ルサンチマン
全肯定
全部を肯定できた時、自由になる。
●欲がない。悟らない。
●25 『喜び方がまだ足りない』
もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。にこにこしよう。素直な気持ちになって、子供のように喜ぼう。喜べば、くだらないことを忘れることができる。他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほどに喜ぼう。喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。『超訳 ニーチェの言葉』より
●最も後悔されることは何か?遠慮ばかりしていたこと、己の本当の欲求に耳を貸さなかったこと、己を取り違えること、己を卑しめること、己の本能を聞きわける繊細な耳を失うことである。こうした自己に対する敬意の欠如は、あらゆる種類の損失によって報復を受け、健康、快感、誇り、快活さ、自由、不動心、勇気、友情が損なわれる。
●自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。まだ何もしていない自分を、まだ実積のない自分を、人間として尊敬するんだ。(中略)それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。
・ この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、危険に生きることである。
・ 自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。
・自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
NHKの奴
★『ツァラトゥストラ』全ての人のための本であり、誰のためでもない本(皆のための本だけど、あなたに理解できるかはわからないよ。)
●第一回『ルサンチマンを克服せよ』
○【神は死んだ。】「隣人を自分自身と同じように愛するのもいいだろう。だが、何よりもまず、自分自身を愛する者となれ」(キリスト教的な価値ではない価値を作り出す。キリスト教では、自分より他人を愛しなさいって、自分のことを大切にできない。)
・超人とは大地のこと、幼子のこと。
・汝自身の価値と共に生きよ。自分のものさしで生きよ。(他人のものさしで生きるから、自分がブレ、病んでくる。)
★【永遠回帰】とは、自分の人生が寸分違わず、何度も何度も永遠に繰り返される。それに喜んでYESと言う。
・たった一度でも心からの喜びがあれば、人生は何度でも繰り返すに値する。
・どんなに嫌なことだらけの人生であっても、この運命に私はYESと言う。
○【ルサンチマン(恨み・妬み・嫉妬の感情)】
・無力からする歯ぎしり(自分の力で変えられないから、自分以外を恨む。そしてタラレバに逃げる。)
・自分の中でウジウジと繰り返してしまうこと。
・喜びを感じる力を弱くする。忘れてしまう、忘れさせてしまう。
○【価値の転換】
・キリスト教的な考え方では、自分は後になる。
・どうやったら、自分が快活に生きられるか、高揚してきてワクワクしてきてイェーイになれるか!イェーイ!になれないといけないわけ!イェーイになって、それぞれの人間が色んな形で、自分が愉快になっていく実験をする。
●第二回『"神の死"から"超人"へ』
神➡自分
・転換は難しい。神が自分の軸どったのに、神は死んだとなると、人は迷う。
・ニヒリズム(何やったってしょうがない)「どうせ……」「やめとけよ」今がニヒリズムの時代。
○【末人(ラストマン)】ニヒリズム(全ての物は無価値)の中で、人間がまどろんでいくと末人になる。安楽が良い。冒険しない。憧れというものを持たなくなる。「末人とはノミのように根絶し難い生き物である。」
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○【超人】人間は憧れの矢を持っていないとダメ。ルサンチマンを持たず、ちょっとした嫌なことがあってもすぐ忘れられる。絶えず創造的に生きて、クリエイティブに生き、パワーに溢れて生きていける人間のこと。究極ポジティブ人間のこと。これまでの価値観に左右されない人。
○【超人になるには?】
・「私は君たちに精神の三つの変化を告げよう。すなわち
①精神がラクダになり(重たい物を担う。自ら求めて担う。色んな義務を引き受ける、そうすることで力をつける)
②ラクダが獅子になり(否定の時期。逆らう。今まで正しいと言われてきたことに全部逆らう。否定の力を振るう時期)
③最後に獅子が幼子になる有り様を(幼子が正に超人である。)」
・幼子は夢中になって遊ぶ、何も考えず、本当に砂遊びをしたり、まったく無垢に楽しいことに全力で向かっていく。何も考えていない。正にその姿が超人。
●第三回『永遠回帰とは何か?(人生を肯定するために作ったファンタジーと捉えればよい。)』
・永遠回帰を理解すると超人になれる。
・自分の人生が最悪であっても、それを受け入れ超人となる。
・エネルギー保存の法則の元で、万物が運動すると、永遠に時間が経てばまた元の状態がやってくる(抵抗のないビリヤード台)
★嫌なことも全部引き連れて、自分の人生を肯定しなさい。自分の嫌なこと、耐え難いこと、その苦しみを仕方なく受け入れるってのはまだ甘い。その苦しみを欲さなければならない。「これで良かった」でなく、「これが良かったんだ!」と。マイナスを含めて全肯定しないといけない。
○【運命愛】全ての"こうあった"を"私がそう欲した!"に作り変えること。これこそ私が救済と呼びたいものだ。この運命愛の態度を持てた人は自分の人生を何度でも繰り返そうと思える(永遠回帰)。
○【深夜の鐘の歌】
一つ!おお人間よ!しかと聞け!
二つ!深い真夜中は何を語るか?
三つ!「私は眠った 私は眠ったー
四つ!深い夢から いま目が覚めたー
五つ!世界は深い
六つ!昼が考えたよりも深い
七つ!世界の苦しみは深い
八つ!よろこびーそれは心の底からの苦悩よりも一層深い
九つ!苦しみは言う「終わってくれ!」と
十!しかし全てのよろこびは永遠を欲するー
十一!ー深い 深い永遠を欲する!」
十二!
・たった一回でも本当に喜ばしいことがあったら、他の嫌なこと全て引き連れて、この人生を何度でも生きるに値するんじゃないの?と。
・永遠回帰の思想は、「あなたが一番よろこびとしていたのは何だった?」「ねぇ君にも本当は良いことがあったでしょう?」「本当は素晴らしいことがあったんじゃない?」だったら、ぐうたれてないで、今この世界からよろこび汲み取って生きようじゃないか。そういうことを語ってくれている。
・ルサンチマン、ニヒリズムを噛みきって、よろこびを求めて生きよう!
●第四回【現代に"超人"は可能か?】
・ニーチェの思想は、アポロン的(理性・論理的)ではなく、ディオニソス的(感情・享楽的)だから、親しみやすい。
・末人「ゆるい世界でまったり生きたい」↔超人「自分を鍛えていく」
☆【西研さん(教授)と斎藤環さん(精神科医)の対談】
西「超人というのは、究極ポジティブという存在。常にクリエイティブに生きていく、ルサンチマンなんか関係ない。」
西「喜びの方向に向かっていけ、高めあっていけ(一人で、一人で頑張って、ストイックにとニーチェは書いているけれど、一人では無理なので、繋がりの中で超人を目指しなさいと捉えるとよい。しなやかな超人を目指しなさい。)」
斎藤「超人とは完璧な引きこもりのこと。引きこもりとは仕事をしていないし、人間関係もないし、業績もないし、そういう自分を全肯定できるかどうか。全肯定できれば超人。」
ー「引きこもりの状態で良いってことですか?」
斎藤「そうです。その引きこもっている自分をいかなる価値基準にも照らし合わさないで、肯定できるか、無根拠に肯定できるか」
西「どんな自分が失敗しちゃっても、その自分を絶対自分が見捨てちゃダメなんだってニーチェは言う。自分が最大の味方で、そこを肯定できないといけない。」
斎藤「普段若い患者さんに接してて思うのは、ニヒリズムのような否定な力を持ち過ぎている、若い世代の意識の中にすごく肯定する力が弱まっていると感じます。とりあえず自分を力強く肯定するところから始めよう。と言うことは凄く意味があります。」
斎藤「何かちょっとしたきっかけでも、自分を肯定することができればですね、止まってた人が動き出すということが良くあることなんです。」
斎藤「肯定感が最初にあると医学的に考えても、次の展開につながるってことをいっぱい経験しました。」
ー究極の超人になれ!って引きこもりの人に言ったら、本当にわかりました先生!それが一番価値のある生き方なんですね!ってますます引きこもってしまいますよ!
斎藤「まぁそれもありなんですけど、実はですね、経験的に言うと引きこもっている人が抜け出せないのは、結局世間体を気にしたりとか、世間のものさしに縛られているから、出られないんですよ。
」
ーじゃあ今問題になっている引きこもりは、自分自身を自分のものさしで評価できないというところが問題なのですか?
斎藤「その通りで、社会的な基準だけに依存しているので、自分をどうしても肯定できないのですよね。ずーっと自分を否定しながら毎日を生きている。とても苦しいわけです。逆に言うと、全部肯定できた瞬間に自由になるんですよ。パラドックスなんですよね。ツァラトゥストラが山から降りた時みたいに、肯定が完成したら、もうこもってられなくなっちゃうんですよ。結果的に。」
ー多くの人達とも交わることができちゃうわけですか?
斎藤「できちゃうわけです。自然のなりゆきでそういう風になってしまう。」
西「世間の基準から自分を見てると、大変苦しいし、外にも出られない。そういう自分を「あんたそれでいいよ」と言ってくれる人が必要なのでは?どうです?」
斎藤「でも医師の私が言っちゃうと仕事になってなかなか聞き入れてもらえないんですよね。みんなが承認を求める時代になっている。承認をして肯定してもらうってのが普通の生き方なんですけれども、ここはニーチェ的に「承認抜きで自分で自分を肯定せよ!」と言いたいところですね。」
・就活も婚活も比較の発想になってしまってて、そのままゆくと末人になってしまう。
・精神分析的に一つ正しい生き方があって、「自分の欲望をあきらめないこと」なんですよ。「最後まであきらめないこと、絶対に譲歩しちゃいけない。」でも自分は何が欲しいのか分からないのが最大の難点なんですよ。比較の発想をどんどんはぎ取っていけば、見つかるんじゃないかと思っているんですけど、受験、就職、結婚までずっと比較の発想に慣れ過ぎていると、欲望が見えなくなってしまう。
・ニーチェ的に言うと、世間から評価される前に、どんなことやったら、自分はワクワクできるの?どういうことだったら燃えられるかな?ってそこを考える。
・~に失敗した、それも運命でプラスに導く何かがあるんだと思えれば良い。
・肯定の考え方は、偶然を必然と感じられる才能。
・考え過ぎたことは、すべて問題になる。
・ 到達された自由のしるしは何か?– もはや自分自身に対して恥じないこと。
・ 人間にとって必要なことはただひとつ、自分自身に満足するということである。
・ 隣人を自分自身と同じように愛するのもいいだろう。だが、何よりもまず自分自身を愛する者となれ。
・自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をおがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。そうではなく、最初に自分を尊敬することからはじめよう。まだ、何もしていない自分を、まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。それは、自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。
・ 自分がどういう者であるか理解したい人は、次のような問いを自分に向け、真摯に答えてみればいい。
これまで自分が真実に愛したものは何であったか? 自分の魂を高みに上げたものが何であったか? 何が自分の心を満たし喜ばせたか? これまでにどういうものに自分は夢中になったか?
これらの問いに答えたとき、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ。
・ 人から信じてもらいたければ、言葉で自己を強調するのではなく、行動で示すしかない。しかも、のっぴきならない状況での真摯な行動のみが、人の信に訴えるのだ。
・ 不機嫌になる大きな理由の一つは、自分のなしたこと、自分の産んだことが人の役に立っていないと感じることだ。
だから、不機嫌な老人がいる。一方で輝く青春の真っ只中にいる若い人たちが不機嫌なのは、自分が社会の中で生産的な存在になることがまだなかなか難しいからでもある。
したがって、いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。そのことで自分という存在の意味が実感され、これが純粋な喜びになる。
・ 事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
・ 一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている。
・人間は晴れ晴れとした健やかな愛をもって自分自身を愛することを学ばねばならない。これが私の教えである。自分自身を堅持し、あちこち彷徨うことがないようにである。
・われわれに関する他人の悪評は、しばしば本当は我々に当てられているのではなく、まったく別の理由から出る腹立ちや不機嫌の表明なのである。
・私を破壊するに至らないすべてのことが、私をさらに強くする。
・ いつか空の飛び方を知りたいたいと思う者は、 まず最初に立ち上がり、歩き、走り、よじのぼり、踊ることを学ばなければならない。その過程なくして、飛ぶことはできないのだ。
・君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ。
・ 喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。
・ 私はひとつのモットーに思い至った。それは、与えられた生活を与えられるがままに享受し、決してこれから起こるかもしれない苦難を思いわずらうなということである。とにかくこれが、私がプフォルタで学んだ最大の人生訓だ。苦い思いに苦しめられたり、ひどいホームシックに心が苛まれたり、行く春に心を痛めたり、憂愁に思い沈んだりしたとき、このモットーがひとつの花飾りのように過去の廃墟の間を縫って延びてくる。
・ あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。
・ 真の男のなかにはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
・ 人の上に立つ者は、個人のありとあらゆる美点をこころに書き留め、それ以外のことは消すという親切な記憶を身につけるといい。自分自身についても同様でありたい。
・一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである。
・ 「負けても終わりではない。やめたら終わりだ」
・ たくさんのことを生半可に知っているよりは、何も知らないほうがよい。
・ 一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである。
・ 私はお前たちに私と同じ冒険を、あるいは冒険とは言わぬまでも同じ孤独を勧めるなどと思わぬがいい。なぜなら、自分自身の道を行く者は誰にも会わないからである。自分自身の道とはそうしたものである。誰もそこでは助けに来てくれない。危険、偶発、悪意、悪天候に遭遇したならば、自力で切り抜けねばならない。自分の道をまさに自分のために進んでいるのだから。
・私はひとりでいることにすっかり慣れ親しんでいるので、決して自分を他人と比較するようなことはせず、静かな楽しい気分で自分との対話に打ち興じ、笑いさえ交えて孤独の生活を紡ぎ続ける。
・ 真の男のなかにはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
・ もっと喜び楽しむことを学ぶこと、それこそ他人を苦しめたり、苦しめようと考えたりすることを忘れさせる最善の方法である。
・ 孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私はもっともよく知っている。孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかったのだ。
・ 男たちは、自分の職業がほかのいかなる職業よりも大切だと信ずるか、自分で思いこませる以外に、その職業を持ちこたえることはまず出来ない。
・善も強ければ、悪にも強いというのが、いちばん強力な性格である。
・ いつまでもただの弟子でいるのは、師に報いる道ではない。
・世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。
・ 怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう、気をつけるべきだろう。深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ。
・ われわれが広々とした自然にこれほどいたがるのは、自然がわれわれに関して、なんら意見をもっていないからである。
・この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。
そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。
・ 記憶力が悪いことの利点は、同じよいものを何度も初めてのものとして楽しむことができるということである。
・ 人は、孤独を味わうことにより、己に厳しくなり、他に優しくなる。いずれに傾いても、人格が磨かれる。
・ 悪とは何だろうか。弱さから生じるものは何であろうと悪である。