いかにもシドニーという風景ですな。
2022年は大きな節目の年でした。
年が明けて2年ぶりにオーストラリアに戻り、その失われた時間を思い知った私は、再び日本に戻ると、日本の生活拠点の大々的整理にかかりました。その間には息子が1△年ぶりの帰国をして、一緒に日本三昧をしたりしていたのですが、同時に息子の転職とか(勤め先の変更)いろいろなものが動き始めました。
オーストラリアに戻ってからは、それまで住んでいた家の売り出しと、シドニーへの引っ越し。1年間だけの賃貸の部屋探しとスケジュールがびっしり。そこに7月の新会計年度を迎えたオーストラリア政府から、永住権が降りるという通知です。
私のビザ事情というのは、「こんなに時間がかかった人を見たことがない」と言われるくらい、不運なヒストリーを持っています。
仕事を辞めて12歳の息子を連れてオーストラリアに渡った時は、子供が14歳以上になっていればリタイヤメントビザが取れました。私はガーディアンビザという、18歳以下の留学生の保護者という資格のビザで渡豪していましたが、当然それをリタイアメントビザに切り替えるつもりでした。しかし息子が14歳になる直前に、それは16歳以上になり、18歳になり、21歳になり、ついに扶養する子供がいる場合はダメという規則になってしまいました。
というわけで、息子が大学生になって(子供が18歳になるとガーディアンビザが切れる)私はオーストラリアを離れました。まあここがラストチャンスと、世界を思いっきり旅していたのですが。このブログを始めたのも、その時点からです。
もちろん、ちょくちょくオーストラリアには帰っていました。
息子は6年間の大学生活を終えると、即座に永住権を手にしました。12年のオーストラリア滞在歴と希少人材というので、就職が決まる前に永住権が降りちゃうんですよ。世界中の国が、優秀な移民の奪い合いになっているんです。
息子が卒業と同時に永住権を申請したとき、私を呼び寄せるペアレントビザも一緒に申請されました。こちらの方は、当時2年かかると言われていました。
この時点から私は「永住権申請が認められて待っている人」というポジションになり、1年のうち半分をオーストラリアで過ごし(それ以上いると税制上面倒なことになる)、残りの半年で旅三昧をしていました。
しかし政権が変わり、移民枠(移民を入れる総数)がどんどん減り、予定を遥かに越えて待たされる羽目に。そして「今年は絶対に連絡くるな」という2020年に、世界はコロナによるロックダウンを迎えてしまいました。
「稀にみる、ビザ運がない人」は、コロナにとどめを刺されたのです。
というわけで、移民誘致が再開した2022年は通知が来ることを予想していたのですが。
待っていたものが来たら嬉しいです。でも迷いもありました。2022年が節目の年だったのは、諸々の情勢だけではありません。私ね、2022年の夏に70歳になっちゃったんですよ。
60歳になった時は「なーんだこんなもんか」とジャングルを歩いていたけれど、70歳はさすがに体力の衰えを感じます。坂本龍一と同い年ですからね、いつ死んでもおかしくない年でもある。
そして私が申請した親ビザは、400万円以上の寄付を伴います。
生活を築き直すのって大変だし、健康寿命は長くてもあと10年ちょいだし、生活費は日本の倍以上かかるし、そこに400万円の支払いですよ。どうする私。
しかし事態はどんどん進展します。オーストラリアのCT検査で過去に5.6回もひどい肺炎になった理由が解明しました。診断は「気管支拡張症」。乳児だったころの肺炎が原因で、気管支が不可逆的な損傷を負っており、極端に感染症に弱い。つまりコロナやインフルエンザに対する、ハイリスク者であることがわかってしまったのです。
これが意味するところは、医療資源の乏しい国の未開地には行けないということです。肺炎の苦しさは誰よりも知っているので、死んでもいいとまでは思えないし。
まあ、早くに病気がわからなかったのはラッキーね。さんざん大自然を堪能しちゃったもん。でも、あのネパールの虎が最後になるとは思わなかった。
というわけで、私が暮らしていけるのは、抗ウイルス剤がすぐ処方してもらえる日本かオーストラリアの2択だけになりました。こうなると、選択は簡単です。少々しんどくても、刺激的で先が見えない方を選びます。学校にも行きたいし。
一応ね、日本での老後も調べました。でも社会人講座的なものは、歴史とか文化系に偏っているし、日数も少なくてぜーんぜん知的刺激がありません。そりゃあ外食は安くて美味しいけれど、なんでも手に入る生活は単調で、想像しただけで気が滅入ります。日本って、旅の合間に寄るには最高なんだけれどね。
ひと通り較べて、私はオーストラリアで定住することにしました。自活が無理になったら日本に戻って老人ホームに入ればいいし。
うん、日本の先行きも不透明だから、マレーシアあたりの老人ホームもいいかもね。美味しい食事で選べばタイかな。金銭的にやばくなったらベトナムあたりで。
行き当たりばったりの旅人の老後は、やはり行き当たりばったりになるようです。
ジャングルに行けなくなったことに、感想はもちろんあります。そりゃあ残念です。でもずっと頭の中にあって残してしまった所は、ノルウエーから小船で向かう北極圏の島のシロクマとか、南米パンタナールのジャガーとか、ああ、ボツワナのリカオンをまだ見ていないなあ。
即座に思いつくのはそれくらい。
「人生すべて前倒し」の座右の銘のもと、自分でも呆れるくらい、あちこちに行っています。やはり先を急いだのは正解でした。あのとき行っておけばという後悔はありません。
行けなくなった場所を嘆くより、目の前に開けた道をガンガン進むことに集中したいと思います。
ここからは異国で老後という新しい旅です。
一般にいう老後生活ってやつには、出来ることを少しずつ削りながら日常を延長していくイメージがあります。穏やかでいいかもしれないけれど、私にはフィットしません。
やっぱり明日の見えない、旅に例えられる人生がいい。
旅は時には過酷で、時には孤独で、袋小路に入り込んでしまうこともあります。でも、だからこそ雲間から差す光に感動するし、新しい出会いもあります。
そういうわけでこのブログを休載し、新しいブログを起こすことにしました
新しいブログは「オーストラリア暮しの手帖」。←リンク
超ジミなタイトルにして、オーストラリアを中心とした海外在住者のお役立ち情報を書き綴る予定です。
ただ先行きはどうなるのか全くわかりません。マレーシア老人ホーム情報になっちゃうのか、オーストラリアでは認められた安楽死情報になっちゃうのか、その前にバッタリ逝っていきなり更新が止まっちゃうのか。
やっぱ、先が見えないのっていいなあ。

















































