不穏な話はさておき。
DTMの方は細々と続けているので、皆様また宜しくお願い致します。
バンド活動についてはキーボードとして参加したのですが、蓋を開ければベース以外の人間は割と誰でも良さげな感じで、曲についても大した拘りが無さそうで。
解散後は再起を図ってはみたものの、オリジナル曲の話が全く進まない上に思いっきりマウントも取られまくったので潔く辞めました(笑)
このご時世ですし、やはり一人が楽なのだと再確認できる有意義な時間となりました。
再開ついでに、某掲示板を読んでいてふと思ったことをば。
最近は人と人との繋がりが希薄になり過ぎたせいか、「ありがた迷惑」という言葉が横行していますね。
他人様に何かをして頂いたら、何をおいても「ありがとう」と言える人、現代日本には一体どれくらい居るでしょうか。
現代日本に生きる我々は、自分が負荷なく提供できる内容を上回る何かを常に求められ、相手のニーズに応えられなければ努力の全てが無に帰するどころか無能な働き者としてマイナス評価を受ける、という過酷な価値観に公私問わず晒され続けています。
<各々が自分のやりたい時に、自分が提供したいと思うものを、自分が提供したい分だけ提供し、それを無碍にされることなく適切に感謝される。>
このスパイラルは不足しがちな自己肯定感を補うことにも繋がると思うのです。
記念日に渡すプレゼントや差し入れなど、自分のセンスで大切な人が喜んでくれるからこそ毎年お金を払えるというものです。
このような些細な成功体験の一つ一つが礎となり、私達は社会で"普通に"暮らすことができるのです。
<タイミングが悪い、好みを把握できていない、クオリティが低い。施し方が下手くそだから迷惑だ。>
例えば子供が一生懸命描いてくれた似顔絵に対して、貴方はこれらの台詞が言えるでしょうか。
このように不当な裁きを受け、失敗の烙印を勝手に押されて自己肯定感を下げることのないよう留意していきたいですね。
これは精神面におけるスローライフの実践、とも言えるかもしれません。
そして私自身、他人様の厚意に対して押し付けがましいと感じる人間にはなりたくないと心底感じました。
人の振り見て我が振り直せ、です。
では、また次の記事にてお会い致しましょう。