光と影の中で~自然系のブログ~

光と影の中で~自然系のブログ~

4歳の娘の子育ての中で日々沢山の気づきを得ています。
娘は私にとって、私の人生の点と点を線で繋いでくれる存在です。
このブログでは、娘や私、私の言葉を必要としている人に向け、私の内面を綴って行きます。

私には現在4歳の娘がいます。
子育てが辛くて悶々とした日々を最近まで過ごして来ました。
それは自分自身で牢獄を作って、そこに自ら入り込んでいるような状態でした。
誰かに母親としての私の駄目なところを指摘される恐怖が一番大きかったように思います。

でも、後に自分が自分を否定していた事に気づき、そこから私から見える世界がどんどん変化して行ったのです。


それは、ある時



「変わりたい!」


と強く思い、行動を起こした事がきっかけです。

そして、様々な出会いがありました。


自分を変えようと思う前には、子供を変えようと思っていましたが、そんなことをしようとする必要はないと今は思うようになりました。

そのままでいいのですから。

光も影の両方があって世界が成り立っているように
全ては相反する性質のグラデーションの中にあります。

そして、

どちらがいいとか悪いとか
どちらも悪くもないとか

それを決めるのは

私の自由であり、

あなたの自由です。

誰かの決めた枠組みの中にいるのも、

そこから出るのも自分の選択です。


今でも子育ての中で、些細な事に悶々とする事も多々あります。

でも

悶々としてもいいし、

その中で気づく事があります。

それは私から私への大切な贈り物でもあると思うのです。

私は、赤ちゃんはこの世界の事を体験したくて生まれたくてしょうがない!と思って生まれて来ているのだと思うのです。

この世界を体験したくてウズウズしていると思うのです。

だからどんな体験も自分に対するギフトなんだと
私は思うのです。
Amebaでブログを始めよう!
ご無沙汰しております。

今回は、アメリカ生活近況報告という事で。

1月から近所のアダルトスクールのESLに通っています。
ESLとは、English as a Second Languageの略で、英語がネイティブではない方々を対象とした基本的に無料の講座です。
月~木の午前中3時間の授業は結構ハードでして、宿題するので精一杯な私は予習していない不安から、授業中「どうか当てないで!」と毎回心の中で叫ぶ毎日でございます(笑)

ESLを受ける動機は、やっぱりアメリカで駐在生活をする上で、一度はESLを体験してみるのも自分の(低)レベルが客観的に判断出来て良いだろうといった興味半分。
更に来年9月からは、娘ちゃんが現地のキンダー(小学校の一年前)なので、学校の先生とコミュニケーションをとるためには必然的に英語力が必要になる訳で、というのが半分。

私のクラス、インターミディエイト・ハイ(中の上級)担当の先生はご両親がロシア出身という初老の上品なマダムなのですが、ライティングの上級コースも受け持っている関係か、ライティングとグラマーには中々シビアな方でございます。
そして、アメリカで大人気のアメフト優勝決定戦「スーパーボウル」は騒々し過ぎるという事でお嫌いの模様。

クラスメイトの方々の出身国は様々で、中国、韓国、台湾、ロシア、スペイン、グァテマラ、ペルー、そして日本と言ったところです。
20人位在籍している中で中心を占めているのが中国人の皆さんで、ざっと8人位かな?
中国人の皆さんは授業に凄く積極的で、私は最初その勢いに正直ちょっと引き気味でしたが、何か分からない事があった時に皆「どうしたものかな?」と様子見している中で積極的に先生に質問してくれるし、先生からの呼び掛けにもすぐに応えてくれるので授業がとても活発になっていると感じるので、今ではとても感謝しています。
心の中でいつも「Good job!」を発していますが、先生は一度も授業中にその言葉を発した事がないので使い方が違うかもしれません汗。

私と言えば、瞬発力が足りず、一瞬「私、間違ってない?」と躊躇している間にタイミングを逸する事多々あり。見栄張ってもしょうがないので、とりあえず反応してみるように絶賛瞬発力増強中です。

中国人の皆さんは結束力も強そうな雰囲気。初対面でも遠慮とかせずフランクに話されている模様。ちょっと羨ましい。

その中でも、二十代と覚しき色白黒髪美人ちゃんがいらっしゃいまして、先生も彼女が超お気に入りな様子。
彼女は毎回先生のプリント配りやホワイトボードを消す手伝い、更には授業中の質問やロールプレイ等、随所で先生のサポートを率先してやっており、何よりいつも笑顔で楽しそう!
うーん、トンでもなく好感度高し。

実は彼女のファンがもう一人いるのです。
隣に座っている、白髪のロシア人お爺ちゃん。英語は話せる様子なのですが、ナゼかどこのページをやっているのか分からなくなるようで、彼女が欠席した時には後ろに座っていた私が何回かお爺ちゃんに質問されちゃいました。

私が教えてあげてもどうやら私の答え方が悪かったようで、お爺ちゃんは険しい顔をして首をひねるばかりで、自分の英語力の拙さに申し訳ない気持ちで一杯になりました。
後日、彼女が出席した時にお爺ちゃんの様子をチラチラ見ていたのですが、彼女から色々と教えてもらう間中、凄~くニッコリしているんですですよね、その横顔が。お顔のシワが全体のウェーブがお爺ちゃんの「ボク幸せだなぁ」っていう気持ちを全力で表現している感じ。
彼女の事が大好きっていうのが私にも伝わって来ました。

そして、それは当然だなぁと思いました。

彼女の持っている、明るくてふんわりしてて軽い感じが一緒に居てすごーく心地よいんですよね。生きている事が楽しい、その瞬間瞬間が楽しい!っていう雰囲気が伝わって来るような。

その時、自分の事を振り返ってハッとしちゃいました。

何せ私は、授業についていくのに必死で自分の事で手一杯な訳で毎日胃の痛くなる思いで「早く授業が終わって欲しい!」とネガティブオンパレードですから。

強いて言えば、ネガティブでも重々しいのがあんまり良くない感じかなって思いました。重々しいイメージが体を重く鈍くして調子を崩してしまう気がします。
なので、軽いネガティブ~みたいなのに変えてみようかと。ふんわりネガティブとかね♪

そして、やっぱり笑顔が大事だな~と。笑顔の魅力に敵うものはありませんね。

言葉が通じない中で顔まで怖いと大分誤解されちゃいますよね、って当然ですが(笑)

でも、言葉が通じない中だから、その代わりに人それぞれの持つ雰囲気、言葉以外のコミュニケーションがダイレクトに伝わってしまうのかも知れません。



ごゆっくりどうぞ


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
以前は、

「細かい自分が私は好き~自然系のブログ」

だったブログタイトルを


「光と影の中で~自然系のブログ」


に変更しました。

同時にこのブログの方向性を変更しました。


以前は、

「お母さんが輝くコミュニティ」

を設立するのを目標としていましたが、私の私的な事情により頓挫しました。

コミュニティ設立に向けてお力を貸してくださった皆様、期待をかけてくださった皆様には、途中で放置したままになった事につきまして深くお詫び申し上げます。

本当に申し訳ありませんでした。


私的な事情についてですが、今年の3月末に主人のカルフォルニア州への海外赴任が決まり、私と娘も同行する事になったため、日本では活動が難しいと感じた私は、コミュニティの運営をどうしていいのか決めかねた挙げ句、考えるのを放棄しました。

実際には、海外赴任の話は口実で、自分が設立する怖さから逃げました。

人生において繰り返している逃避癖です。


やると言ってやらなかった恥ずかしさと情けなさ、申し訳無さの中で、ブログを書くこともやめていました。


コミュニティの方向性を考えた時に、私は理想の何かを作り上げようとしていたように思います。

そこには、

「こうあるべき」

があって、私が本当に望むものではなく、どこか借り物だったのかも知れません。


カルフォルニアに来たのは今年8月です。

この5ヶ月はあっという間でした。

そして、新しい環境の中で新たな発見がありました。
今までは点と点だったものが、線に繋がるようになり、それが流れてどこかに行ってしまう前に書き留めておきたいと思うようになりました。


このブログを書く切っ掛けを下さったKenjiさんは、私にこんな風な事を言ってくださったように記憶しています。

「娘や孫の代、100年先も続くブログを書いてください。」


ふとその言葉を思い出しました。


そして、

ただ、その時その時に心に浮かんだ事を綴って行けばいいんだ、と思いました。

将来、母となるであろう娘宛の、ごく私的な手紙のようなものになるかもしれませんし、全く違うのかもしれません。


それらは、


私のための言葉であり、

娘のための言葉でもあり、

そしてその言葉に出逢うであろう人のための言葉です。


そんな風に感じています。









最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


感謝を込めて。


中学生くらいの頃からなのだろうか?


私はいつも、


自由になりたい!


そう思っていた。


それを知ってか知らずか母はあまり私の選択に口を出す事は無かったし、進路はいつも自分で決めていた。


「あなたのやりたいようにやりなさい」


と母はいつも言ってくれていた。


でも、私は不自由さ、生き難さを感じていた。

具体的には、父が母を否定するような言葉を発していたり、お祖母ちゃんとひいおじさんひいお祖母さんとの仲が悪かった事もあるのかもしれない。

表面的にはそれほど喧嘩というのは無かったけれども、それは隠されていただけ。
子供にとっては重苦しく息苦しい気配を感じさせたのかも知れない。


でも今になって思えば、



私は自由でありたい!



という思いが、そんな風に感じられる体験を産み出したのかも知れない。


私は学生時代に絵画を学んでいたので、木炭でデッサンを何枚も描いた。

木炭は、直径1センチ、長さ20センチほどの細い木の枝を炭にしたもので、専用の厚みがあり柔らかい木炭紙という紙に描くのだ。

白と黒のグラデーションを駆使し、いかに目の前のモチーフをリアルに描けるか技術を磨く。

それは光と影の世界だ。

光がなければ影も無い。

どちらも必要なものだ。


きっと、それと同じ事なのだろう。

今日ふとそんな風に思った。



自由を体験する為には

不自由が必要だったのだろう。


闇が濃ければ光もより強くなる。

それを私が求めた、そんな風に今日は感じた。




光と影の向こう側




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




子供の頃の母は、いつも何かを我慢しているように思えた。

「そんなんじゃ、駄目だじゃ」

こんな風に、父親が母を否定するような言葉を発する事が多かったからかもしれない。

そんな母が可愛そうで、

お父さんはどうしてお母さんにもっと優しくしてあげられないんだろう

と心の中で父を責めていたように思う。


母はよく笑う人だ。

そしてよく喋り、よく食べよく寝る、健康的な人だ。

60台となった今は、若い頃からの無理がたたったのか、今は亡き祖母と同じように腰が曲がって足も引きずっている。

でも、私の記憶の中には、40台の印象のままの母がいる。

農作業で日焼けして、細身だったけど腕の筋肉も逞しく、実際力持ちで、牛の飼料の何十キロもある紙袋も軽々と運んでいた。

でも、記憶の中の母は、明るいけれどいつもどこか無理をしているように見える。

実際、笑っているけれど何か誤魔化しているように思える時があった。

本当は、夫に自分を分かって貰えない、認めて貰えない不満や悲しさや怒りを隠していたのではないだろうか?

子供はそんな親の気持ちを何となく感じてしまうのかも知れない。

私は母と一緒にいても時々居心地の悪さを覚えた。

父が母を否定して母は表面では従っても、心の奥底では抵抗していたんじゃないだろうか?
だけど、亭主関白だった父親に、母親は歯向かう事をしなかった。
してはいけないものだ、と思っているように、私は感じていた。
母は私から見て、常識の枠を守ろうとする真面目な人だった。

それが私を息苦しくさせた。

だから、無理に笑っている母を見るのは嫌だった。

そんな母を見るのが嫌だったけど、母が悪い訳でも、それが嫌いな私が悪い訳でもない。
母は無理に笑っているいる時だって自分自身の選択としてそうしていたのだから。

意識的、無意識的どちらにせよ、だ。

彼女は母としての側面だけでなく妻としての側面や地域社会の一員としての様々な側面を持っている。

私から見たら母であるという事。
母が無理に笑っていた時に私が不快だったという事。

私から見た世界だ。

そして、子供だって母親だって、常にそれぞれ別の人生を歩んでいる。

どう感じ、どう行動するか、それは個人の自由だ。

その感じる内容や行動に対して、何かを「悪い」とした瞬間に、苦しみが始まって、いつしかそれを持ちきれなくなって自分を無いものにしてしまうか、他の誰かに投げつけないではいられなくなる。

毒母

一時期よく耳にしたけど、きっとそれは「悪い」を母に投げつける言葉じゃないだろうか。
自分は悪くなくて、母が悪かったと。

私は、必ずしも誰かが悪者でなければならない訳じゃないと思う。


娘ちゃんは、プリキュアが好きだ。
可愛いドレスを着て、歌と踊り、友達との友情と努力と根性の世界

そのドラマを盛り上げる為の悪役

そうやって敵味方の世界観を知らず知らずの内に身につけ、娘は私に決め技&決めポーズを仕掛けてくる。

そんな娘ちゃんを見て、私は心の中にほんの少し苦さを感じる。

私の望まない方向に染まって行く娘を見て不安になる。

でもそれは、私のエゴだと気づく。

彼女には彼女の意思があるのだから。

そして、私の中には敵味方の戦いがあるのだと気づいた。

そんな「世界を見るフィルター」を私は持っている。


私の記憶の中の母は、本当は何を感じ何を考えていたのだろうか?
私が思っていたのとは違うだろうと感じている。


母に聞いてみようと思う。






暗闇の中で輝きは増す




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


娘ちゃんは今4歳で、幼稚園から帰宅すると、
一日一回は

「何か作りたい~」

とせがんでくる。


ふと、自分の幼い頃を思い出した。

私は幼い頃から自分で何かを作るのが好きだった。

それは、きっと母がそうだったというのもあるのかも知れない。

母は、昼間は家業の畑仕事や牛の餌やりをし、夜になってみんなが寝静まる9時過ぎ頃から仏間に和裁の道具を広げて一人夜なべをしていた。
熱を持った電気アイロンの匂いとアイロンを持ち上げたり戻したりする時の重たい金属のカシャン、カシャンという音、生地からほんのり立つ蒸気の匂いが懐かしい。
母がとっても真剣に、一生懸命着物を仕立てている様子が今でも目に浮かぶ。

父は、頑張り過ぎる母を心配していたのだろうか、

「早く寝ろじゃ」

と、いつもぶっきらぼうに母に言っていた。

それでも、母は、夜なべをする事をやめようとはしなかった。

母は着物を縫って近くの大型スーパーの着物売場に納品していて、小学生の頃はよくそこに連れられて行った。

いつも、頼み込んで仕事をさせて貰っているように私には見えた。
そして、労力に比べて大して収入があったようには見えなかったから、

母は和裁をやりたいからやっているんだ

と思っていた。

けれど、和裁をしている母からは、締め切りを守ろうとする必死さや真剣さは伝わって来ても、楽しそうではなかったから、どうしてそんなに和裁がやりたいのか正直私には分からなかった。

けど、

何かやりたい、作りたい、という気持ちが母の背中を見ている内に私にも宿ったのか、

私は、幼い頃からいつも何かを作りたくてウズウズしていた。

身近にある材料でお菓子を作っては失敗したものだ。

初めて作ったお菓子は鍋で砂糖と水を加熱して即席の飴だったと思うし、頻繁に作っては焦げ付かせてしまい、しょっちゅう鍋をダメにしていた。

小学生の時には、アップルパイやパウンドケーキ、スイートポテトを作ったりもしていた。


さっき思い出したんだけど、手芸が好きだったけど、完成した事は少なかったように記憶している。

私が娘ちゃんよりももう少しお姉さんの頃、フェルトの女の子のお人形さんを作った。

確か

白いフェルトで丸めたティッシュペーパーを包んで顔を作り
赤いフェルトでワンピースを着たような胴体を作って
足も白いフェルトを棒状にして作った
髪は黄色い毛糸
顔は油性ペン

結構気に入っていたけど
気に入らないところが一つだけあった。

それは、

各パーツを縫い留めた糸が丸見えだった事。

見た目が綺麗じゃ無かったけど、どうしたらいいのか分からなかったし、自分の力量じゃこれ以上どうにも出来ないという軽い諦めもあった。

こんなんじゃ、嫌だなぁ
もっと綺麗に作りたいのに

焦燥感を覚えていた。
胸がつっかえてそこに何だか分からないモヤモヤが留まっていた。

私の中ではそのお人形さんは

可愛い、けど、出来損ない

だった。


今思えば、母親や周りの大人に聞くなり手伝って貰うなり手段はあっただろうと思う。

でも、何かが私を躊躇させた。

もうその時の光景を思い出そうとしても、ボーッとモヤがかかっていて推測するしかないのだけれど、

誰の手も借りたくない
どうしても自分の力だけで作りたい!
でも自分でやろうとしても失敗するに決まってる

その思いが私を止めた
そんな気がしている。


娘ちゃんを見ていると、子供は何でも自分でやりたいんだなぁと思う。

私はついつい手を出してしまうのだが、娘にとっては迷惑らしく、

「やめて!」

と叫ばれてしまう。

でも上手く出来ないとなると、すぐに私に

「やって」

とせがんでくる。

あっさりしているね、娘ちゃん。



私は、結婚してから洋裁が趣味だ。

そして、洋服を作るには準備が必要だ。

洋服のデザインを決めて型紙を用意する(私は出来ないけど型紙を作ったりもする)
生地と糸やボタンや芯等を用意する
生地を裁断して芯を貼る

・・・やっと、縫い合わせる

(途中、アイロンがけ、ファスナーつけ、ボタン付けなどあり)

今の時代、洋服なんて量販店で買った方が縫うより安く時間も手間も掛からず入手出来るのに、一体私は何をやっているんだろう?と良く思う。

それでもやめられないのは、何かを作りたい、形にしたいという欲求が私を突き動かすからなんだと思う。

実は、一番時間が掛かっているのは、何を作ろうか?と妄想している時だ。

妄想は膨らむ一方で、独学で自己流なのに自分の身の程もわきまえず、市販品並みの仕上がりを求めてしまう。

そして、型紙や生地やその他の材料を揃え、いざ作ろう!!となった時点で、急に怖くなって生地を裁断するのを躊躇してしまう。

実際には生地を裁断したはいいけれど、そのままになってしまっているものが一着や二着ではない。

それは、怖いから。
思い通りの仕上がりにならないのが。

それに、作っている時も楽しい♪というより、細かい作業がとっても面倒だぁという感覚の方が勝っている。

面倒臭がりなのに、沢山のパーツを必死で縫い合わせて何が面白いのか自分でも笑ってしまう。

でも、


この世界に私の作ったものを現したい


大袈裟かもしれないけど、その欲求が私を突き動かしている。

失敗する怖さと一緒にゴールまで辿りついた時、やっぱり作って良かったなぁと思う。


私の頭の中にしか存在しなかった物が
自分の手で目の前に物として現れる


それは私にとって、生きている喜び。


娘も幼稚園に入って、私も自分の時間が持てるようになった。

今ようやく、モヤモヤがあっても解消する事が出来るようになった。
それは、誰かの手を借りてもいいし、聞いてもいいと思えるようになり、ネットで気軽に調べられるようにもなった。

そして何より、失敗する怖さがあっても行動出来るようになったから。


母は昔何を思いながら着物を縫っていたのだろう?

次に会った時に聞いてみよう。