今回は歴史的人物として石田三成について突っ込んで見たいと思います。
石田三成といえば、豊臣秀吉に仕えた側近中の側近であります。その性格はとても計算高く、多くの体育会系的武将から嫌われるほどで、もしかしたらアンチファンも多いかもしれません。しかしながら私としては、私利私欲に決して走らず、自分の信念を貫くところなど結構好きな方です。
天下分け目の関ヶ原の合戦では、もし三成が徳川家康を討伐していたら大阪が首都になっていたかもしれませんね。そんな歴史的局面で名を残した名将ではありますが、特に三成の駆け出しの頃の逸話などつい騒然としてしまうものがあります。
それは三成が知行500石を得た際に家臣として渡辺勘兵衛を登用した時の話です。渡辺勘兵衛は織田信長が称賛するほど、その忠義と力量からあちこちの大名から誘いの話があるほどの人物です。すでに豊臣秀吉からは2万石、柴田勝家からは1万石の誘いの話があったようです。しかし、その両者からの誘いを断り、なんと破格の500石で石田三成に仕えたというではありませんか。
果たして、今の時代、年収1~2億円の誘いを断って500万円で命がけの仕事に従事することなどできますでしょうか。というかどうやって、石田三成は渡辺勘兵衛を口説いたのでしょうか。
これには流石の豊臣秀吉も驚いたようで三成にどうやって口説いたのか聞いてみると三成は涼しげに「私の全財産500石を全て差し上げました」と答えたようです。
では、どうやって全財産投げ売って三成は暮らしたのかと言うと渡辺勘兵衛の居候になっていると言うようで主人が部下の家に住ませてもらうなど考えられない話ですね。
明日命の絶えぬ時代にお金より大事なものを見据える千里眼が石田三成の歴史に残る人物へと飛躍したのは間違いないでしょう。
身一つで天下まで上り詰めた秀吉が重用したのもわかる気がします。
裸一貫でアプリを作ってみるかな。。いや自分には真似ができません。