❤️日本の古代文書・日本語の起源についてネットで調べていたら・・・「神社」「神道」のキーワードが結構出て来まして・・・それを除外して、我が母国『日本』の成り立ちを語れません。(宗教アレルギーの方は、ご了承くださいませ。)
その中で、大変誇らしいブログを見つけましたのでご紹介します。
タイトル=『世界は日本から始まっていた!』
「はい、どうぞ・・・」
【世界文明は日本から始まっていた!】
1、世界の元つ国日本
①真の日本史を知るには世界最古の哲学書「カタカムナ文献」や世界最古歴史書「竹内文書」等の古史古伝が必要です。カタカムナ文献で語る世界が「潜像界(目に見えない世界)」とすると竹内文書で語る世界は「現象界(目に見える世界)」で
②宇宙は二つの世界で成り立っています。また、神道では、日本列島は上向き下向き二匹の「龍」が重なり合った形をしているとします。また台湾まで入れると、世界の五大陸が凝縮された形になっているとも言います(陰陽五行)。つまり、日本は世界の"元つ国"であり、ひな形なのです。
ツインドラゴン
③また、創建1万5千年の熊本県・幣立神宮の「日文石板」は、炭素測定の結果約20〜30万年前のものとされ、そこには「大量の糸の原料となる真麻欄を採取し、それから取った細い糸を紡いで衣料を整え、強い兵士を大量に育成せよ。そうすれば敵は彼方に退散する」となるとされています。
幣立神宮
⑮実際、スイスの考古学者デニケンが、エクアドルの古代地下都市跡で日本の縄文土器と「アンデスの黄金版」を発見、これを出雲文字で解読した結果、「マヤやインカ文明を作ったのは、日本の古代海洋民である」と公表しています。
⑯一方、インド、エジプト、南米、アフリカなどの古代遺跡で日本の神代文字を発見している日本学術探検協会の高橋良典氏によると、豊国文字とハングルの類似性から「古代朝鮮も日本と同じ文字を使用しており、少なくとも約6000年以前から日本にあった豊国文字を参考にして作った」と指摘しています。
神代文字
㉑さらに、キリストが日本で習得し故国に持ち帰ったのが「イスキリ文字」、釈迦が持ち帰ったのが「梵字」そして「サンスクリット語」となり、これらがローマ字になったといわれています。
竹内文書1
㉕ちなみにスメラミコトはシュメール語で「シュメールの王」、即ちスサダミコ(スサノオ)を意味します。また「スサノオ」の息子が「饒速日命(ニギハヤヒ)」、義理の息子(末娘の夫)が「大国主」、そして妻が九州の地方豪族「倭国(安曇氏)」の「卑弥呼(後の天照)」となります。
㉖まず神々が降臨し天皇として姿を現した修理固成時代の「白山王朝」ですが竹内文書などによると、国名を「天之越根中津国」といい、富山県婦負郡久郷村御皇城山に歴代の皇祖皇大神宮が置かれていたそうです。スメラミコトのスメラは「皇」ですが、「白」と「王」からなっています。
㉗そこでは、おびただしい神代資料が発見され、とくに酒井勝軍によって発見、翻訳された神足別豊耡天皇からモーゼに与えられたという表裏二つの「モーゼの十戒石」の写し石は刮目すべきです。裏十戒石には、宗教、国家、人種を越え、天下万民が遵守すべき律法が書かれています。
モーゼの十戒石
㉘ちなみに、聖書では、モーゼはシナイ山で十戒を授かったといわれていますが、竹内文書では、アカバ湾から船に乗って来日し、皇祖皇大神宮で41日間修行をし、石川県の宝達山で天皇から十戒を賜り帰国、ユダヤ民衆に与えたとあります。つまり、ユダヤ教の発祥地は日本の「高天原」ということです。
㉛神武以前に先行王朝が三つあり、初めは富士山麓にあった「富士(高天原)王朝」→「不合王朝」→「神倭朝(大和朝)」という流れで、最終的に「神倭(大和)朝」に統一されたとされています。
5、太古の歴史とユダヤ人の出戻り
㊳太古の歴史を紐解くとノアの大洪水などの地殻変動で人々の大移動が行われたようです。この事は竹内文書等の古史古伝の他に聖書、ギルガメシュ叙述詩、マハーバラータにも記されています
㊴更に地球が氷河期に入ったことで、食糧難に喘ぐ日本列島に居住していた原初日本人の多くは、食料を求めて世界各地に移動して行ったと推測されます。例えば、太平洋を海流に乗って島伝いに東に移動したのが「クル族」、ユーラシア大陸を西に進んだのが「カラ族」です。
日本人の移動のイラスト
㊵実際、日本人が東に移動した痕跡が見つかっています。日本ペトログラフ協会の吉田信啓氏によると、熊本県芦北地方には「曽畑式水人がいて、約6500年前、北海道から沖縄に至るまで生活の痕跡を残しており、さらにベーリング海を渡って北米にも生活圏を拡大した可能性が高いと指摘しています。
㊷一方ユーラシア大陸を西に移動した「カラ族」は、現在のエジプトやパレスチナにまで達しました。当時のユーラシアの真ん中にはカスピ海のような大海があり、また現在の華中、華南地域はほとんど湿地帯で、華北以北も寒冷地化していたため定住に適しさなかったと考えられます。
㊸が、西ヨーロッパを起点に東へ展開してきた「アーリア人(アトランティスの生き残り)」が勢力を増してカラ族と衝突、カラ族はメソポタミア(シュメール)、インダスと東に移動して最終的には日本を拠点にした「東大国(ティルムン)」を作ったことが中国の古文書「契丹古伝」に記されています。
アーリア人のイラスト
㊹ともあれ、カラ族が最後に到達したのが”故郷"日本で、この中にはユダヤ十支族も含まれていました。つまり、彼らの渡来は日本への"出戻り”だったのです。
㊺彼らの帰国は縄文から弥生、古墳時代にかけてさみだれ式に行われます。が、大きくわけて大陸方面を南下してきた「前期出戻り組」の物部氏(山渡人)、ペルシャ、南アジア、東南アジアを海伝いにやってきた海部氏(海渡人)らと、「後期出戻り組」の蘇我氏、秦氏の二つに整理できます
秦氏の移動のイラスト
㊻このうち「前期出戻り組」は「日本列島居残り先住民」の海人族(安曇氏)やアイヌ族(阿蘇部)とは穏やかに合流を果たしたようです。理由は「聖櫃アーク」や伊勢神宮、熱田神宮に保管されている「三種の神器」と対の関係の「ユダヤ三種の神器」が同族の証として示されたからです。
㊼なお、古代日本と古代ユダヤとの関係を示す傍証としては、例えば、仁徳天皇陵等の古墳は、古代ユダヤ三種の神器の「マナの壺」の形をしており、丸い部分が女性性、角い部分が男性性を表し、両者で男女という"二元性の融合"を表していると言われています。
㊽また伊雑の宮にはキリストの罪状板が安置され、さらに伊勢神宮の内宮の下ではキリストの血が付いた「聖十字架」も発見されています。伊勢神宮で先祖代々宮大工をしている人の話では、西宮市に「萬谷」という明治天皇の御落胤がいて、知人(中野学校出身特務将校)と共に神殿に入って確認したそうです
㊾そのほか、エルサレム宮殿の門には「十六菊花紋」が、一方、青森県の三内丸山遺跡からは「六芒星(ダビデの星)」が、同じく青森県新郷村(旧戸来村…ヘブライ村)にはキリストの墓があります。
㊿遺伝子的にも日本人の45%に見られ、中韓人には見られない「Y染色体ハブロD系遺伝子」は、世界に分散した古代ユダヤ10支族とその末裔のチベット人や中南米のインディオなどに見られるE系統と同類であることが証明されており、とすれば大和先行王朝だった鵜芽葺不合朝の中心部族は物部系だった
Y染色体
6、ピラミッドは日本が発祥地
①フランスの考古学者・ヴァレン博士はピラミッドを研究、興味深い見解を発表しています。「この建造物は地球上の大聖者が他の進化した天体の神々と交信するための場、つまり、地球よりも遥かに進歩した神人と、
②人類を救済するために地球に降臨した天孫族をつなぐ神殿である」。さらに、東方に向かって座するスフィンクスの左足の下を掘り下げ、石碑を発見。そこには「光は東方より来る。東方の一小国より、全人類の滅亡を救う大救世主が現れる」との記された碑文を発見,解読しました。
十六菊花紋のイラスト
⑥「十六菊花紋」は、バビロンのイシュタル門、スペインのアルハンブラ宮殿、アッシリアのニムルド遺跡の石像、古代エジプトのラムセス二世の妻の胸像、プスセンネス一世とツタンカーメン王のサンダル、アフリカ西部ペナンの古代石板、マヤ遺跡の石像、エルサレムの嘆きの壁などにも刻まれています。
7、関東日之本王朝
①先回「磐余彦(神武天皇)」と長髄彦が大和で戦ったと述べましたが、「記紀(古事記・日本書紀)」によると長髄彦は戦いに強く神武の三人の兄を倒した後、「饒速日(ニギハヤヒ)」の裏切りで殺されたとされていますが、饒速日は物部氏の祖神であり、実在性は低いと考えられます
②その後も長髄彦尊は生き続け、大和国(邪馬台国)を放棄した後「日高見国」に移り、関東を拠点にした「日本王朝」を成立させます。「日本」とは、日の出に近い場所、つまり関東地方を意味しており、埼玉古墳群では「三種の神器」が発見されています。
日本王朝
埼玉博物館にある「三種の神器」の写真。
8、神武天皇と聖徳太子に関する仮説
⑦一方、こちらも謎の多い神武天皇についてですが、神武天皇はモーゼ、聖徳太子(厩戸皇子…うまやどのおうじ)はイエス・キリストという奇説があります。前述したように青森県の戸来(ヘライ)村にはキリストと弟イスキリの墓が現存しています
⑧竹内文書によると、キリストは18歳のとき来日、皇祖皇太神宮の神主・武雄心親王から5年間、歴史や天文学、神業などを学び、狭野尊天日嗣天皇から「向こうで死んではならぬぞよ」との命を受けエルサレムに戻りました。が、迫害に会い再び来日、百十八歳まで生きたと書かれています。
⑨一方、モーゼですが、神武天皇の正式名称は「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラミコト」ですが、ヘブライ語では「カム・ヤマトウ・イブリ・ベコ・シュメロン・マクト」と発音し、意味は十支族の一つのエフライム族の王=サマリアの王です。
⑩またヘブライ語の「モー・シェ」はエジプト語では反対に読み「セ・モー」→「ゼ・モー」「ジ・ムー(ムー人)」「ジンム」と転訛したものと、イスラエルのユダヤ民族研究家ヨセフ・アイデルバーグ博士やアビグドール・シャハン博士が指摘しています ⑪モーゼは日本に帰国し理想の国づくりを目指しました。このためモーゼは物部系でしたがつつがなく先住海人族と合流、天孫族(蘇我氏、秦氏)が中心になった大和朝においても"共通の偉人"として尊崇の対象になったと考えられます。支那共産党と国民党の双方から崇められる孫文のような位置づけです。
⑫ちなみに、釈迦は、皇祖皇大神宮で天之越根尊より指導を受け、インドに戻り仏教を説いたが、52歳で涅槃に入るとみせて日本に再度来日、天寿を全うしたといいます。釈迦の墓は青森県の梵珠山にあり、実際、古くから不思議な発光現象の目撃談が伝わっています。
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