私と森羅万象・・・

私と森羅万象・・・

右へ行くべきか、左へ行くべきか?
人生は何時も決断を迫ってくる・・・けれど
なんだか慣れてきたように思う今日この頃です

      全てのものは無常(常に変化する)であることを忘れずにひたすら前へ進みたい、、と思っています。


 


              







        


          

昨日は良い天気だったのに今日は残念ながら雨になった。

しょうがないな、大体この時期は梅雨入りになる頃ですからね。

 

さて、4月1日に入院した夫は無事手術を終えて退院し心配した後遺症もほぼ無く日常を送っている。

 

夫の入院中思いがけない人に出会った。

十数年ぶりに夫の妹弟に会ったのだ。

 

妹の方はマスクをしていても直ぐに分かったのだが弟は判らず

何度か「この人は誰なの?」と訊くと、やっと妹が名前を言った

 

そうか・・・ 彼か・・と思った。

 

夫の弟妹の中で一番私が気分を悪くして怒鳴った相手だ。笑

彼も、やっと状況が把握できたのか大人しくなっていた

 

夫の親族との付き合いは、まぁ普通に面倒なことが多いけれど

私は夫の癌闘病中にそれぞれの弟妹に電話をかけて半ば怒鳴り

我が家に絶対来るな! と言って十数年が過ぎたのだ。

 

それでも我が家に来るアホちんは私が唯一電話をかけ忘れた妹の家族である。

 

鈍感な人間は死ぬまで多分「鈍感」なのだろうと思う。

 

鈍感こそは生き延びる最強の術かもしれませんね。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

私が前記のブログで友人の死に驚いたと書いたのは予期しなかった出来事が起こった事に対する驚きだったと思う。

 

死はだいたい見ていると予想のできることだと思っているのだが

彼女の場合はひと月以上会わなかったことも有ったせいもあったのか私には、ほぼ予感のできない事だったのだ。

 

それが、私には色々な意味でショックを受けた。

 

 

そして、そういう中で読んだ文芸春秋。

 

そこには対照的な「死」が記述されていた。

 

「死」はいったい自分で操作できることなのか?

それとも運命として受け入れるべきことなのか?

 

そんなことを想いつつ文芸春秋の記述を読んだのある。

 

 

 

私は4年まえに妹を亡くし昨年友人を亡くした。

 

妹の場合は(私より先に成るかも・・・)という予感が有ったが

友人の場合はそれが無かったので大変驚いた。

 

それも友人とは、その一月前に会ってはなしをしており、その時

彼女は「死にたくない」とハッキリ言っていたので驚いたのだ。

 

彼女の死は私が海外へ行っているときに起こっており帰国して

何度もラインメールを送っても返事がなく不審に思っている頃に

 

彼女の妹から訃報のメールが来たのだ。

 

彼女は乳がんのステージ4で癌の発見から5年間も何もせずに

暮らしていたことを海外へ行く前に知った。

 

なぜ、5年間も癌治療を放置していたのかというと彼女は

ある新興宗教にはまっており、その影響だと思われたが

 

まさか元気そうな彼女と会ってひと月もたたないうちに亡くなるとは夢にも思わず私自身が驚かされた。

 

彼女と私は誕生日が、たった2日しか違わない。

 

それなのに、たった1回の癌治療(化学療法)で亡くなったことが今でも信じられないのだ。

 

5年間なにも治療をしないにもかかわらず治療を開始したとたんに(1回目)で亡くなった彼女を考えると、いったい何が良かったのか、さっぱりわからない。

 

まったく治療をしなかったら彼女は生きていたのか・・・

そんなことを想うと本当に解らないというしかない。

 

 

 

 

 

 

 

私たちくらいになると(70代)友人・知人の訃報が多くなり

自分も思うように身体が動かせなくなったりして「老い」と

いう事の「現実」を痛切に感じる。

 

人は生まれたら老いて死ぬ、ということが自然の摂理なのだと

分っているはずなのに直面すると驚き気が塞ぐ~ということが

近年の私で自分自身驚いている。

 

頭で理解できていることが「現実」に起こることに、

ついていけないことに軽いショックを受けているというのが

現状である。

 

「現実」は理解していたことより自らに影響すると判った。

 

そんな中で数十年ぶりに文芸春秋の冊子を病院で購入したのだか

初めは”脳を守る世界水準の認知症予防法”という見出しに

引かれて購入したが

 

読んでみるると「むなしさにも付き合い方がある」という

”きたやま おさむ”氏の文章が一番面白かった。

 

昔、聞いた”ザ・フォークルセイダーズ”のメンバーのきたやま氏によると同じメンバーだった加藤和彦氏の自死の理由が

 

「ロックンロールが60歳を超えてまで生きているのは恰好悪い」と語っていたと書かれていた。

 

これを聞いて加藤氏のことを”潔い”と思うか

”幸せ”と感じるべきか~ 色々と考えてしまった。

 

自らのことを自らの考え方で決断できるということは、

ある意味幸せなことではないかと私は思っているが

 

人生は、思わぬことがやどうしようもないことの連続で

「自分」では、どうしようもないことだらけだ。

 

そういう中で自分の意志だけで「自分」で命さえも決断できるというのは、ある意味我がままだけど幸せなことではないか、

と思うが

 

ただ、自分がそのような決断ができるかどうかは・・・・

である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、一日ぶりに夫の面接へ行ってみると既に一般病棟へ移動しており行ってみると

思っていたより状態が良く話なども出来た。

 

術後の医師の説明通り腫瘍はスンナリと取れたようで心配していた言語も普通だった。

ただ、右足が思う通り動かせないと話していたが「右足の指は動くの?」と訊くと

「動く」と云って動かせてみせたので安心しました。

 

腫瘍のあった場所が足の機能をつかさどる箇所だと医師から事前に説明を受けていたので

少し心配もあったけれど術後の説明で腫瘍はスンナリ取れました、というので

あぁ~ 良かった・・・と思っていたのだ。

 

上手く腫瘍が取れなくて脳細胞に張り付いていたなら取り除くために脳を傷つけるかもしれない~ 

と云われていたからだ。

 

脳の手術は本当に大変だ、と今更ながらに思う。

 

けど、無事に終わって良かった。安心しています。