どーも、castom98です。

 

今回ご紹介いたしますのは、和歌山県橋本市にございます織田秀信終焉の地です。爆  笑

奈良から和歌山へ向かう途中で偶然発見し、見学開始。

 

 

国道371号線沿いに説明板があったので停まって確認すると、織田秀信終焉の地とのこと。ポーン

織田秀信といえば織田信長の孫、本能寺の変後に開かれた清州会議で有名になった三法師ですよ!

これは見学しなきゃ!(使命感 真顔

 

 

そういえば、清須会議以降の織田秀信(三法師)のその後は、あまり知られてませんね。

この地で没していたのか・・・(感慨 えーん

 

 

それでは見学開始!チュー

 

 

坂を登ると、山の斜面にいくつかの石碑と祠がありました。

 

 

松山タケノ顕彰碑。

織田家の子孫で和歌山県伊都郡助産婦会を創設したそうです。びっくり

 

 

そして織田秀信の顕彰碑。

元服した後は岐阜城主となり、関ケ原の戦いでは西軍に属して敗北。

高野山に追放となり、下山した後この地で没したそうです。

享年26歳・・・南無・・・真顔

 

 

隣には善福寺旧跡の祠。

高野山下山後は善福寺敷地の一隅に蟄居したそうです。

 

 

さらに高い位置に織田秀信墓所。

 

 

天下布武を唱えた織田信長の孫にしては、あまりにも簡素な墓。

高野山にも墓所がありますが、ここが本来の墓か・・・真顔

 

 

地元の方に手厚く祀られているのが、せめてもの救いか・・・照れ

 

 

といったところで、はなはだ簡単ながら織田秀信終焉の地の紹介を終わりたいと思います。

悲劇の結末を辿った織田信長の孫、歴史ロマンに浸れる聖域ですので興味のある方は訪問してみてください。爆  笑

 

それではまた、次の歴史発見でお会いしましょう!爆  笑

 

 

和歌山県橋本市 織田秀信終焉の地の場所は、ここです