最近AIがブームだ。

企業向けの展示会等に行っても、数年前からAIの熱気をビシビシ感じる。

一方で「AIで仕事が奪われる。」という話をチラホラ聞くし、これまで高給取りのイメージが強かった弁護士や医者がAIに仕事を奪われるといったニュースが流れて「ざまぁみろ」という意見をTwitter等で多く見かける。

それは身の回りで起きているAI化、自動化、無人化の実感によるものだと思う。例えばSiriといった音声認識や、スーパーのレジの無人化などその波は実生活にも影響を与え始めている。その実感は心のどこかで「自分の仕事が無くなるのではないか」という不安と、反面これまで自分よりはるか高い位置にいた人間が墜落するのではないかという期待感をもたらしているのだろう。

 

ざまぁみろと思っている人にとっては残念だが、現在弁護士や医者として高い収入を得ている人が我々よりも安い収入に甘んじることは無いだろう。もちろん一部ではそういう人もいるとは思うが、大抵の弁護士や医者は"バカ"ではない。まさにこの、"バカ"かどうかがAIに仕事を奪われるかどうかの分かれ道になると思っている。

 

-製造現場での体験-

私は一度製造の応援として1か月現場の作業者として働いたことがある。

そこで感じたのは現場の作業者の考え方は基本的に「作業を楽したい」と思いつつ「変化を嫌がる」ことだった。例えば「今日はいつもより生産数が少なかったから楽だった」と喜び、一方で新しい機械の導入やマニュアルの変更は「また一から覚えないといけない」と嫌がるのだ。

この考え方を聞いて私は心の中で「この人たちは何も分かっていないんだな。」と冷たく思ってしまった。

製造現場において”暇”は喜ばしいことではなく、危機感を持たなければいけない事態だからだ。

この工場は手作業の工程が多く機械化・自動化は会社としても喫緊の課題だが、経営状態が良くないため設備投資が十分にできていない状態だった。40人1班の4班2交代制、つまり160人あまりの人間が作業者として働いているが、私の見立てでは自動化が進めば160人から40人に減らせると思う。では、これからこの工場はどうなって、どういう人が残るのだろうか。

前置きとして、これ以上大幅な生産力拡大を図らないことを前提としたシナリオだが、まず大型の設備が入って数か月から数年間は作業が楽になる。喜んでいたらそのうち同じ作業をしていた人間が別の工程や工場に異動になる。機械の導入→人減らしを繰り返し、最終的には機械の点検や補修ができる人間だけが残って、現場の見回りをするのが仕事になる。

最後まで現場に残れれば幸せかもしれないが、ほとんどの人は住む場所(工場)が変わり作業の内容も働くメンバーも変わり、という運命が待っている。そしてそれを理不尽だと嘆く。

 

現場からすれば振り回されて迷惑な話なのかもしれないが、経営面からすれば至極当然のことだ。

単純に人がやるよりロボットがやった方が安くなったから置き換えただけなのだ。それを「人でなし」と非難するのは完全に間違っている。それをしなければ、他社との競争に負けて結局は会社がつぶれるだけだ。

では、先ほど非難した現場の作業者はどうすればよいのか。私は2つの道があると思っている。1つは最後まで残れる機械の点検や補修ができる人になること。もう1つは作業を効率化して人を減す側に回ることだ。いずれにしても高度な技術や創造性を求められる業務で、暇を喜ぶのはまさにゆでガエル状態だ。

 

-すでにコンピューターが大量の職を奪った-

工場の話では実はAIのことについては一切触れていない。テクノロジーによって仕事が奪われるのは今に始まったことではないということだ。

恐らくAIが今後奪うであろう仕事以上に、人の仕事を奪ってきたのはコンピューターだろう。昔は製図も計算も資料作成も手書きだったので、大量の人数で一つの製品の設計にあたっていた。それが今は1人でできてしまう。では、コンピューターに奪われた仕事をしていた人は今何をしているのか。設計を担当する先輩社員の一人は昔は製図の作業者として派遣で働いていたそうだ。そこから設計のスキルを付けて今は社員として設計業務を行っている。

その当時、設計を行えるのはキャリアと実績のある係長クラスの人間だったが、今は入社数年の若手社員でも設計業務を行っていて、係長の役割はその若手社員の設計のマネジメントへとシフトしつつある。つまり部や課全体のスキルや能力が上がったことになり、より付加価値の高い仕事ができる集団となったのだ。

 

-弁護士が墜落しない理由-

この変化は急速とはいえ、寝て起きて会社に行ったら自分の仕事がロボットに置き換わっているわけではない。テクノロジーは我々の実生活に影響を与えるまで5年10年かかるのだ。そして少しずつ変化が起こっていく。例えば物凄く高価だが便利なロボットやサービスが登場する。最初のうちは「高すぎてうちの会社には導入できないね」なんて話しているが、数年経つと手が出せるようになって導入しようかという話になってくる。ポイントは最初に登場したときに「このロボットはどういう可能性があって、自分の仕事にどういう影響があるか」を想像できるかだ。弁護士に当てはめれば、これまでの弁護士業務の一部をAIに任せることによってより大量の案件を迅速に捌けるようになるだろう。そしてその分、今以上の利益を得るだろう。そして最終的には弁護士業務のほとんどをAIに任せて管理や顧客相談をメインとした弁護士としてこれからも君臨する。

通訳や翻訳家だってそうだ。AIで翻訳するにしても、最初にAIに学習させる過程が必要となる。日々増えていく新語や微妙な言葉のニュアンスの補正作業はこれからも必要になってくる。通訳そのものの仕事は減っても、AIの翻訳精度を上げる仕事は今後増える一方だと思う。

既に歯医者なんかはずいぶんハイテク化が進んでいて、数年前に行った歯医者は先生がインカムを付けて8人の患者を同時に診察していた。そのため待ち時間も短く、非常に流行っている様子だった。

問題はそこに気付くか、そしてそれを真っ先に取り入れる側に回れるかだ。仕事のやり方を変えずに、新しい技術を取り入れて勢いをつける周囲に見向きもせず、ただただゆっくり沈没していくのを受け入れる"バカ"でなければ仕事を無くすことはないということだ。

これは失職した人全てがバカだと言っているわけではない。特に不景気の時代においてはそもそもの職がないわけで、いろんな制約や条件が重なって失職してしまう人もいる。今述べているのはあくまでもマクロ的な観点においての「我々の仕事がAIに奪われる」という極論を否定するものである。

 

-AIに仕事を奪われても無職にはならない-

ではスキルアップしないと職を無くすのか、と言えばそういうわけでもないと思う。

恐らく今後AIはいくつかのランクに分かれてくるだろう。ほぼ人間のように判断してくれるAIもあれば、ただ情報を処理するだけのAIもあるだろう。そしてそれぞれに値段が付くわけだが、絶対に「作業の一部は人間がやった方が安上がり」になるポイントが出てくる。その作業の一部の仕事は無くなることはなく、むしろ今までは専門職だった仕事をアルバイトがする時代がくるかもしれない。

最も重要なことは「AIの仕事の一部を人間が補う」のか「自分の仕事の一部をAIに補ってもらう」かだ。もう少し生々しく言えば「自分の仕事の一部をAIに補ってもらうが、そのAIの仕事の一部は人に補ってもらう」ということだ。このどちらに回るかによって仕事の付加価値=給料は大きく変わってくることになるが、残念ながら前述の工場の作業者のようなマインドの人がいる限り、安く後者の仕事を請け負ってくれる人はいなくなることは無い。AIによる脅威は「仕事が奪われる」ことではなく「格差の拡大」だと思う。

 

-想像と実行-

ではこれからどうすべきなのか。「AIってよく分からないけどなんか怖い」と言っている暇があったらまずAIを知ろうとすべきだ。そしてそれが今の自分の仕事や生活にどういう影響を与えるのか想像すべきだ。そしてそれを真っ先に自分の仕事に取り入れようとする想像力と実行力がより付加価値の高い仕事へのシフトに繋がるだろう。つまりAIに仕事の一部を補わさせる立場に回るということだ。

もっと掘り下げて言えば、自分の仕事と向き合い無駄や問題点を見つけてそれを改善しようとするマインドを持たなければならない。問題点を解決する方法を発明できる人間はそうそういないし、そこまでを求められているわけではない。仕事の上で抱えている問題は大抵は同業や他の仕事にも共通する部分があって、それを解決する方法や製品は案外世の中に溢れているし、どんどん登場してくる。ある意味探してくるだけで使う側に回れるのだ。

 

社会人生活を同じ会社の同じ仕事で全うできる時代は終わった。

逆に多くの人がAIや様々な変化を恐れている今こそチャンスだと思う。

どれだけ自動化やAI化が進んでも、改善の種は"現場"にあることに変わりはない。

好奇心を持ち、考え、実行することを続けていれば、どれだけテクノロジーが進化しようと人間の存在意義が消えることはないだろう。