カシキのブログ

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いつなんどきでも重要であるのは、コミュニーケション能力


つまり人と関わる力



何故現代にはこれほど「人」との問題があるのか






自分はこの問題を「矛盾」という観点から


日々考察してゆきます

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さて、あなたが街中を歩いている途中、人と肩がぶつかったとします



特に気に障らなかったり、ちょっとムカッとするにしろ、相手に文句を言うことに時間をつぶそうとも思うものでしょうか




しかしながら、正義感が強かったり、プライドが強い人は

わざわざ自分の歩行方向を180度変え、相手に物申しに参るでしょう



「ぶつかって何もなしですか」




相手に高圧的態度をとり、人にぶつかって何も言わないというモラル違反をえらく非難する



確かに相手を注意することは悪いことはないですが


ともすると落とし穴があるわけです



そもそも注意とは、誰のためにするのか



注意とは、自分が認識している道徳規範を逸脱する相手に対し、叱咤などの方法で相手の行動に修正を加え、正しい方向へと導くための手段といえます




よって注意は、相手のためにする行為です



正義感の強い人ならまだしも、肩をぶつけて怒り奮闘な人がそこまで相手を思いやる意味で注意なんかするでしょうか



おそらく、自分の言いたいことだけを相手に罵り、フラストレーションの解消のためだけに、相手を犠牲にすることになるでしょう



しかし、本人はそのことに気付かない


それはプライドの高い人のナルシーな一面であり、言うか言わざるか、言った際の結果などに頭のいかない衝動的な人の典型といえます



これはこれで、おそらく発言に度が過ぎる部分が認められることが多いと思われますので、注意された相手含め周りも気づくことが多いでしょう



「さすがに言い過ぎでしょ…」と



問題は正義感が強いと思われる


この、思われるが非常に重要なのです



正義感の強く、相手の誤った行為を正す意味での注意という行動をとった人は


衝動的な人に対しはまだ物腰は柔らかく、やんわりとした発言になるはず



しかしここに衝動ならず情熱が加わると、少し穏やかではなくなります


当然相手はそこまでいわれる準備も心構えもしていないわけですから

内心ひどく傷つくおそれがあります



なぜここまで言われなければならないのか



ここ違うのは、言っている本人は、相手の為に言っているんだというところ


お前の為を思って、あえてつらく当たってるんだという点




そうなると、あなたの周囲の人も、注意している人に共感し、周りは注意を賛同する人であふれかえります



さすがにここまで極端な場面になることはなさそうですが、可能性として否定はできません



では、なぜこれが問題となるのか


正義感が強い人ならまだしも、自分でそう思っている人であるからこそ、問題なのです


この続きはまた次回に