ときどき、患者さんとメールをします。ときには、電話で話すこともあります。
病院に行けば、私と同じような病で通院している患者さん同士の話を
耳にすることもあります。
その際、ついはまってしまいがちなのが・・・。
「自分のほうがずっと大変!!!」という一種の”病気自慢”。
病気自慢は、とどまるところを知りません。
普段、これには陥らないように、十分、気をつけている私です。
しかし、
「今日はここが痛い、ゆうべはこんなストレスを夫から受けた。
自分はこんなに大変だけど、がんばって夕食の支度をした」
と一方的に聞かされ(話され)ると、
つい、「私も・・・」と負けずに
病気自慢をしてしまうのです。気がつくと、自分は世界で一番不幸、という結論まで
もっていってしまっています(われながらあきれ)。
誰しも弱音を吐いてしまうのは、よくわかります。
私も、つい、痛い、痛いといってしまいます。
受け入れてもらえる人がいる場合は、どんどん言っていいと思います。
ただ、それが患者同士の自慢になっては
何も進まないと思うのです。
以前、次のようなことを目にしました。
病院でそばにいた患者さん(同じく原因不明の痛みのようです)の話です。
待合で写っていたテレビの女優さんがガンを公表したのをみて
「自分のほうが、ずっと大変!あなたは、テレビ局まで来てるじゃないの!
手術すれば完治する可能性がずっと高いじゃない!
痛いのは誰もわかってくれない!治療方法すら、確立していないのよ!」とぶつぶつと言っていました。
しかし、本当にそうでしょうか。
確かに、痛みは誰にもわかってもらえません。
つらく、耐えるしかありません。死にたいほどつらい痛みの日もあります。
ただ、この痛みは今のところ、命にはかかわりません。
しかし、ガンは極端なことをいえば
「明日、生きているかどうか」に直結します。
死の恐怖が常にあるーー。これは、想像につくしがたいものではないでしょうか。
そして、本当は、どっちがつらい、とか、私のほうが不幸、とか
比べるのは難しいのではないでしょうか。
みんな、それぞれに痛みや苦しさやつらさと戦っている。
もちろん、ときどき、「自分が一番不幸」という意識に陥ってしまいがちなのですが、
そんなときは、
自分だけが特別ではない、自分だけが不幸ではない、と意識を変えるように努力したいと
思います。なかなかそういう思考ができないからこそ、痛みが襲ってくるたび、思考を変えようとする日々です。