私が小学生の頃、夏休みに、海辺のコテージ(というとオシャレな感じだが、海のそばに立っている掘っ立て小屋)に、父の友人家族と一緒に泊まりに行くのが恒例の時期があった。海で遊んで、シャワーを浴びて、何かを食べて、寝て帰る。ただ、それだけ。

 

一度夜中に、妹の耳にカナブンが入って大騒ぎになった事があった。

泣き叫ぶ妹。誰かが耳に懐中電灯の光を当てて事なきを得た。いや、事なったかも?

耳の中をブンブン飛んだり、足を踏ん張ったりしたのは、かなりの恐怖体験だったらしく、妹はカナブンをひどく憎んでいる。そう、ずっと永遠に・・・。

 

その日、母は朝から着るモノやら食べるモノやら何やらの準備に追われていた。

今思えば、父も私も、もちろん妹も、全く手伝いなどしなかった。

後片付けもしない。それが普通だった。

 

その日の母は、朝からカレーを作っていた。

 

すでに何度か行っているので、事前に料理を作って持って行くという工夫を開始したのだ。昼頃になって父が「おい、そろそろ行くぞ」と言った時、カレーはまだ熱々で鍋の中だった。珍しく母は私と妹を呼んで、カレーを袋に入れるから手伝えと言った。

 

普通のビニール袋を私達に持たせ、あせっていた母は鍋から熱々のカレーをダイレクトにインした。他の家族もいるので、いつもより大量のカレーをイン。

 

そして、袋はそのまま勢いよく破れ、カレーが全て、辺りにアウトした。

絶句する3人。静寂とカレーの熱気が辺りを包み込む。広がり続ける大量のカレー。

 

その後の事は覚えていない。

たぶん、私達は父の車に乗り込み、片付けをする母を待っていたような気がする。

 

朝からみんなのためにカレーを作っても、それを冷ます時間を与えてもらえなかった母を気の毒に思うが、誰も火傷をしなかったのが不幸中の幸いだった。

お葬式の時も、いきなり土砂降りの大雨だったなあ。形見の財布を取り出してみたら、中に微妙にカビが!これから拭こう。そして合掌🙏

 

 

 

現在、世の中が絶賛GW中。

新幹線が蛇で止まってしまったのは、蛇にまつわる様々な逸話をもつ私としては、JRの人達に「お疲れ様っ!」と熱く熱く伝えたい。全くあの蛇の奴らめっ!

 

今年は曜日の並びが悪いと言うが、そんなのは大企業にお勤めの恵まれた皆様のおっしゃることで、医療従事者はカレンダー通りが常。「有休を○曜日に取ると、○○連休になりますよねーっ」とかニュースで毎年聞くが「GW前後のクソ忙しい時に、有休とか取れるかっ!」と毒づいている人達の1人として30年くらいが過ぎた。

 

が、今年は初のパートタイマー薬剤師。無邪気に来週の水曜日を有休にして、昨日の木曜日から来週の金曜日まで連休にしてみた(土曜日勤務の奇特なパート薬剤師)

 

子供時代、ウチのレジャー開催はもっぱら盆休みで、GWに旅行に行ったとか、あんまり記憶にない。土曜日も半日授業の昭和世代なので、盆、正月以外で連休とかほぼ存在せず、GWもせいぜい3連休がMAXだったような気がする。最近の若い子が就職して病むのは、大企業以外は土曜日も仕事で、そうそう簡単に連休にならないのが要因ではなかろうかと思うのだがどうだろう?その辺は昭和世代最強。なぜなら、それがフツーだから(自虐)

 

今日は日差しが強くはあったけど、風が爽やかだった。地球が熱帯化(もはや温暖化ではなかろう)しても、過ごしやすい貴重な季節到来。とはいえ、ウチの家族はGWにそれほど爽やかな気持ちにはなれなくなって10年以上が経つ。

 

父が亡くなったのは5月9日。

 

GWは毎年、キャホキャホ、帰省してきた旧い友人の家に行って飲み歩くのが父の常だった。亡くなった年も、嬉しそうに毎日出歩いて、楽しく過ごしていた。

 

父がいなくなってから、GWが来るたびに「連休中は元気だったのになぁ・・・」と、青い空を眺めながら考えるようになった。そして、ただただ、体と心を休めたくてしかたがない。

 

ゴールデンなウィークとは言うけども、ちょっと長く生きて経験値が増えると、5月の爽やかな空なのに、子供時代には思ってもみなかったような感情がわいてきて困っている。今年は頑張って少し働いたから、上等なお線香を多めに買って仏壇にお供えした。缶ビールを直飲みしていた私に、父が「バカっ!グラスに注げっ!」と冷えたグラスを差し出しながら、叱っていたので、私は今日もグラスでビールを飲んでいる。

大阪関西万博が始まった。ミャクミャクを初めて見た時、こんなキモいのを公式キャラクターにするってどうかしてるね、とか思ったものだが、慣れとは恐ろしいもので、今、私の欲しいものリスト第1位は「ミャクミャクのICOCA」である。

 

YouTubeを見ると、既に訪れた人達の完璧なまでの万博必勝法が沢山アップされており、開催前の様々な批判はちょっと横に置いといて、オバサンでもつい行きたくなってしまう。とはいえ、これからの急激な気温上昇に一体どうやって対処していくのだろうか?心配過ぎる。

 

私は遊園地やテーマパークにはあまり興味が無い方で、世界的に有名な某テーマパークでさえ海の方には1度だけ行ったが、陸の方には今だに1度も行ったことが無い。そして、恐らくこのまま一生を終えるような気がする。

 

そんな私だが、20年前に行われた愛知万博には、友人と2人で足を運んだ。主に行きたがったのは私の方で、計画や予約、段取りなども自分が行った、珍しく。

 

自然の叡智をテーマに、森の精モリゾーとキッコロが公式キャラで、目玉の1つが「冷凍マンモス」だった。私はなぜか、テレビで取り上げられていた、この「冷凍マンモス」に異様に興味をそそられた。リポーターの女性の「見てくださいっ!凄いでっす!マンモスの毛までしっかり見えまっす!」の「毛が見えます」のフレーズが脳に深く刻み込まれて、無我夢中だった。万博の予約開始日には、仕事中にも関わらず、コソコソと携帯(当時はスマホじゃない、2つ折りのパカパカしたやつ)でパビリオンの事前予約をして、朝晩2回見た。

 

今では信じられない話だが、7月か8月の暑い時期だったように思う。その頃はそんな暑いと分かり切った時期でさえ、出かけようという意欲が働く程度の暑さだったのだ。

 

水分摂取を心がけながら、友人と初めて愛知県に行き、万博でマンモスの毛を2回見て(毛以外も当然見たのだが、心の中では「ほんとだ・・・毛が見えちょる・・・」ともっぱら毛にフォーカスしていた)ひつまぶしで有名なお店でその美味しさを満喫し、充実した愛知県旅行をする事ができた。

 

私が執着していたあのマンモスは、発見されたロシアの地名から「ユカギルマンモス」と呼ばれ、今はロシアに帰っているらしい。あれだけの人間に毛をチェックされたマンモス(私のように毛にフォーカスしている人達ばかりでは無いでしょうが)。わざわざ太古の昔の永久凍土から現れ、遙か遠く離れた日本にまで来てくれた。あの夏、呑気で若かった私を含め、沢山の人達に思い出を与えてくれたに違いない。

朝の番組というのは、今も昔も時計代わりのような所があって、とはいえ、令和の現在はその辺実際どうなのか正直知らないが、ウチのような田舎の地域ではフジテレビも写らないもんだから、概ね日本テレビの「ズームイン朝」が何処の家でもテッパンであったように思う。(私が高校卒業したくらいの頃、やっとフジテレビも観られるようになったらしい)

 

ジャイアンツが勝ったか負けたかで徳光さんのテンションが大きく変化し、他の阪神ファン、中日ファン等のおっさん達と、朝からメガホンをシバきながらギャーギャー騒いでいるのが定番で、あんな野球に偏った番組を毎日フツーにやっていたのも昭和ならではであった。現在やっているZIPなんか全く別物で、地球が暖かくなり過ぎた現在、あんな暑苦しい番組を朝からやっていたら、即、苦情であろう。

 

私が小学生の時、この番組の中の人気コーナー「ウィッキーさんのワンポイント英会話」が終わる頃、家を出るのが習慣であった。スーツを着たウィッキーさんが丁寧に朝の挨拶をして、足取り軽やかに獲物?を探す後ろ姿が見えると、私は赤いランドセルを背負い、手提げ袋を持って、すぐ出られる状態でテレビを観ていた。

 

このコーナーは有名になり、都会のオフィス街を明るくお喋りしながら歩くウィッキーさんの姿を見ただけで、走って逃げて行く大人がだんだん増えていった。そのうち、ウィッキーさんが困り顔で街を彷徨ったり、何かを叫びながら必死に追いかけていったりする日もあり、朝から生のドッキリテレビを観ているようなもので、ついテレビに夢中になり、予定より出発が遅れる私は「あんた、大丈夫なの!」と母に叱られる日も度々であった。

 

その頃は、流暢に英語をしゃべる人なんてほとんどいなくて、今だったらちっとも面白くないコーナーだと思うが、喋れる・喋れない以前に、朝から生放送であんな風に知らない人に話しかけて、そのままそれを流すなんて到底できない事に違いない。

 

色々、窮屈になったものだ。

 

ウィッキーさんが、ニコニコ笑って、誰にでも気軽に話しかける事ができて、朝からみんながそれを眺めて呑気に喜んでいた時の方が、英語は喋られなくても楽しかった。そして多くの人達が密かに「大人になったら、いつ質問されても大丈夫なように、英語を頑張って勉強しよう!」と思わせてくれたウィッキーさんはとても偉大だと思う。