母の3回忌のため、
地元の会津に帰ってきています。


あれから丸2年経つんだなー。


あの時、お腹にいた次男が、
もうすぐ2歳だもんなー。

息子たちがすくすく成長する度に、

母がいてくれたらなぁ。
母に見せてあげたいなぁ。

と、ことある事に思うけど、
心屋カエル塾で心を見つめるようになってからは、
より強くそう思うように。

*

私は、
母が大好きで、
喜んでほしくて、
笑顔がみたくて、
ずっと頑張ってきた。


母は、
待望の第1子(私の兄)が知的障害者で、
とても大変そうだったから。


せめて私は迷惑かけちゃいけない。
私が兄を、そして母を守らなきゃ、と。


でも、大人になり、
本当に辛くて、
打ちひしがれて、
助けてほしい時があって、
母に電話をしたら、


「そんなの、あなたの責任でしょ。」


と、ガチャっと電話を切られたことが、
今でもトゲのようにココロに刺さっている。



ねぇ、私今まで
お母さんを助けるために
私なりに頑張ってきたんだよ。


手を煩わせないように、
自分のことは、
自分でできるように、
1日でも早く自立できるように、
頑張ってきたんだよ。


ツラいこと、
苦しいこと、
私なりにたくさんあったけど、
でも、それを言ったら
お母さんを悲しませてしまいそうで。


だから、
ぐっと自分の中だけにおさめて、
私、ずーーっと頑張ってきたんだよ。


ねぇ、
私は迷惑かけちゃいけないの?

ねぇ、
私は甘えちゃいけないの?


そんな叫びが、
私の胸の中で響いてる。


でも、
そんな叫びをぶつける相手は
もういない。



もしも、母が生きていたら、

・本当は悲しかった。
・本当は寂しかった。
・もっと認めてほしかった。
・できても、できなくても、受け止めてほしかった。


そんな心の叫びを、
母に伝えられているだろうか?



いや、それよりも何よりも、


「ねぇ、お母さん。シアワセだった?」

「私は今ね、すごくシアワセだよ。」


そんな話を、
母としたいだけなのかもしれないな。


私の長男を抱く5年前の母。こんな笑顔をいつも見るために頑張ってたんだな、私。

*

明日は母の3回忌。


母に手を合わせながら、
母の笑顔がほしくて、
頑張ることしかできなかった
小さな私も成仏させてあげよう。


もう、
罪は感じなくていい。


お母さんは、
あれで十分シアワセだったんだから。