ジョン・マン 1 波濤編
山本一力
講談社文庫
<病院の待合室で読む>
地域の中核病院で持病の診察を3か月ごとに受ける。その度に8時30分から薬局の時間までいれると11時半まで、病院の待合室で延々と待つ。病院だから、当然、病気持ちがくるわけで、待合室で咳き込む患者があちこちにいる。病院にいって、さらに病気を増やすのもよくないので、咳き込む患者からは離れたところに座る。ところが、何故か咳き込む患者がまた隣に座る。そして、また、安全地帯を探して移動する。と、また。。。なかなか読書に集中できないが、流石、山本一力。こんな環境でも、読ませる。
<続きは明日書くね>
珍しく入った仕事が終わったので、これから書く。タイトルは「ジョン・マン」だが、ジョン万次郎、または中浜万次郎。江戸時代末期から明治にかけて活躍した国際人だ。日本史を習った人は誰でも知っているだろう。数奇な運命をたどった日本人だ。
<万次郎、過酷な少年時代>
ジョン・マン(中浜万次郎)は、今の土佐清水市の中ノ浜で1827年1月27日に生まれた。貧しい漁師の次男として生まれ、わずか9才で父をなくし、家族を支えるために7才から網干の手伝いをし、その後漁師のまかないとして働いていた。家族が多いため、生活は苦しく、母は身体を売ることもあった。この辺は、実際にそうだったのか、小説の話だかは不明だが、当時の時代ではそういうこともあったのだろう。
<新造船での初航海で難破>
中ノ浜で漁師たちから母のことを馬鹿にされた万次郎は、漁師の丈蔵と揉めて怪我を負わせてしまう。万次郎は、母の助けで、中の浜から遠く離れた宇佐浦に逃れる。中ノ浜から逃げる途中、商人船に乗り合わせた宇佐浦の船頭の筆之丞の目に留まり、宇佐浦の網元、徳右衛門のところで働くことになる。徳右衛門の新造船は筆之丞を船長として、初めての漁にできるが、これが悲劇の始まりである。
<まさに、偶然がもたらしたホイットフィールド船長と万次郎の出会い>
この本の幕開けは、1839年10月29日、米国東部ニューベッドフォード港での3者会談から始まる。この会談が成功しなければ、ホイットフィールド船長のジャパングラウンドと呼ばれる、日本近海、鳥島へのジョン・ハウランド号の航海もなく、万次郎の救出もなく、鳥島で遭難した5人の漁師たちも、海のもくずと消えていったことであろう。まさに、偶然に偶然が重なったホイットフィールド船長と万次郎の出会いであった。
<「ジョン・マン2 大洋編」が待たれる>
「待たれる」と言っても、もう出版されてから大分経つが、ようするにブックオフでどうやって見つけ出す、手に入れるか考えているわけである。ネットでも注文できるが、近くにブックオフがないので、送ってもらうとなると、送料がかかる。今、仕事のない私としては非常に厳しい。なので、あれこれ頭をひねっている。流石、山本一力。今から180年以上も前のことを生き生きと再現して、目の前に見せてくれている。次の本が楽しみだ。
