初めてハラワタが煮え繰り返ったのは

           母の言葉だった

幼い従姉妹を叱り付ける叔母に
幼い子供にもそうせずにはいられない言い分があるのだから頭ごなしに叱り付けてもいけないといいきかせたのだと。

得意げに私に向かって語る母に

        私の顔は能面と化した



母から私は日常生活の面でしょうもない子と思われていたようで、
沢山の呪縛の言葉でぐるぐるまきにされてました。

お前には生きる為の哲学が無い(小学3年生に何言ってんだよ、と、ツッコミどころ満載です)

一を聞いて十を知るという言葉があるが、お前は3つ言って一つできればいい方だ(で、アナタ自身は実際の所どうなんだ?)

金食い虫(幼稚園児に意味は分からねど強烈ですね。確かに幼少期やたらちっちゃな歯医者、皮膚科、小児科に通った記憶があるけど大病したことはないですな)

男に生まれればよかったのに(自分でいうのもなんですが、確かに男ノコだったら当時の小学校レベルならイケメン側だったと思います。)

すかねぇわらすぃ(標準語で嫌な子…)

その他諸々。嫌な記憶ばかり。


母は相当口の立つ人で相手をやり込めるのがお上手だったので、私には全く太刀打ちできませんでした。
おまけに幼少期は母の恐怖政治に怯えてましたから脳内がサバイバル状態でとてもうるさかったです。
だからでしょうね、 シズねぇ(うるさい)ガキだと怒鳴られると同時に手が出るんですねぇ。
母も理不尽を味わい尽くした人生だったから脳内ストレス半端なかったんでしょうね。だから発作的にうるさいガキを殴ったんでしょう。

母の躾(私にとっては虐待)がおさまるくらい育った頃には、私は自分を押し殺してることすりゃわからなくなって濁って重くなってました。

で、冒頭の母の言葉ですよ。どの口がモノを言ってるんだと。

オカアサンハ
  ワタシニヒドイコトシタクセニ
ジブンガイツモタダシイトオモッテイル

ズルイ
アヤマレ

その場で言い返せていたら、(一悶着どころではなかったと思いますが)反抗期の通過儀礼となってたかもしれません。

私にとっては、幼少期より家庭は母の恐怖政治だったので麻痺しちゃったんですね。現実では中学生でも心が4〜5歳のままなんです。そんなもん、表に出せませんよ。まともなフリをするから疲れることこの上ない。親にも教師にもこの違和感を伝えようが無い。

で、今はどうなのか…4〜5歳のままかもって瞬間がないこともないかもしれません。


母が死んで10年経ち、ここ数年心理セラピーも受けてきて、ようやく楽しかった記憶も思い出してきました。

コタツで母と、夏も近く八十八夜の手遊びした記憶が、楽しかった事として浮かび上がってきたのでした。パチンと合わせた手と手の大きさがやけに違って面白い。私は何度もせがんだかもしれません。楽しいことは大好きでしたから。

母は私を可愛がってたんだな
        …と気づきました。

私が長年握りしめてきた思い込みが砂時計のようにスルスルと落ちて、手放せる時がきますように。そして、お母さん、産んでくれてありがとう。一緒に遊んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。守ってくれてありがとう。

私の脳裏に、おさげ髪のちっちゃなお母さんが、これまたちっちゃな私と楽しげに手遊びをする光景が浮かんでくるのでした。