一ヶ月半その一
もう一ヵ月半の間に、ピアノを全然弾かなかった。
こんな長い間にピアノを全然弾かなかったのはせめて三年ぶりだろう。
先、ピアノ部の後輩から、来学期の新入生歓迎会で演奏するに誘われた。
ちょっと迷っても(なんといっても一ヶ月半の間に練習しなかった)、最後、やはり皆の前に演奏したいので、受けた。
ちょうどこの一ヶ月の間に、CDやMP3を持って来なかったので、毎日、youtubeで国際有名なピアニストが自分弾ける曲を弾くムービーを見ている。感想はいっぱい。ある部分はもっと繊細なほうがいいとか、この部分のスピードはちょっと変わってみたらとか。
自分の指から自分が欲しい音楽だ出る時、自分の感動は筆舌に尽くしがたい。
こんな感動がわかるほど、ピアノがもっと好きになる。
やはりクラシックは奥が深いな。
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一ヶ月半その二
もう一ヶ月半の間に、ほとんど自分で暮らしている。
全然平気だと100%と言えなく、大丈夫だと思う。
新しい友達をしたくないの?
隣に韓国人が住んでいるけど、英語でも、日本語でも通じられないので、諦めちゃった。
そして、学校にも、寮にも、台湾人がほとんどいない。
いるけど、自分の個性が防衛的なのうえ、年齢と思想の差が大きすぎで、諦めちゃった。
昔、高校の先生は「今、自分の友達を大事にしなさい。今の友情はもっとも純粋だから。」と言った。
なんとなくだんだんわかってくる。
学生時代に、本当に友達をより作りやすい。
社会に入ると、いわゆる「現実の考え」はこんな純粋を破壊する。
学生時代と違うのは皆はそれぞれの考えを持っている。
たとえ自分は誰かさんと友達をしたくても、もしあの人は「あなたと友達したい」を気に入らなければ、すべては無理だ。と言うのは、あの人に対する自分の考えはあの人のあなたに対する考えと違うなら、友達できないということだ。
そして、他の人を防ぐ気持ちがなきゃ駄目だ。特に、今価値観が歪んでいる社会で。
たぶん、こんな考えもこの純粋を破壊するだとう。
実は、私にとって、友達は大切な存在だ。
個性が防衛的と無口のせいで、友達が多いと言えなくても、すべては自分の大切な人です。
私はいつも「○○さんと知り合うのは幸せだ」、こんな気持ちを持っている。
でも、あることを自分でも理解できない。
友達がいるけど、時々、自分の心底から孤独感がいきなり湧き出し、止まらない。
本当にこんな気持ちを言い出したいけれど、言い出せない。
たぶん自分はいつも本当の気持ちを隠しているのだ。
で、言い出したのは本当の気持ちじゃないなら、いつも周囲の人に騙してるっていうこと?
友達から教えてくれたある句が好き。
「也許有一天,我的孤獨會消失。我為孤獨而產生的感嘆也將消失在生活的瑣碎中,但我不會因為這樣而忘記我曾經怎樣被孤獨感動過。因為我們終將歸於孤獨。」
嘗て、こんなマイナスな考えを捨てられると思ったけれども。
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先、大きい地震があった。
ベッドの中にバカなことを考えてるせいで、眠られなかった。
今、夜の明ける頃。