いかにもシドニーという風景ですな。

 

 

2022年は大きな節目の年でした。

年が明けて2年ぶりにオーストラリアに戻り、その失われた時間を思い知った私は、再び日本に戻ると、日本の生活拠点の大々的整理にかかりました。その間には息子が1△年ぶりの帰国をして、一緒に日本三昧をしたりしていたのですが、同時に息子の転職とか(勤め先の変更)いろいろなものが動き始めました。

 

オーストラリアに戻ってからは、それまで住んでいた家の売り出しと、シドニーへの引っ越し。1年間だけの賃貸の部屋探しとスケジュールがびっしり。そこに7月の新会計年度を迎えたオーストラリア政府から、永住権が降りるという通知です。

 

私のビザ事情というのは、「こんなに時間がかかった人を見たことがない」と言われるくらい、不運なヒストリーを持っています。

仕事を辞めて12歳の息子を連れてオーストラリアに渡った時は、子供が14歳以上になっていればリタイヤメントビザが取れました。私はガーディアンビザという、18歳以下の留学生の保護者という資格のビザで渡豪していましたが、当然それをリタイアメントビザに切り替えるつもりでした。しかし息子が14歳になる直前に、それは16歳以上になり、18歳になり、21歳になり、ついに扶養する子供がいる場合はダメという規則になってしまいました。

 

というわけで、息子が大学生になって(子供が18歳になるとガーディアンビザが切れる)私はオーストラリアを離れました。まあここがラストチャンスと、世界を思いっきり旅していたのですが。このブログを始めたのも、その時点からです。

もちろん、ちょくちょくオーストラリアには帰っていました。

 

息子は6年間の大学生活を終えると、即座に永住権を手にしました。12年のオーストラリア滞在歴と希少人材というので、就職が決まる前に永住権が降りちゃうんですよ。世界中の国が、優秀な移民の奪い合いになっているんです。

 

息子が卒業と同時に永住権を申請したとき、私を呼び寄せるペアレントビザも一緒に申請されました。こちらの方は、当時2年かかると言われていました。

この時点から私は「永住権申請が認められて待っている人」というポジションになり、1年のうち半分をオーストラリアで過ごし(それ以上いると税制上面倒なことになる)、残りの半年で旅三昧をしていました。

 

しかし政権が変わり、移民枠(移民を入れる総数)がどんどん減り、予定を遥かに越えて待たされる羽目に。そして「今年は絶対に連絡くるな」という2020年に、世界はコロナによるロックダウンを迎えてしまいました。

「稀にみる、ビザ運がない人」は、コロナにとどめを刺されたのです。

 

というわけで、移民誘致が再開した2022年は通知が来ることを予想していたのですが。

 

待っていたものが来たら嬉しいです。でも迷いもありました。2022年が節目の年だったのは、諸々の情勢だけではありません。私ね、2022年の夏に70歳になっちゃったんですよ。

60歳になった時は「なーんだこんなもんか」とジャングルを歩いていたけれど、70歳はさすがに体力の衰えを感じます。坂本龍一と同い年ですからね、いつ死んでもおかしくない年でもある。

そして私が申請した親ビザは、400万円以上の寄付を伴います。

 

生活を築き直すのって大変だし、健康寿命は長くてもあと10年ちょいだし、生活費は日本の倍以上かかるし、そこに400万円の支払いですよ。どうする私。

 

しかし事態はどんどん進展します。オーストラリアのCT検査で過去に5.6回もひどい肺炎になった理由が解明しました。診断は「気管支拡張症」。乳児だったころの肺炎が原因で、気管支が不可逆的な損傷を負っており、極端に感染症に弱い。つまりコロナやインフルエンザに対する、ハイリスク者であることがわかってしまったのです。

 

これが意味するところは、医療資源の乏しい国の未開地には行けないということです。肺炎の苦しさは誰よりも知っているので、死んでもいいとまでは思えないし。

まあ、早くに病気がわからなかったのはラッキーね。さんざん大自然を堪能しちゃったもん。でも、あのネパールの虎が最後になるとは思わなかった。

 

というわけで、私が暮らしていけるのは、抗ウイルス剤がすぐ処方してもらえる日本かオーストラリアの2択だけになりました。こうなると、選択は簡単です。少々しんどくても、刺激的で先が見えない方を選びます。学校にも行きたいし。

 

一応ね、日本での老後も調べました。でも社会人講座的なものは、歴史とか文化系に偏っているし、日数も少なくてぜーんぜん知的刺激がありません。そりゃあ外食は安くて美味しいけれど、なんでも手に入る生活は単調で、想像しただけで気が滅入ります。日本って、旅の合間に寄るには最高なんだけれどね。

 

ひと通り較べて、私はオーストラリアで定住することにしました。自活が無理になったら日本に戻って老人ホームに入ればいいし。

うん、日本の先行きも不透明だから、マレーシアあたりの老人ホームもいいかもね。美味しい食事で選べばタイかな。金銭的にやばくなったらベトナムあたりで。

 

行き当たりばったりの旅人の老後は、やはり行き当たりばったりになるようです。

 

ジャングルに行けなくなったことに、感想はもちろんあります。そりゃあ残念です。でもずっと頭の中にあって残してしまった所は、ノルウエーから小船で向かう北極圏の島のシロクマとか、南米パンタナールのジャガーとか、ああ、ボツワナのリカオンをまだ見ていないなあ。

即座に思いつくのはそれくらい。

 

「人生すべて前倒し」の座右の銘のもと、自分でも呆れるくらい、あちこちに行っています。やはり先を急いだのは正解でした。あのとき行っておけばという後悔はありません。

行けなくなった場所を嘆くより、目の前に開けた道をガンガン進むことに集中したいと思います。

 

ここからは異国で老後という新しい旅です。

 

一般にいう老後生活ってやつには、出来ることを少しずつ削りながら日常を延長していくイメージがあります。穏やかでいいかもしれないけれど、私にはフィットしません。

やっぱり明日の見えない、旅に例えられる人生がいい。

旅は時には過酷で、時には孤独で、袋小路に入り込んでしまうこともあります。でも、だからこそ雲間から差す光に感動するし、新しい出会いもあります。

 

そういうわけでこのブログを休載し、新しいブログを起こすことにしました

新しいブログは「オーストラリア暮しの手帖」。←リンク

超ジミなタイトルにして、オーストラリアを中心とした海外在住者のお役立ち情報を書き綴る予定です。

ただ先行きはどうなるのか全くわかりません。マレーシア老人ホーム情報になっちゃうのか、オーストラリアでは認められた安楽死情報になっちゃうのか、その前にバッタリ逝っていきなり更新が止まっちゃうのか。

 

やっぱ、先が見えないのっていいなあ。

 

 

 

 

 

水際対策は、思っていた以上にシステマティックに流れていました。

でも問題は多々あります。

 

いちばんは、隔離対象ではない入国者です。隔離施設はいま、全国で1万3000室。平均6日隔離されるとしたら、2000人ちょい分しかないんだから、入国者の3分の2は家へ返すしかないんです。

 

それらの人々は、我々のように専用バスに乗るのではなく、空港を出た途端に監視の目がなくなります。でもって、公共交通機関を使う人が続出します。

 

実際に大量の入国者を目にすると、その人々が公共交通を使うのがよくわかります。だって入国者って、1日4000〜6000人だよ。みんながお迎えや帰国者用ハイヤーを頼んでいたら、駐車場はそういう車であふれるはずだもの。

 

これだけの人員と費用を検疫に使っているのに、なんでその先をほったらかすか。監視するのは簡単なはず。根本的には、外からのウイルス流入をあきらめているんでしょうね。

 

 

 

また外国人の入国を今は禁止していると言っても、正確には「原則禁止」という表現です。帰国者には日本人以外が大勢います。各セクションにも、係員に中国系や西アジア系がいっぱいいます。多言語に対する対応です。これを止めたら、国内の人手不足で、今度は違う問題が起きます。

 

ハワイ便は確かにリゾート客ばかりだけれど、国境をまたぐ圧倒的多くは、ビジネスがらみなのよね。

知人のバックパッカーは運び屋の仕事をしています。世界に点在する工場で、パーツが1個でも足りなくなると、工場全体が停止します。彼女は日本からそのパーツをスーツケースに入れて、特急で届けるんです。全てが繋がったグローバル化した世界。

 

だから私みたいに遊んで帰ってくる帰国者はほんの一部で、それを止めても人の動きは止められません。つまりウイルスは防げないんです。

 

 

もう一つの懸念は、空港に大量にいる、検査までの道のりを案内している人々です。今回の羽田では、防護服を着ている人を一人も見ませんでした。マスクとゴム手袋はしています。でもゴーグルやフェイスガードは滅多に見ず、いても私物とわかるもの。ヘアキャップもしていないし、マスクだって我々がしているものと同じです。本物の医療用じゃない。

 

かがんで顔を近づけ、一緒にスマホ画面をのぞき込んで、アカウント作りを手伝っている彼ら。

 

 

マスクをしていれば完全に感染が防げるなんて、そんな話は聞いたことがありません。日本人は真面目にマスクをするから感染が広まらない、そんな神話が一人歩きしだしているような気がします。

 

若い案内係りたちは、たぶん雇用形態としては非正規でしょう。41人もいた発症者たちの6割がオミクロン株だったとしたら24人。その人たちと関わったのは彼らです。若いから大丈夫? なんか雇用側のそういう気持ちがすけて見えます。

 

オミクロン株が出ても、たぶん空港関係者は濃厚接触者にはならないでしょう。だってそんな指定をしたら、誰もいなくなっちゃうもの。

 

 

 

表面的には、がっちりと出来上がっているシステムですが、ちょっと角度を変えて見ると、スキがいっぱい見えます。

 

無理とわかりつつ、出来るだけウイルスが入らないようにしても、最終的には、やっぱりワクチンと治療薬しかないんですよ。あとは個々の人の体力なんだけど、このてんで高齢化社会というのは、根本的な問題を抱えてるんだから。

 

水際対策で時間を稼いで、その間に何が進展したのか? そろそろ検証されるべきですね。だって多分もう、堤防の穴から水は漏れていますよ。

 

 

 

 

ブログ報告はここまでかな。もし大きな変化があったら書き足します。

同じ飛行機からオミクロン株感染者がでる可能性もゼロじゃないから。

とにかく無事に退所したいものです。

 

 

 

目が覚めたら、ちょうど朝日が登るところでした。

時差ボケのおかげで、しばらくは健全な生活ができそうです。

 

 

この施設は急遽用意されたのがミエミエで、テレビはタブレットだし、昨晩はモバイルルーターの設定を自分でやらされました。ドライヤーも電気ケトルも、ぜーんぶ新品です。

 

 

 

食事は毎回部屋の前に置かれ、館内放送が流れると、マスクをしてドアを開けて回収します。

 

 

 

でも、内容はやはり災難状態です。

 

朝8時半朝食。これはひどい。部活後の中学生のチョイスかと言いたくなりますね。ジュースでビタミン取れと。

 

 

 

12時昼食。置かれてすぐ回収したのに、全く温かくありません。さめた揚げ物にしなびた千切りキャベツ。先が思いやられます。

 

 

 

18時ごろ夕食。牛丼ですか。冷めた牛丼ってのは、食後に牛脂が口の中に残って気持ち悪いよ。お茶と味噌汁は昼食と同じだし。

 

 

あまりの味に、電子レンジ取り寄せてやろうかとアマゾンをチェックしたんだけど、いかんいかん、あとどーすんだよ。持って帰れないし、捨てるわけにもいかないし。ここは4、5日の我慢です。


 

そのほかに、朝イチの健康報告。富士通の健康観察チャットサービスなるものに、携帯かPCでアクセスして、体温等を報告します。遅れると館内電話がかかってきます。

 

 

さらにMySOSという、スマホに入れられたアプリからも、突然の連絡がきます。内容はほとんどないんだけれど、こっちは位置確認です。とにかく応えなくちゃいけないのよ。

 

あとは隔離3日目と、退所する日に抗原検査があります。すごく安心。とにかく日本にウイルス持ち込みたくないからね。

 

ここに来て、いろいろなことがわかりました。まず隔離は飛行機ごとじゃないのね。私のいる施設はシングルルームだけなので、みんな一人で帰ってきた帰国者です。どこから帰ってきたかはバラバラで、3日間、6日間、10日間の隔離者が混ざっているようです。

 

もし誰かがコロナを発症しても、その段階では隔離されているので、残りの人々は無事に解放されるそうです。

ただし、オミクロン株の場合だけはそうはいかないのよ。同じ飛行機に乗っていた人は濃厚接触者になり、管轄が各都道府県に代わって、専用施設に移って様子を見ます。そっちはカンベンしてくれ〜。

 

 

 

他はどうってことない、ただの引きこもり生活です。

 

食事はひどいけれど、この施設は私にとっては当たりでした。

ベランダのガラス戸を開けると、目に飛び込んでくるのは美しい木々。地面には落ち葉が降り積もり、かすかに残った紅葉が、淡いコントラストを見せています。

 

 

このへんはまだ、武蔵野の雑木林の面影が残っているんです。

広い空は澄んで青いし、季節の移ろいを感じる風景は、心に染みます。

 

 

夕暮れの空を見上げていたら、外の世界から「おうちに帰りましょう」のアナウンスと音楽が聞こえてきました。懐かしいあのスピーカーの音です。一瞬、様々な夕暮れの思い出がなだれ込んできます。

 

これ、演出できすぎでしょう。胸がつまるほど日本じゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、一睡もすることなく着いた羽田空港。やっぱ無理なんだよ、ハワイ線は子供が泣くから。

まあ、それはいいんです。映画3本観たし。

 

 

シートベルトサインがなくなると、機内で待つこともなく外に出ることができました。しかしね、そこにはベビーカーがずらりと並んでいます。

 

 

両親も大変だけれど、小学生くらいの子供達は、楽しいハワイの思い出が、隔離生活の思い出になっちゃうよ。やっぱ、コロナ渦って最悪。

 

 

隔離への道は、驚くほど整然と整っていました。至るところに案内人の若い子がいて、帰国者たちを誘導していきます。

 

 

ゴムの輪がついた緑色のプラスチック板を渡されて、それを腕にぶら下げます。大人数ですからね、遠目にも検査途中ってすぐわかるようになっているんです。

 

マニュアルが完成してますよ。コンピュータで管理できるように、コード付けが徹底しています。私は初期を知ってるもん。1年8か月前に救援機で帰国した時は、検査をするだけで、それ以上のことは何も準備されていませんでした。紙に住所や名前を書いただけ。

 

 

アプリのチェック、アカウント作り、メルアドの確認メール、宣誓書、渡航履歴、飛行機の座席位置、呆れるほど登録することがあります。みんな黙々と、ベルトコンベアーに乗ったように、次々にくる関所を越えていきます。

 

抗原検査は、かなり最後の方でした。この唾液提出が終わると、広い待合室で番号が呼ばれるのを待ちます。

この待合室に入ったのが20時。飛行機を降りてから、1時間強が立っていました。これだけの人数ですから、効率は上々です。

 

 

 

ただ、この待ち時間が長かった。検査結果は先に行われたもの、つまり若いナンバーから5.6人分ずつ呼ばれていくわけですが、やけに古いナンバーが呼ばれたり、連番の間が抜けていたり、検査のやり直しや、怪しい唾液の再検査がうかがわれます。

私は飛行機の後ろの方に座っていたので、番号が呼ばれたときは、もう21時になっていました。

 

 

陰性だったことが告げられて、ピンクの紙をもらいました。ここから先は、これが陰性証明になります。

ここで陽性だった人は、翌日のニュースの陽性者数になるんだよね。

 

 

これでもって、ようやく普通の入国です。つまりパスポートをチェックしてもらって、スーツケースを受け取り、税関を通り、表に出るわけです。

 

でもいつもと違うのは、一列になってカートを押していくこと。周りには警備の目があります。お世話がかりもついています。

いきなり日本の冬の風を浴び、疲れ果て黙々と歩く人々。なんかね、国境を目指す難民の群みたい。

 

 

そして案内されたバスに乗り込みました。さあ、隔離ガチャの始まりです。

 

 

22時05分、バスがスタートしました。都心環状線から首都高に入ります。

うーっ、品川あたりがいいなあ。でもバスは首都高C3からC2に向かいます。

池袋かあ? それも虚しく通過。やばいよ、このまま行ったら大宮? 関越道に入られたら、最悪栃木県とかありか。

 

 

でもバスはいきなり埼玉県の和光市で高速から降りました。やったあ、片道1時間ちょいなら上々です。でもこんなところにホテルなんてあったっけ。

 

 

 

ついたのは不思議な場所。マンションでもないし、場所的にオリンピック村でもないよね。あとで聞いたら税務大学という国税庁が管轄する大学の学生寮らしいんだけど、ホテル以外を想定していなかったので、当たりかハズレかわかりません。

そしてまた、受付の順番待って、隔離生活の細かい説明がありました。部屋に入れたのは、飛行機を降りてから5時間半後でした。

 

 

 

結論から言うと、ビジネスホテルに比べると広くて悪くありません。ベランダがあって(出てはいけない)、ビジネスホテルのはめ殺しの窓よりマシ。

ただ問題は、電子レンジがないんだよね。調理設備が稼働していなくて、マジで弁当漬けになりそうです。

 

 

 

6日間の隔離生活が始まりました。やることはいっぱい溜めてあるから大丈夫。

コロナ渦の引きこもり生活に戻ってきましたよ。

 

 

この日の空港検疫(成田や他の空港も含めるよ)では、過去最高の41人の陽性者が見つかったそうです。下は10歳というと、ハワイ便かも。ワイキキビーチは、みんなマスクしていないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ帰国です。

Uberを使って空港まではスムーズ。でも空港内の出国手続きはけっこう密でした。

 

 

 

 

そしてようやく出国エリア内に入ると、驚いたことに免税店が閉まっています。弟に頼まれたタバコ、買えなかったよ〜。ワイキキの免税店が無くなって、空港にはあると聞いていたのに、化粧品を売るコーナーを除いて、あとは全滅です。

 

 

 

ボーゼンと立っていると、女の子から声をかけられました。

「ん?」。「私です。〇〇○です」。

そういえばいたなあ、2週間だけの留学の高校生です。

ごめん、ごめん、服装が似ててマスクしてると、わかんないのよ。

 

「隔離期間が今日から6日間になったの知ってますか?」

「なぬーっ!?」

 

あわててググりますが、そんな情報は一切ありません。

でも厚労省のウエブサイトに飛ぶと、確かに12月20日から6日間に変更とあります。ルーペで見たいほどの小さな字でね。

 

うむむ、ぬかった・・・。

 

調べてわかったのは、12月17日付で厚労省からプレスリリースされたということ。

でもそれを報道したメディアは皆無です。

 

 

この高校生、海外一人旅も、海で泳いだのも初めてという、学校という場がなかったら、まず出会わないタイプ。そういう子は、親も真面目なんだよね。遠い地からはるばる娘を車で迎えに行くために、厚労省のページにある「情報は変わるのでこまめにチェックしてください」を、真面目に毎日チェックしていたというわけです。

 

ま、私のおごりですね。

海外旅行に慣れているのが、裏目に出たわけです。

どうせ14日間自主隔離ですから、3日が6日になってもいいんですよ。サプリも下着も多めにあるし。でもねー、隔離期間用のお菓子は3日分しか用意してないんだよ。

 

 


 

背景にある状況は理解できます。

特にあれね、彼氏がサッカー観に行っちゃったやつ。

国民のショックに、聞く耳を持つ政権が、緊急に答えたわけです。

この急な決定だと、もう宿泊施設は期待できませんね。ひたすら増える隔離者を、どこまで国費で管理できるんだか。

並行してファイザー手に入れようよ。外交やってよ。

 

 

しかし、この決定はまぐれも含んで大正解。

実はハワイの金曜日(日本時間12月18日)のコロナ感染者の集計は、いきなり前週比200%に跳ね上がったんです。ブラックフライデーから3週間。いよいよやってきました。

アメリカ本土やヨーロッパから半月ずれて、感染爆発のサインです。

私が最後の休日を観光客のいないアラモアナ公園で過ごしていたのも、それが一因です。

 

みなさん、私のように人混み避けていませんからね、絶対に感染者増えるって。

目の前にいるこの女の子だって、最後の最後までアラモアナショッピングセンターやワイキキで買い物しているわけですよ。こら、空港内でマスク外すな。

 

 

ただちょっと引っかかるのは、その費用が全て国費だということです。

景気対策だと思えば、ありか・・・。広告代理店に何百億のお金がいくよりは、困っているホテル業界や、その手配を行う民間人にお金が回ってベターかもしれない。

でもね、前提が理不尽すぎて、納得はいきません。中間手数料が既得権益者に、湯水のように流れているんだからね。

 

 

飛行機はガラガラでした。最初から、中央3列席の真ん中に一人、左右の席に各一人、そういうふうに定員を制限しているんです。

でもワイキキとは違って、ここにいるのはほとんどが日本人。

あちこちで子供の泣き声と、ママ〜という声がします。

 

これを6日間隔離っていうのは、大変なことですよ。だいたい、まだみんな知らないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝7時に起きたら、ちょうど夜明けでした。

ハワイも冬なんですよね。

 

 

朝のいちばん青い海も見納めです。

次はいつ来れるんでしょうね。

 

 

次は隔離先からになります。

隔離ガチャ、どこが当たるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナ渦の帰国準備はストレスいっぱいです。

それでなくても2か月分の片付けは大変なのに、加えて国指定のいろいろなアプリをダウンロードして、QRやら陰性証明やら取らなくちゃなりません。

だから1日前に全て終えて、最後の1日は休日にしました。

 

だってせっかくのハワイだよ、最後は気持ちよく過ごさなくっちゃ。

 

 

最後の休日に私が選んだのはアラモアナビーチ。

アラモアナショッピングセンターを海側に抜けると、上の写真のような眼に眩しい芝生が広がります。この向こう側がビーチなんです。

 

 

アラモアナセンターは、いつも人で賑わうのに、このビーチに観光客は来ません。海岸も海に突き出たマジックアイランドも、いつもすいていて、地元の人がのんびり過ごしています。

 

 

 

ここはベイビー用のビーチでもあります。波がなくて浅くて、バシャバシャ水をはねる大きな子もいなくて、浮き輪をつけたチビちゃん達が、ママと一緒に水に入っています。

 

このビーチの、のんびり感が私は大好きです。

ワイキキの賑わいとは遠く離れた、原風景のような海を感じます。

子供のころスイカをかじった、あの海の思い出です。

 

 

 

後ろにはワイキキのビル群が見えるのに、ここだけは静かな時間が流れています。

 

 

でも今日の目的地はビーチではありません。

アラモアナショッピングセンターとこのビーチの間には、広大なアラモアナビーチパークが広がっています。そこがワイキキとは違うのよね。

 

 

 

懐かしい公園をゆっくり散歩します。大きな青い空と巨木、そして向こうには青い海。これこそがハワイだと思うんだけどなー。

 

 

 

 

花が咲き乱れる木があれば、不思議な実をぶら下げる木があります。聞こえるのは鳥のさえずりだけ。

 

わあ、この売店まだあったんだ。

まだ浮き輪だったころの息子は、いつもここのフライドポテトをぱくついていました。ローカル値段だからね、ランチプレートもワイキキの半額なんです。

 

 

今日のランチはここで買おう。

 

 

ランチを持って公園の中心に向かいます。

いいベンチを見つけたよ。

 

 

このあと2時間くらい本を読んで、バスでワイキキに戻りました。

 

 

爽やかな海風を受け、体の芯まで青と緑に染まって、幸せだなーと思える時間でした。

 

 

この気持ちを、箱に入れてしまっておければいいのにね。

だって帰国したら、そこはどんより冬で、しかも隔離なんだもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京、最高気温が8℃だあ!?

 

帰りたくない。帰ってすぐ、お気に入りのマグロ丼をデリバできるならいいけど、隔離弁当は嫌じゃ〜。

 

とブツブツ嘆きながら、帰国用陰性証明書を手に入れるため、PCR検査場に向かいます。

ハワイは晴天。半袖Tシャツで、汗が滲むほどです。

 

ワイキキのど真ん中、ワイキキショッピングプラザの4階。ここにはHIS系の検査場と、セントルークスクリニック(日本の聖路加病院が行なっている)検査場の2か所があります。

 

 

検査場でまず、事前に問診票に答えて受け取った、QRコードとパスポートをを提示します。

次に検査キットを渡されて、アクリル板越しに指導されながら、大きめの綿棒的なもので口の中をぬぐって、溶液につけて渡します。歯茎と頬の間を、何度もこする感じです。

 

 

結果は翌日PDFファイルで送られてくるので、自分でプリントアウトします。

ついでに空港で必要なアプリ2種について書かれた案内や、空港で必要になる宣誓書なども渡されました。さすがHIS系ね。私は全部用意してあるけど。

 

費用は約200ドルです。日本円にすると2万3000円くらい。無料PCR検査場はいくらでもありますが、厚生省指定形式でなければならず、ハワイのように便利でないところでは、日本領事館に問い合わせて、指定医療機関で検査を受けるようです。

でもって、帰国後はまたPCR検査&隔離と。

 

 

ここまではすごくちゃんと対策ができています。問題はやっぱり、感染指定エリアでない所からの帰国者と、何度も言っている日本の空港を出て以降です。

誰にも会わないと言う宣誓書を提出させると言っても、法的拘束力はないんだから。大事なのは、もし感染していたらと考える、想像力のですよ。

 

弁当が嫌だとぼやいていますが、3日間の隔離はむしろありがたいのよね。出所時の検査もあるし、その後自宅で行う検査キットも渡されるはずです。

日本にウイルスを持ち込みたくないし、ましてや近親者に迷惑かけたくないもの。

 

 

 

今のところの空港検疫をすり抜けたオミクロン感染者の情報を並べてみると、空港と機内がめちゃ怪しいですね。機内感染についてみんなが口を濁すのは、証明できていないからにすぎません。

 

ただ隔離にも問題が内在します。隔離ガチャと言うヤツです。なんか九州まで国内線で送られたとか、ホテルの前でバスに閉じ込められたまま朝まで待たされたとか、濃厚接触者をますます濃厚にしてるんだもの。

 

機内食には一切手を出さないで、飲み物も飲まないで、二重マスクしたまま頑張ろうと思っているんだけれど、そんなに長時間は耐えられないよ。

 

 

帰りはエスカレータを使ったら、下のフロアにANAのラウンジがありました。真っ暗で閉鎖されています。いたるところが閉鎖です。ワイキキのあの大きな免税店もなくなってしまいました。

 

 

こういうの見ると、やっぱり寂しいねー。欧米人が増える一方で、日本人はいよいよ見かけなくなりました。

 

帰り道、トロリーバスの乗り場に、欧米人が集まっています。振り返ってながめたけれど、日本人は一人もいません。本来なら日本人の親子連れで賑わうところなのに。

 

 

 

 

もう検査結果が送られてきました。陰性です。これだけ外食とか控えていて自信はあったけどホッとしました。

もし陽性だったらどうなるか。ハワイで10日間の自主隔離ですよ。帰国便に乗れないだけでなく、クリスマス前の高い部屋に泊まり続けるわけだから、費用もすごいだろうな。

 

 

明日はハワイ最後の日。荷造りは8割方終わっているので、ゆったり外でハワイを楽しもうと思います。

そうだ、本を読みに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早起きして、ブースターショットを打ちに行ってきました。

学校の2つ先のバス停なので、何の不安もなく行ったんだけど、どこにあるのかわかりません。ビルの中をうろうろ。

 

 

Wargreen pharmacyという名前なので、てっきりその辺のドラッグストアチェーンだと思っていたら、本格的な調剤薬局でした。

 

 

 

パスポートと日本のワクチン証明を見せて、外国人なんで、メディケアとかアメリカの保険はありませんと言うと、軽く「問題ないわよ」と言われました。

 

めっちゃソーシャルディスタンスな待合室で、病歴やアレルギー等の問診票を書き、15分ほど待って、いよいよ接種。

 

外国で打つの初めてだから、なんか怖いと言うと笑われました。本人確認で生年月日を聞かれ、決まりごとなんでしょう、ワクチンの説明が少し。

 

 

そして金髪薬剤師にブスッとやられましたよ。感想としてはね、日本より打ち込みが強い。グサッときましたね。あと違うのは、終わった後の血止め。なんなんだ、このでっかいコットンと赤いテープは。

 

 

接種後は10分座っているように言われ、思わず10分?と聞き返してしまいました。その間にもらったのがワクチンカードなるものです。1回目と2回目のところは、もちろん空白です。

 

 

バーコードが入った紙ももらったんで、QRコードをとるときは、こっちを使うのかな? とにかく、簡単に済んでしまいました。

しばらく付けてろと言われて、巨大なコットンのまま退出しました。

 

 

費用はゼロです。薬局は私のパスポート情報で、政府から接種代金をもらうそうです。

ありがとうアメリカ政府。ワクチン供給の見通しが立っていない日本で、一人分が節約できましたよ。まあ、ものすごい金額をアメリカ企業に支払っているんだから、1人分くらい出してもらってもいいであろう。

 

 

 

そのハワイのオミクロン株状況ですが、昨日ホノルルのクイーンズ病院でクラスターが発生しました。スタッフ6人と患者1名です。6日ぶりの感染者です。

これで累計感染者数は州全体で12人になったそうです。

 

 

過去の新聞をたどってみると、感染判明者が寄ったバーの名前などがしっかり載っていて、この日付にそこに行った人は、至急PCR検査を受けるようにと呼びかけています。無料検査場があちこちにあるからね、簡単なんだよね。

そして次々とブースターショットを打つ人々。

ただ日本人は、そういう情報に誰もアクセスしていないから、怖いもの知らずとも言えます。

 

 

クリスマスと大晦日を控えて、観光客はますます増えています。

スイス人のSによると、本国は雪で、先週末に帰ったPは、寒さに震えているそうです。ヨーロッパの寒さはハンパないし、昼間がすごく短いから、生活に少しでも余裕のある人々は避寒で海外に出ます。海外バカンスに出られない層は、それだけで惨めな冬だと聞いたことがあります。

 

ハワイに到着した人々は、レイをかけてもらってハワイアンな服に着替え、本当にハッピーな笑顔を見せています。

ハワイ住人は戦々恐々としながらも、やっと来た稼ぎどきを頑張っています。

 

 

 

日本ももう寒いんだろうなー。

 

 

あ、学校は今日でおしまいです。明日は予備日ね。

いちばん気の合う、教師カサリンとツーショット。

私が満点を取るたび、「上のレベルに行け!」「やだね!」と大声をあげ合っていたファニーな関係。

その彼女も明日から2年ぶりに、やっと故郷の国に戻れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハワイ滞在もあとわずかになって、今日は一つ手前のバス停で降り、夕映えのアラワイ運河沿いを、のんびり散歩しながら帰りました。

夕方のアラワイ運河には、ジョギングや犬の散歩をする人が行き交います。

 

名残惜しいのはワイキキではなくて、爽やかな風と大きな空なんです。アラワイ運河のゆったりした流れは、ハワイのもうひとつの顔です。

 

 

 

今日はオーストラリア時間(日本と時差はほぼ同じ)で国境が再開する日です。

部屋に戻ってネットにアクセスしてみると・・・・。

なんじゃこれ、とんでもないぞ。

オーストラリア国内で意見が分かれてもめています。

 

 

現総理は開国派で、ウイズコロナで国をオープンする方向。実際にシドニーやメルボルンのある州は、本日、日本人と韓国人に国境を開きました。しかし議会には反対勢力も多く、メイン3州以外は日本人の受け入れを中止しました。その再開を中止した州の中には肝心のクイーンズランド州が入っています。

嘘と言ってくれ〜。クイーンズランドの州知事は、頑固なんで有名なのよ。

 

日本のオーストラリア大使館のウエブサイトも、メインページでデカデカと日本人と韓国人は入れるよ〜とうたっていたのに、1日でいきなり歯切れの悪い表現になりました。

 

クイーンズランド州のウエブサイトをチェックすると、ワクチン接種率が80%を超えたので、他の州との行き来は認めるけど、過去14日以内に外国から戻ってきたオーストラリア人、外国から来た人は14日間専用施設で自費隔離。州民の安全が最優先とぶち上げていますよ。

 

問い合わせが殺到しているようで、延々と長いQ&Aが並んでいます。

これはクイーンズランドの住民も、相当ショックであったでしょう。観光と留学という、2大産業が動けません。

 

 

 

まあね、気持ちはわかるんです。オミクロン株の正体が、まだわからないのですから。現在日本が、外国人の入国を一切禁じて、帰国者を隔離しているのと同じです。この頑固な州知事のおかげで、クイーンズランド州はコロナとはほとんど無縁で、息子は平和な日々を暮らしてきました。

 

この先の見通しは?という質問に対しては、ワクチン2回接種率が90%を超えたら考えるかもしれないけれど、そのときの状況次第だという答えが書かれています。科学的には正しい。ワクチン効果がわからないオミクロン株に対して、警戒するのは正しい措置です。

 

 

でもこの日を待っていた私の気持ちは、どうしてくれるんだ。

 

もうね、自費での14日間隔離を受けちゃおうかと考えています。人には会えないけれど、日本と違って差し入れOKというから、寿司だって食べられるしね。

それとも、自由に入れるシドニーあたりに14日間以上いれば、隔離免除されるんだろうか。

シドニーなどで14日間の隔離を済ませた人は、それを証明する書類を持ってこいと書かれているのですが、隔離が免除される日本人については、一行も触れていません。

本日息子に、詳細を調べるよう頼んだところです。

 

状況によっては、再びの国境封鎖(オーストラリア全体の)もあり得ます。

内情がもう少しわかったら、また追記します。

 

 

あ〜あ、オミクロンとんでもないなあ。

世の中はまた後戻りしています。

どうか大したことのない株で、世界中が警戒しすぎたねと笑えるようになってほしいものです。

 

 

そういえば、フィリピンで日本からの帰国者にオミクロン株が見つかりましたね。今現在の日本は、オミクロン株感染者を17人と言っていますが、PCR検査を受けているのは、ほとんどが帰国者と渡航前検査の人。市中での検査はあまり行われていませんから、ジワジワと広がっている可能性があります。

 

 

 

もうね、アラワイ運河の散歩が、一気に遠い昔になってしまいました。

明日は学校最終日だっていうのに。