靖国神社に行ってきた。

私が今までにマンデラエフェクトを感じ、元の世界から異世界に来たことを思い知らされていたが、やはり何か違和感があった。まずは外観から施設内の雰囲気からだが、私が以前いた世界は靖国神社は閣僚の参拝など世間内外の批判の話題にさらされており、外観もどことなく暗くどこか重苦しい雰囲気だった。 

だがここはそうではない。 明るい感じで九段下の駅を出て坂を登るととても立派な第一鳥居が目に飛び込んでくる。

そして参道を進むとこれまた立派な大村益次郎像があるのだがこの第一鳥居といい大村益次郎像といいすぐそばに面している靖国通りからその巨大な構築物を微かに見ることが出来るほどだ。

 

前からこんな感じだったか?

 

違和感感じてる人いないだろうか。

 

私の以前の世界では靖国神社を靖国通りまたは内堀通りを車などで通過しても

大きな灯篭

がかろうじて見えるだけだったように記憶している。私も60歳を超えてるが同年代の友人に聞いても同じで特に立派な大村益次郎像は記憶にないとのこと。

 

          
 

第二鳥居を通過し参拝の後。 やはり私は異世界に来たのだとの思いも感じながらこれまた明るいお食事処などを堪能した。

 

 

 

 

今回訪れた目的の一つに母親から聞いた戦死した親戚の叔父の

フィリピンルソン島の戦いでの名前を戦没者名簿で確認をしたかったことだったのでその後に以前にも見学したこともある遊就館へ

靖国神社遊就館

 

以前の記事で展示兵器の彗星艦上攻撃機が私の以前いた世界では活躍してなかったことはお伝えさせていただきましたので私にとってはマンデラ確定の場所でもあります。

 

 

ここでそれら前世界で登場しえなかった兵器を見学し、叔父の戦没者名簿を確認したが

叔父の名前はなぜか見つからなかった。もしや叔父はこの異世界では違う人生を歩んだのか?などとも思ったりした。

 

この世界での想い

靖国神社は神を祀る神社ではなく人間・英霊を祀る護国神社であるとのこと それ故に世間一般・国内外で様々な議論がある。それは昔から私のいた前世界でも同じであった。確かに戦犯といわれる人達も祀られていることからそのような風潮となっているであろうことはある程度理解できる。難しいことは解らない。しかしあの戦争で命を落とした名もなき数多くの人たちまですべてを封印してもいいものかな。と考えたりしたこともあった。

数多くの方の写真や遺品などを見ながら思ったのは、この人たちはなぜ死んだのか?政治家が勝手に始めた戦争で肉親と離れ、なぜ異国の戦場に赴かねばならなかったのか? きっと戦争がもしも無かったら、八百屋だったり魚屋だったり大工だったり畑を耕したりして、別の人生があったのだろう。それは敵国の人も同じであったに違いない。僅かな領土・島をめぐる争いで国と国とが国民に向ける体裁やメンツ、野望の末にやったやられたの繰り返しの渦中にさらされる人たち、それは今も世界中で続いているよね。

私が元いた世界では、靖国神社の祀られている方々はどこか不遇な印象が先行していたが、この異世界ではどうなのだろうか?

以前の世界より少しは優しい世界にこの世界はなっていますか?

と問いかけながら歩いた。 

                                  

 

戦艦大和の臼淵磐海軍士官を知っているか?

最後に私が戦没者について考える時にどうしても忘れられない方のひとりに戦艦大和に乗艦していた臼淵磐海軍少佐がいる。(昭和20年)4月7日天一号作戦坊ノ岬沖海戦)時、戦艦「大和」の哨戒長として乗艦。配置場所に近い、後部指揮所電探室に米軍の直撃弾が命中し即死する。享年21。妹の汎子は歌を詠み兄の死を悼んだ。戦死後、海軍少佐に進級した。

      

 

                         
「負けて目覚める」
人生の勝負事スポーツでも何でもだが、負けたことのない人間などいない。負けて目覚め、負けから学ぶこともある。今でも企業やスポーツなどの研修や教育で引用されていると聞く
彼は明日の日本の平和と安寧を願って散っていった。その他にも幾多の想いを胸に亡くなられた人達がいたからこそ今の日本がある。 彼らの多くが自分たちが戦い命を削ることで平和の日がやってくることを、願わずにはいられなかったのだと想う。
臼淵少佐、今のこの世界、この日本、少佐が願っていた世界になっていますか?

 

私たちはその願いに報いるより良い世界を作っていかねばならないのだな。と考えながら靖国神社を後にした。

 

長くなりましたが、ここまで読んでくれてありがとうございました。