
【内容紹介】
2021年、太子御遠忌1400年!
和の精神 神仏習合 憲法・冠位 対等外交…
古代史のカリスマ・聖徳太子の足跡から
聖者伝説の真相を明らかに。
教科書から「聖徳太子」の呼称が消えて久しいが、
厩戸王こと聖徳太子は、摂政として天皇を補佐し、
十七条憲法の制定、遣隋使派遣など、
大陸文化の積極的な受容に努め、
国家の体制づくりに尽力したことで知られる。
教科書が描き、一般的にイメージされる太子像は、
仏教を重んじた辣腕の政治家であり、
古代史のカリスマであろう。
だが、『日本書紀』などが「聖者」として太子を礼賛する一方で、
太子にまつわる謎・不明な点は多い。
いかにして聖徳太子は「聖者」(カリスマ)となり得たのか?
日本書紀を精読し、あえて書紀が描かなった部分を、
各地の太子の足跡・伝承からも補足しながら、
古代史の第一人者が謎解き風に真実に迫る。
◎本書の目次
第1章 聖徳太子の生涯をたどる
第2章 斑鳩宮と法隆寺の謎
第3章 聖徳太子ゆかりの古寺と史蹟
第4章 聖徳太子をめぐるミステリー
出版社からのコメント
「はじめに」より――
いつの時代でも聖徳太子の人気は高いが、とくに令和3年(2021)は、聖徳太子にとって特別の年になりそうである。それは、聖徳太子御遠忌1400年だからである。
聖徳太子が亡くなって1400年ということで、奈良国立博物館や東京国立博物館での展示をはじめ、さまざまな催しが企画されている。コロナ禍の現在、命の大切さを再確認し、聖徳太子に心の安らぎを求める人も少なくないのではなかろうか。
昨今、歴史上の人物の再評価がさかんである。その結果、評価が変わった人物も少なくない。聖徳太子もその一人といえよう。しかし、聖徳太子の場合、他の人々とは少し扱いが違うように思われる。
そもそも聖徳太子が活躍したのは、7世紀前後の飛鳥朝、すなわち、日本で初めての女帝とされる推古天皇の時代である。そして、興味深いことは、8世紀初めに成立した『日本書紀』には、その超人ぶりがすでに記述されていることである。太子の死後、およそ100年を経て完成した『日本書紀』に太子が伝説化されているということは、太子の死後、あまり時を経ずして、そうした動きが起きていたことがうかがわれるのである。
100年といえば、一人の人間が伝説化する時間としては、さほど長いとはいえない。その点においても聖徳太子は特別な人物といえるであろう。
そして、現代でも聖徳太子といえば、日本人なら誰でも知っているといってもよいほど有名な「超人」といえるであろう。
著者について
【略歴】
1953年生まれ、駒澤大学文学部歴史学科教授。研究テーマは日本古代史。特に『風土記』を基本史料とした地域史の調査を進めている。主な著書に『風土記と古代の神々』(平凡社)、『出雲古代史論攷』(岩田書院)、『古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎』『図説 古代史の舞台裏』『古代日本の実像をひもとく出雲の謎大全』(以上、青春出版社)、『図説 古代出雲と風土記世界』(河出書房新社)、『古代出雲を知る事典』(東京堂出版)、『出雲大社の謎』(朝日新聞出版)など。監修書に『最新発掘調査でわかった「日本の神話」』(宝島社)などがある。