私が病名にナットクしないワケは、以前書きました。
http://ameblo.jp/cattact2011/entry-10932058465.html
しかし、さらにそれからもずっと、「なんでナットクできないんだろー」と日々考えています。
どれか一つの病名を私が信じさえすれば、
そして、その病名をつけたドクターを信頼さえすれば
安心感が生まれ、よくなる可能性はあるのかもしれません。
皆さんは、自分についた病名にナットクされているのでしょうか。
ぜひともお聞きしてみたいところではあります。
それで、さらに考えたところ、ある結論が出ました。
結局、ナットクできないのは・・・。
私が、日常生活をほとんど横になったまま過ごしているからなのです。
これは、痛みが強いからなのですが、
やはり、どこかに何かの原因があると思わざるをえない思考に陥ってしまいます。
確かに、昨年、一昨年と今頃寝たきりオムツの生活でした。
この頃と比べると、
今年は、運よく?1時間から長ければ2時間近く
体を起こしていられます。
7月もあと少し。
なんとなくこの月に鬼門を感じているので、
寝たきりにならないよう、最善の注意を払っています。
しかし、一日、2時間以上からだを起こして何かをする、たとえば
新聞を読む、テレビを見たりすることは無理です。
調理もパンにチーズをはさむ、野菜をさっと洗って皮をむかずにそのまま火にかけるという
簡単なもので、ほとんど名前のついたまともな何かを作るというレベルではありません。
病院の診察も、タクシーで横になって一人で行っていますが、
1時間以上待たされると、
実はトイレ(身障者用の広めのトイレです)にいって、
もってきたシートを床に敷いて5分くらい横になっています(汗)。
一度、ベッドを貸してほしいといったら「空きがない」といわれてしまったので(こんな病院も初めてですが)。
もし、私が働けるレベルーそこまでいかなくても
最低でも一日のうち、半日くらいからだを起こしていられれば
病名に固執しない、もう病名はいらない、と思うような気がします。
日常生活ができていれば、痛かろうが、外食もできて、ショッピングもできて
それなりに楽しいこともあるでしょうし。
また、病名をつけたどの医師も
「しいていうならば、、」と病名を言い渡す際に
前置きがあります。医師も分類できないけれど、保険適用上、無理やりつけているのでしょう。
これらのために、
私には、どうしても原因追求が足りないのではないか、という思いがあります。
白血球の型や、脳内セロトニン量、その他まだまだ受けてない検査をすれば
何か異常が見つかり、病名がはっきりするような気がしてならないのです。
もし、どこかに異常が見つかれば、
対処不能な病であっても、私はすっきりするのだろうか。
ぐるぐると、また、同じところに戻って考える日々です。