人生で本当に辛い時期を経験した私が、楽観的な考え方を出来るようになった訳
ベルフィオーレセイ、セラピストの助川可那子です。
人それぞれターニングポイントがあると思うけど、
私の最大のターニングポイントは、
間違いなく娘の入院生活です。
突然難病にかかり、
生死をさまよう時もありながら乗り越えた8ケ月間。
私は、人生で本当に辛くて不安な時期を経験したから、
そのことで楽観的な考え方を出来るようになったのだと思うのです。
そして、
私が経験したことを踏まえながら広い視野で見てみると、
日常生活における悩みというのは、
それほど大したものではないな…と、思えてくるのです。
いつも笑顔で楽観的な考え方を出来るようになったのは、
娘と共に戦った入院生活のおかげなのです。
今まで娘の病気についてはSNSで公表したことはなかったけど、
本当の私を知っていただけたら幸いですし、
一人でも響く方が居て、
力になれるのであればとても嬉しいので、
書くことにしました。
(前半は当時の娘の病状や入院生活について書いたので、読んでいて胸が痛くなってしまうかもしれません…)
私は…
私は結婚しており、二児の母です。
セラピスト(タイ古式マッサージ)として働いて4年目になりますが、
その前は第一子を産んでから10年間専業主婦でした。
今は母がオーナーのサロンで、
二人で仲良くセラピストとして働いています。
マッサージの職業は毎日「これ以上幸せな仕事はない」と、
本気で感じているほどやりがいがあり、
お客様に恵まれ、
家族にも恵まれ、
考え方も楽観的で笑っていることが多いことから、
悩みなんてないでしょう
と言われることもあるのですが、
それは、どん底とも言える本当に辛い時期を経験したから変わることが出来たと思うのです。
そんな私が、どのようにして変われたのか?
このことについて書きたいと思います。
改めて書こうと思ったきっかけは、
今現在悩んでいる人
(闘病中のお子さんを持つ親御さん、
人間関係でお悩みの方などなど)、
一人にでも、
私の経験が響いて希望や改善が見えたらいいなと感じたからです。
娘の病気
翌日の誕生日の朝に酸素が低下し、
初めて誤嚥性肺炎にかかり、
体は酸素が行き届かず青白くなり、
死を覚悟してくださいとまで言われましたが、
レントゲン室での診察と耳鼻科の処置で何とか呼吸が入り、
一命を取り留めることが出来ました。
娘はなんと誕生日に死にかけたのです…。
首や手足の筋肉も侵され、
首は可動域が狭くなり、
手は鉛筆を握る力もなくなり、
足にも力が入らないので歩くことは勿論出来ず、
立っていることすらも出来なくなりました。。。
この症状はその後約4ケ月続きました。
点滴の栄養だけの体は肋骨や背骨も目視で確認できるほどどんどんやせ細り、
栄養面や、点滴では入れられないお薬を投与するため胃ろうをつくり、
リハビリを毎日二回頑張り、
退院出来たのは入院してから8ケ月後でした。
退院後
退院してからは、
娘は小学1年生になっていたので、
私は小学校のお昼休みに胃ろうに栄養を入れるため毎日保健室に通っていました。
食べれるようになるには年単位と言われた喉の筋肉の回復は想像以上に早く、
自宅での喉のリハビリの頑張りの成果が表れ、奇跡的に退院後2ケ月で食べれるようになりました。
退院後の娘は、
お薬の副作用で顔はムーンフェイス(顔に脂肪がつき丸くなること)になり、
病気の症状で赤ら顔になっていたり、
長期入院生活で体力が落ち、運動もクラスのお友達と同じようには全然出来ませんでしたが、
小学校の友達や先生方はみんなで娘を応援してくれて、
『Nちゃんが給食を食べれるようになったぁ〜👏✨』
『Nちゃんが体育に出れるようになったぁ〜👏✨』
『Nちゃんが泳げたぁ〜👏✨』と、
都度都度みんなで感動して拍手喝采で喜んでくれ、
周りのみんなにとっても愛され、
退院後の不安は感じたことがなく娘は本当に救われていました。
その後徐々に体力も食欲も回復して、
元気いっぱいの元の娘に戻れたのは症状が現れた時から考えると約1年3ヶ月後でした。
入院生活での変化
入院後2、3ヶ月位経ち娘の病気のピークが過ぎ治療方針が見えてくると、
私は、心にやっと余裕ができ、
入院生活のベテラン人のようになったのです(笑)
最初の意識の変化が現れたのは、
同室で入院したばかりの子供やママの不安を和らげてあげたいという気持ちになった時でした。
私と娘が1番不安だったのは入院したばかりの頃だったので、
これから入院してくる人は同じ気持ちでいるに違いない‥と思い、
積極的に私と娘で声をかけて一緒に遊んだり、
会話をして病気の不安面を吐き出して励ましあったり、
出来ることは何でも協力し合い、
そういうことを続けていたら他の病室の人たちとも仲が良くなり、
不安でいっぱいだった入院生活はいつしか楽しい合宿所のような場所に変わっていました。
そして、
このあたりから、
一緒に生活している同じ階の親御さんたちをよく観察するようになり、
人の長所を見つける事が私の趣味になっていました。
よく短所が目についてしまう方がいますが、
是非、長所を見つける事にシフトチェンジしてみてください。
長所を見つけるとたいていの人は面白い部分があり、
面白い部分に気づくと、自然に会話をし、
笑いあい、苦手な人はほとんど居なくなるのです。
それでも入院してるということは症状も重い訳で‥
娘は唾を飲み込む事すら困難だったし、
気管に入ってしまった時にゴホンゴホンッと咳き込むことも出来なかったので、
誤嚥性肺炎に何度もかかり、
症状が重い人だけが入る個室に移動して、落ち着けば大部屋に戻る‥という事を繰り返していました。
私は、
娘の前では絶対に不安な表情を悟られないように‥と、
前向きに前向きに娘を楽しませることしか考えていなかったので笑顔でいる事が多く、
個室に入っている時や大部屋に移った日など、
『あの人の子供、個室にいたんだよね?』と、
楽観的でいる私を変人扱いする人も中には居ました。
昔は、他人にどう思われているか…とか、
可那ちゃんらしくない~と言われると卑屈になってしまったり、
顔色を伺いながら生活しているタイプでしたが、
この頃からは、
自分らしく、自分のやっていることを誇りに持ちながら
生活できるタイプへと変わっていきました。
ようやく私にも軸が出来た瞬間だったのだと思います。
そうなってくると…
冒頭にも上げた通り、
経験したことを踏まえながら広い視野で見てみると、
今の日常生活における悩みというのは、
それほど大したものではないな…と、思えてくるのです。
人間だから落ち込むことや、
悩むことも色々とあります。
だけど、そういう時に苦しかったあの入院生活を思い出すと、
ものすごー----く、
今の悩みがちっぽけに思えて、
悩んでいたことすら忘れるくらい、
楽観的な考え方にシフトチェンジ出来るようになり、
結果、笑顔で居ることが増えたのです。
そして、生きがいとなっているセラピストのお仕事…
母とベルフィオーレセイでセラピストとして働き4年目となりますが、
このお仕事がまた、
さいっっっっっこうに幸せなお仕事なのです。
身体のメンテナンスをし、心を癒すお仕事なので、
今でも日々学んでおり、
まだまだ覚えたいことが沢山ありますが、
疲れて入ってきたお客様が、
帰り際には体が軽くなり、
笑顔でありがとうと言ってくれる瞬間がたまらなく、
さいっっっっっこうに幸せ!!!なのです。
専業主婦だった私に自分軸が出来、
笑顔で毎日お客様の心と体をメンテナンス出来るようになったのは、
間違いなくターニングポイントとなった娘の病気のおかげなのです。
そして、娘にとってもこの経験と学びは後に大きく影響していくのだと思います。
今、辛くて悩んでいる方が居るとしたら、
伝えたいことがあります。
起こることはすべて起こるべくして起きています。
すべては必然。
無駄なことは何一つないのです。
だから、大丈夫。
行動していれば、辛いことがあった先には、
その経験や学びを糧に、生かせるときが必ず来ます。
乗り越えられないことは絶対にありません。
どうか、
逃げないで、
あなたを信じて、
立ち向かってください。
ベルフィオーレセイのコンセプトは、
ゆったりくつろげて
心まで軽くなれる
第二の家のようなサロンを
目指しています。
資格を持ったセラピストが
誠心誠意、心を込めて
尽くします。
です。
頑張って行動して疲れてしまったとき、
また笑顔で頑張れるように、私たちがいます。
そして心と身体に余裕ができると、
人を思いやる所作や行動ができると思っています。
さとう式リンパケアの理念でもあるように、
柔らかく、
暖かく、
軽い、
生き方をしていきましょう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
この記事の投稿を許可してくれた娘に感謝してします。
そして…
いつも学ばせて下さる、
しゅうさん、
お客様、
両親、
家族、
友人。
本当に、本当にありがとうございます。
これからも、
理想の自分になるために、
楽しみながら頑張ります。