毎日の習慣にしたいと思って始めたブログ、なかなか続けられません。
書きたい事はあるのですが、書く気力がありません。
体調が悪いわけではないんですが。
抗がん剤治療になると伝えられて落ち込み、アナフィラキシーでまた落ち込み。
それでも仕事をしなきゃいけないし、したらしたで楽しいし、抗がん剤治療していないから体は元気で、やりたいことはまあまあできていて、最近は趣味の活動にも復帰し日々の幸せなんかも感じたりして、落ち込んでるばかりではないんだけど。
そんな中、同時期に手術を受けた皆さんが次々と抗がん剤治療を始めた。
前に著書を紹介した西加奈子さんが、本の最後の方で、日々感じる幸せ、罪悪感、不安の話をしている。
彼女の状況と私の状況は違うんだけど、抗がん剤治療の様子を伝えるブログを読むと感じるこの気持ちは、彼女が言っている「罪悪感」に似ているのではないかと思う。
私はなんとなく、抗がん剤治療を免れた。
もちろん、難なく免れたわけではなく、「できなかった」と言う表現の方が正しいんだけど、やらずに済んだのは間違いない。
そのおかげで副作用に苦しみ悩む事なく生活ができている幸せ。
その反面、私だけ免れてしまったと言う、何となく申し訳ないような、そんな変な気持ちを感じている。
上から目線みたいで不快、と感じる方がいたらごめんなさい。
でもそういうんじゃなくて、自分だけが共有できなかったという、なんて表現したらいいかわからない気持ち。
脱落してしまったような、そんな気持ち。
自分も通るはずの道だったから尚更そう感じるのだと思う。
同時に、副作用という苦しみを耐えながらも、みんなは再発予防の積極的治療を受けているのに、私は受けていないという不安。
単なるステージ1aG2なら追加治療なしが標準治療だからいいのだけど、私の子宮にはリンパ管侵襲があった。
リンパ節転移の可能性がある。
なのにリンパ節郭清していない。
そして積極的治療もしていない。
再発を待っているだけなのでは?
もしこの鼠蹊部のしこりみたいなものが転移だったら?
緩和ケア外来を受診した時、担当医師に
病人の生活になってはいけない
普通の日常を送らなければいけない
(私の場合は精神的に、と言う意味で)
と言われた。
もちろん、ただグズグズと落ち込んでるばかりで時間を無駄にすることはできないと言うのはわかっているつもり。
だけど日常生活で楽しいことがあればあるほど、その直後、こんな時間がいつまで続くかわからない、すぐに終わってしまうかもしれない、と言う思いが湧いてくる。
楽しい日常生活と再発の可能性という、現実の裏表のギャップに、日常に幸せを見つけることが無意味にさえ思えてしまう。
きっとみんな同じ様な思いをそれぞれコントロールしながら前進しているんだろうに、自分だけが現実に直面できないでいる様に感じてしまう。
ここのところ、前向きに生きるのがしんどい。
なんとかこころを立て直したい。