちに命終えるかも。もうダメだ。ドクハラひどいし、

医者はわかってくれないし、」とモンモンと考えておりました。


明日が来る幸せを感じる今となっては笑い話ですが、

毎日、遺言状を書き直していました(って、財産ないから、何をどう処分して~とかいう程度)。


今は、逆に病名がなくてよかったと思っています。

今までもらった病名をそのまま信じずによかったと思っています。


そこにカテゴライズされて、「自分は病気なの!!」と自分自身を憐れまなくて済むから。

自分は病気なんだ~、と言い訳せずに済むから。

どの診断基準にも当てはまらないことで、治る可能性が高い、と思えるから。


病名は、診断基準が変われば、当当てはまるようになってしまいます。


たとえば、高血圧の基準もどんどん引き下げられ、

過去には病気ではなかった人が、今やこの生活習慣病という名称をもらうようになってきてます。


そういった医療の側の論理に、私が無理に取り込まれる必要はない。

そして、疼痛に関しては、病名があってもなくても用いる薬は一緒。


もう、病名にはこだわらない。


そう思うことで、よくなっている自分を実感していきたいです。