正規雇用とか非正規雇用という単語が当たり前に使われるようになったが
私が社会人になったばかりの時代はちょうどリクルートが派遣というシステムを
世に広めていっていた時代だ。派遣は今でいう非正規雇用に該当するのだろうか。
まだ私が社会に出てまもない頃、私は正社員で働いていたのだが派遣会社から来た方も職場にいらっしゃって
当時はまだ社交性がかなりあった私は積極的にいろんな方に話しかけるのが好きで
もちろんその方にも話しかけ雑談もするようになってその方とお話しする機会が多くなり、世の中にはいろんな経験を積んで
そういう立場で仕事されているんだとまさに多様性の好きな私には興味を持つには十分な方だった。
お仕事内容は決められた領域の仕事だけをこなし、決められた時間だけで帰るのだが
私は当然のごとく残業の毎日だったのでそのライフスタイルが羨ましくも思えた。
時代が流れ障害者目線で世の中を見るようになった私は、障害者も社会の一員として認めてもらえる(仕事が見つかる)まで
閉塞感を感じながら支援している。その次は仕事に定着して毎日社会の一員として周りと協調していくこと。
こういうことに門戸が開いて区別なく社会が受け入れるようになってほしいといつも願っている。
ある程度悪いことは忘れることができる私だが、障害者雇用に関してどうしても許せない経験がある。
近しい(と思っていた)ある人が、障害者がなんとか初めて社会に出て就業し、私は仕事について毎日責務をこなしていることに胸を張っていたのだが、その仕事内容を話した時、その程度の仕事しかできないんだという見下した発言を私にして
それを聞いた時私は本当にショックで、というかその時点でこの人とは絶対分かり合えないと認識した。
この時のことはなかなか忘れることもできず、
今でもこの人のことは根底に差別意識がある人とどこかで思ってしまっていて、私は適度な距離を保っているつもりだし、本音では付き合うつもりはない。
自分の人生は障害者と歩んでいる人生なので、この部分は私は譲ることができないのだ。
本人が好きで障害者になったわけではないというセリフよりも、障害者が身近にいる居ないに関わらず
多様性の働き方がある世の中であってほしいし
その周りの人も自然と多様性を受け入れる人たちが増えてほしい。
なぜならばどんな人も労働の対価として賃金をもらい社会の一員になることで生きる目的を少なくとも感じることができるからだ。
障害者は誠実に仕事に向き合う人が多い。
擦れていなく、選り好みをしない人が多く、周りの方がどういう人かによって能力を発揮できるかどうかが大きく左右される。
もちろん効率性とか労働生産性を考えるとはるかに劣るが効率だけで考える労働市場しかないとしたら世の中は間違っている。
人生で労働する時間はとても長いが、自分の居場所であったり、学びであったり、価値観の形成だったり働くことは障害者にも差別なく満遍なく機会が与えられることを願っている。
改めていうが職業で差別する人は私は全く受け入れることができない。