「日本は良い国」病 | とむぱち隊長のもんげー日記(現在、株や期待値プラス攻略法)

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世の中強気のギャンブラーが多い中、誰よりも弱腰でありながら、
それでも世界のカジノを旅しながら攻略していく理論派攻略日記です。
現在日本で、日々期待値を追及しながら生活してます。
最近ではコジテク日記となりつつあります。(汗)

これ、最近特に顕著になってきました。


ここ数年、事あるごとに必ず耳にするようになってしまいました。(w_-;

実に残念ですね。


昔(バブル崩壊以前)は、「日本は良い国」である、なんてことはわざわざ口に出して言わなくてはいけないようなことではなくて、別に取り立てて言う必要もないくらい、「当然」「自明」のことだったはずです。


なので、「良い国か?」と問われれば、「Yes」と答えるものの、問われてもいないのにわざわざ強く主張する」ようなことは決してなかったと記憶しています。


それが、ここ数年は何かあるたびに、テレビが必ずそう報道します。

テレビが国民に「言わせてる」面もあるかと思いますが、国民が「自発的に」言ってる場面にもしばしば遭遇します。


そういう場面に遭遇するたびに、トム所長は強い違和感を感じてきました。


ここ数年で一番記憶に残るのは東北大震災(ちなみに東日本ではない、あれは東北)の時。

トム所長的には、あの事件は、東電、NHK、政府、原発利権者、などなど、数えきれないくらいの醜い悪業が招いた人災の最たるものであって、「日本は良い国」ではもはやないことを世界にさらけ出した事件という認識しかありませんが、NHK等のテレビによると、人々が災害の中でも規律正しく行動する「素晴らしい国」であることを証明したできごとであったらしい。


全くもう。。。


同じ一つの事件の情報でも、切り取る部分を変えることによってここまで違った風に表現できるとは、驚くしかありません。

確かに、その部分においては言ってることは間違ってはいません。

しかし、その偏向した報道は、どう考えても何かを隠そうとする意図があり、世論を支配者側に都合の良い方に誘導しようとしてるとしか、自分には思えませんでした。


つまりは、このとおり、「日本は良い国」なので、皆さんは幸せです。この国には何の問題もありません。全ては今まで通り我々お上に任せておけば、取り立てて改革などしなくても大丈夫ですから、どうか安心してください。


てなことを言いたいわけなのですね。


で、「日本は良い国」発言は、震災以外にも耳にタコができるくらい耳にするのですが、先日起きた、列車に挟まれた女性救出事件の報道がこれまた酷い。


電車とホームの間に落ちて挟まれた女性を、乗客約40人が力を合わせて救出した。


という事件なのですが、これのどこが取り立てて「素晴らしい」のでしょうか??


テレビではさかんに「素晴らしい」「日本は良い国」を連呼してますが、、、



はぁ???



もう、病気ですね。(゚ー゚;

これくらいのことでいちいち、「現代の奇跡だ!」「ワンダフル!」「信じられない」「美しい」「感動した」

などと、美辞麗句を並べ立てないといけないって、ちょっとおかしくないですか?


これはいくらなんでもベースが低すぎでしょ。

自分的には、これくらいのことで「素晴らしい」と感動しなければいけないということは、実はこの国は「全然素晴らしくない」ということを指示しているとしか思えません。


テレビ局的には、まあそういうことにしたい、という戦略的な思惑があるのは疑いが無いわけなんですが、では、そのマスコミの戦略に乗せられて一緒に感動しちゃってる(させられてる)視聴者側の方はどうなんでしょうか?


トム所長が思うには、「実はこの国はほんとはもうダメなんじゃないか?」とうすうす感じてしまっているが故に、こういうちょっとした良いニュースにことさらに大きく反応して、「いや、やはりこの国は良い国だ!」と思いたい、という願望の表れだと見ます。

つまり、ほんとはもうダメなんじゃないか?と皆うすうす気づいてしまっているが故の反応ではないかと。


まあ考えても見てください。

ホントに皆が「日本は今でも素晴らしい国だ」と心の底から当然視しているとしたら、今回程度の事件は別に取り立てて報道するほどのニュースではなく、ましてやわさわざ「感動する」ほどのことでは決してないはずです。


女の人が電車とホームの間に落っこちて「痛い、痛い」と泣いている。

すると、同じ電車に乗っていた人が、電車から降りて車両を押して女の人を助けた。


これって感動するんですか?

これに感動しないといけないの??


ということは、、、

もしかして、、、


日本の人は、目の前で、電車とホームの間に落ちた人を助けないのが普通だと思ってるんでしょうか?


あり得ません。

絶対にありえない。

少なくとも、トム所長の常識的にはありえないことです。


以前ありましたが、電車が突っ込んでくるホームに飛び降りて、自分の生命を賭けてホームに落ちた他人を助ける行為。


これは感動です。

これは立派。素晴らしい。

普通の人にはできません。

トム所長も多分できないと思います。(すいません)


ただ、今回の事件に関しては、車両を押した乗客は生命どころか、何一つ賭けてません。

こんなの誰にだってできるし、人間として当然の義務、むしろやらない方がおかしい。


まあそういうことです。


それで、今回の報道で特におかしいと感じたこと。


それは、「日本人だから車両を押して人を助けた」としきりに言っていることです。

つまり、よその国だったらこうはいかなかった。(に違いない!)かのごとくの報道。


いやはや。。

恐れ入りました。


いったいどこの国の人が、こんな人間として当然のことをしない(に違いない)って言うんですか?


こういうのを偏向報道って言うんです。


「日本人だけが素晴らしい」


あほですか?


トム所長は世界各国、色々回りましたが、もちろん行ってない国も多々ありますから全部が全部とは断言できませんが、この点に関しては確信があります。


それが人間である限り、みな助けます。


特に、アジアの地域については強い確信があります。(インドは知りませんが)

色々な国で、自分や見知らぬ人がそういう不慮の事故に巻き込まれた場面がありましたが、彼らは必ず援助の手を差し伸べていました。

決して見て見ぬふりをしてほっとかれる、なんてことはありませんでした。

むしろ、これが日本だったらはたしてこうはいくかな?と不安に感じたことの方が多いくらいです。

なぜなら、日本人は、一般的に見知らぬ人に冷たい、と感じるからです。

近年日本人にことのほか評判の悪い、中国人ですら、そういう冷たさは全くありません。

彼らがそういう人を絶対に放置しておくことはない、と断言できます。

トム所長が常々人間性が劣悪と嫌悪しているタイ人でさえも、そういう場面では中国人と同様、意外な親切を発揮します。

カジノや戦場でそういう場面を何度か目撃しました。

ベトナムやインドネシアでは自分自身が助けられたりしました。


とにかく、日本人は、日本人自身やアジアの人たちについて、ダブルで誤解をしていると思います。


おそらく、戦後長い間かかっての、政治家、官僚、マスコミ等による日本国民総洗脳の結果と思いますが、もうそろそろ「日本は良い国」病を克服して、キチンと真実を見つめ直し、「日本の病」に正面から向き合わないと、この国はシロアリに食い荒らされて、徐々に徐々に沈んでいく運命しか待っていないと強く強く危惧します。