作家の森茉莉は、窓辺にコカコーラの空き瓶を置いて眺めーコカコオラの空壜の色はシンガポオル、ペナンの辺りの透徹った海の色に似ている。ボッティチェリの「ヴィナスの誕生」の海の色にも似ている。ーと書いている。
私の家の近くには、ビクトリア時代に建てられたタウンハウスが現役で使われていて、その窓は少し歪んだような厚みのある硝子だったり、玄関のステンドグラスが夜になると
色とりどりに家の中の照明に照らされているのが並び、それを見ながら散歩するのは楽しみの一つだ。
この間、アンティークショーで、ブルガリヤの手作りのガラスジャーを買った。
少し緑がかっていて、大きくて、厚みや気泡の入り方が一つ一つ違うので、沢山ある中から気に入ったのを選んだ。
紫陽花を生けようと思っていたのだけれど、なかなか手に入らず、今はヒマワリを挿して飾っている。
ガラスに通る光が、なんだかノスタルジックで、つい見惚れてしまった。
ガラス壜のうつす色のついた影にも、ハッとさせられる。
ハイネケンを飲みながら、夕ご飯を作っていて、ふとペーパータオルに落ちる影に魅入られた。
昔の商業用の壜も、今では立派なアンティークとして取引されている。
私は、もっぱら花瓶として使っているのだけれど、ただ光の射すところに並べておくだけでも、綺麗だと思う。
これは、小さなインク壜。
日本人のバイヤーさんが、大量に買い付けていたから、きっと今頃は東京や大阪で飾られているのかもしれない。
この土地に来てから、ガラスに惹かれるようになったのは、暇でぼーっとしやすいというのもあるし、空気の色がガラスを美しく見せてくれるからのような気もする。
大人になると、ビー玉を見つめて、外国の海を想像したり宇宙を想像したりということはしなくなるものだけれど、たまに、こうしてガラスに魅せられて空想の世界で遊ぶのもいいと思う。