アメリカのメジャープロレス団体WWE(World Wrestling Federation)は、1963年1月にアメリカ北東部を主戦場に旗揚げされたプロレス団体としては、所謂、後発組として活動を開始しました。創業者は、ビンス・マクマーン・シニア氏です。現在の本部はコネチカット州スタンフォードにあります。活動初期は、先行する名門団体であります、NWAやAWAという由緒ある他団体の摸倣からスタートしましたが、名選手の引き抜きなどに苦労して人気は低迷していましたが、初代WWE(当時は、WWWF)チャンピオンのバディ・ロジャースは悪役チャンピオンとして長期政権を構築しました。時代の趨勢と共に、怪力派レスラーのブルーノ・サンマルチノが新チャンピオンとして頭角を現して、正統派チャンピオンとして得意技のベアーハッグでライバルレスラーの王座挑戦を撃退して、一躍にして超人気レスラーとしてWWEの台頭に多大な貢献をしました。サンマルチノは筋骨隆々の怪力レスラーとして名を馳せると共に、その素晴らしい人間性も評価されて、WWEを大躍進へと導きました。彼は、当時の日本人成人男性の平均身長と全く同じの170cmとプロレスラーとしては超小柄でしたが、時折垣間見る怪力殺法と頭脳的な試合運びで王座防衛を重ねて
初代王者の前述、バディ・ロジャースと共にWWEの黎明期の屋台骨として大活躍して、団体をAWA・NWAとメジャー三団体と並び称される地位を築き上げました。丁度その頃に、創業者から、悪のオーナーとして正統派レスラーと敵対する見事な演出で、全米有数の億万長者の仲間入りした、ビンス・マクマーン氏(現在はWWE会長)は、実際に正統派レスラーとsteel cage matchで対戦したり、WWE大躍進の原動力となったレスラー同士のマイクアピールなどの新戦略を次々に展開して押しも押されぬメジャー団体へと変貌しました。その後も、豊富な資金力を背景に他団体の有名人気レスラーを移籍獲得して、遂に1990年代後半には、観客動員数や興行成績、テレビ視聴率などで永年の悲願であった、全米No1.
団体として今日に至っています。現在のオーナーは、シェーン・マクマーン氏で3世代世襲制です。実妹のステファニーも重役の重責を全うしています。WWE所属レスラーはあまり来日しない風潮があり、日本に複数回来日経験のある最高峰のWWEチャンピオンタイトル保持者としては、ボブ・バックランドとビッグバン・ベイダーの2人くらいですが、旧WWWFから現WWEに改称してからは、年間に2日間の日本公演が実施されていますが、残念ながら主力レスラーは来日することも無く、二線級レスラー同士のマッチメークとなっています。WWEは寧ろ、WWEジュニアヘビー級チャンピオンに3年近く君臨した、藤波辰巳選手が日本人レスラーとしては有名と噂されています。アメリカ各地を転戦して、ジュニアヘビー級タイトルマッチで防衛回数を伸ばしても軽量級との理由から注目を浴びることはほとんどありませんでした。私が、スカイパーフェクトテレビで本格的に観戦をし始めた頃は、絶対的王者のスティーブ・オースチンの人気が爆発して、ライバルの巨漢レスラーのThe undertakerやKaneや
Triple H などの悪役レスラーと対峙するWWEの最盛期でした。その後のWWEの展開発展については次回の記事更新に譲ります。