セキララにいこう。~わたしなりの生き方~ -12ページ目

セキララにいこう。~わたしなりの生き方~

「セキララ」の由来。いつも、まっすぐ、素直な気持ちでいたい。表
現したい。わたしの気持ちを、ストレートに包み隠さず表現したいと思い、
「セキララにいこう。」と名づけました。

ほんと、ちょっとの。。いつもと違う感覚。

昨日と今日と。。調子が狂う感覚?

今日はいつもは通らない道を自転車で走っていた。

雨が上がった後で、路面は濡れていた。

ちょっとした段差を上ろうとした瞬間、ズルッと滑り

自転車は思わぬ方向へ。

地面へわたしは叩きつけられた。

「い、痛~!」

右腕のひじと、右足の膝を思い切り、擦りむいてしまった。

ちょうど、交差点が近くで、車が何台か信号待ちで止まっていた。

何台かの車に乗った人々から、熱い視線を感じた。

「は、恥かしい。。!」

とても痛かったが、何ごともなかったかのように

すぐ立ち上がった。←これって、プライドかも?


自転車に乗ろうとすると。。

ペダルが動かない。。

「えー!こんなんで壊れちゃったの?!」

仕方なくわたしは、自転車を引いて歩いて帰ることに。

途中で、区役所を通りがかり、ちょっと置かせてもらおうと

駐輪所に。自転車は置いて、歩いて帰ることに。

テクテクと。。40~50分は歩いただろうか。


帰った後、友とメールで話をすると。。

友に、ある人から恨みの思念が向けられている と聞いた。

友とわたしは、縁が深いので、アストラルで繋がっていて

もしかしたら。。その人の恨みの思念がわたしのところへ来たのかも。

っていうか、きっと間違いなくそうだろう。。


自転車で転んで怪我をするなんて、どれくらいぶりだろう?

自転車から転んで、怪我をするっていう自体、ほとんど今までない話。

不吉さを感じずにはいられないぜ。


なァ、友よ?

人から、恨みの思念を受けるようなことはしないでおくれよ。。

こっちに、とばっちりが来るだろうが。


友は、あの後すぐ、自転車を取りに行ってくれた。

なぁんと、自転車は転んだ際に、ちょっとかたちにズレが生じただけで

壊れていたわけではなかった。

友が、自転車をアパートまで届けてくれた。

ありがとうよ、友よ。。

僕等はいまでも叫んでる


確かめるように 握りしめた右手
うざったい法則を ぶちこわして行け
傷ついた足を 休ませるぐらいなら
たった一歩でも ここから進め

歪(ゆが)んだ風を掻き分けて
冷たい空を追い越して
それでもまだ彷徨(さまよ)い続けてる

僕等はいつでも叫んでる
信じ続けるだけが答えじゃない
弱さも傷もさらけ出して
もがき続けなければ始まらない
突き破れ扉の向こうへ

ややこしい問題で 絡み合った社会
じれったい現実を 蹴り飛ばして行け
誹謗(ひぼう)や中傷にふさぎ込むぐらいなら
打算も欲望も ぶちまけて行け

乱れた情報(ノイズ) 掻き消して
しらけた視線 ふりほどいて
現在(ここ)から続く 次のステージへ

僕等はいつでも探してる
加速したスピードは変えられない
強さと覚悟つなき止めて
走り続けなければ未来はない
突き進め扉の向こうへ

翳(かざ)したプライドが間違いだとしても
描(えが)いてた理想が崩れかけても
ここにある全てに嘘をつかれたとしても
きっとここにいる

僕等はいまでも叫んでる
信じ続けるだけが答えじゃない
弱さも傷もさらけ出して
もがき続けなければ始まらない
突き敗れ扉の向こうへ

僕等はいまでも探してる
加速したスピードは変えられない
強さと覚悟つなぎ止めて
走り続けなければ未来はない
突き進め扉の向うへ

扉の向こうへ

先ほど、6:39頃、東北・北海道を中心に地震があった。

殆どの地域が、震度3。マグニチュード6,9

震源は、三陸沖。津波注意報が出ている。

岩手県、宮城県、福島県。北海道太平洋沿岸中部。

予想の高さ50cm。


広範囲で、震度3と統一している。

なんだか、今回の地震は奇妙さを感じる。揺れの時間が長かった。

最初の揺れはそうでもなかったが、だんだん強くなってきた。

なんとなく、また余震が起こりそうな気がする。なんとなくね。


昨夜、寝たのが遅かったんだけど

揺れで目が覚めてしまった。

本田美奈子さんの遺影


今日は、本田美奈子さんの告別式でした。

本当は、告別式に参列したかったのだけど。。

彼女に会う最初で最後が。。告別式なんて嫌だから。

それだったら。。少しでも祈ろうと思った。


わたしは、輪廻転生を信じているので、彼女がまた

彼女に生まれ変わって。。10数年後には歌ってほしいと思っています。

確か、彼女がデビューしたのは18歳。

彼女が生まれ変わって。。歌ってくれることを願って。


彼女が今年の3月、病床で作った詞です。

関係者によると、曲はまだできておらず、CD化は未定。(以下原文のまま)




    笑顔     本田美奈子


子供も、大人も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、みんな、みんな 笑っている顔が素敵。

怒っている顔よりも、泣いている顔よりも、困っている顔よりも 笑顔が一番!!

きっと笑顔が幸せを呼ぶと、頭では分かっていても、心では、なかなか分からない人が、

多いんじゃないのかナ!?

 心が開いて、心の目で、周りを見渡してごらん、きっと、小さな幸せの芽が、見つかるよ。

そして、そこから少しずつ、笑顔が生まれてくる。

笑顔が生まれ始めたら、喜びに変わるのも、もうすぐ。
 でも人は生きていて、辛い時、悲しい時、涙が止まらず心が開けない時、勿論、沢山あると思う。

そんな時は、あせらないでね。自分だけが不幸ではない。

もっと、心が暗闇に閉じこめられている人達も、沢山いることを、少しだけ思い出してみて。
 自分の力で、心を開く人もいれば、誰かの愛で、心を開いてもらう人もいる。

気が付かないうちに心が開いている人もいれば、歌や音楽で、心が開く人もいる。

それは、人それぞれだと思うの。
 人は心が閉じたり、開いたり、いろいろな経験、そして、沢山心で感じることによって豊かな心を持ち、

豊かな笑顔を育てて行けるのではないのかナ!?と私は思います。

自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事が出来るでしょう。


 笑顔がいちばん

 

本田美奈子さん

「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍した歌手本田美奈子.さん

(ほんだ・みなこどっと、本名工藤美奈子=くどう・みなこ)が6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため、都内の病院で死去した。38歳。今年1月に病気が判明して緊急入院。過酷な闘病生活だったが、「きっと元気になってみなさんの元に帰る」と信じて、最期まで闘い続けた。


 本田さんは、家族や親類、所属事務所関係者らが見守る中、息をひきとった。関係者は「文字通り、静かに眠るようでした。最後に天使みたいにほほえんで、全員から『わぁーっ』と感動の声が上がったほどでした」と振り返った。
 埼玉県朝霞市の自宅に帰った遺体は、1階の居間に安置され、家族が寄り添っているという。所属事務所はマスコミ各社に送ったファクスで「10カ月の闘病生活を送っていましたが、きょう永眠致しました」と悲報を伝えた。過酷な闘病生活の一部始終を見てきた事務所の高杉敬二社長は「明日は治るという希望のもと、勇気ある闘いをしていました。感動と勇気をもらったし、こういうアーティストに出会えて本当に良かったです」と話した。
 本田さんが緊急入院したのは今年1月13日。風邪のような症状で診察を受け、病名が判明した。3度の化学療法と臍帯血(さいたいけつ)移植手術を受けた。7月30日に一時退院し、翌31日の誕生日を自宅で迎えるなど快方の兆しもみえていたが、8月31日に再び染色体の異常が発見され、再発が判明した。米国から取り寄せた新薬も試みた。
 今年がデビュー20周年。節目の年の復帰を信じて、新アルバムを企画していた。「病室とレコーディングを行き来してつくろう。まだ20周年に間に合う」と先月から詩の創作も始めていたが、容体が急変した。高杉氏は「僕が最後に聞いた美奈子の言葉は『レコーディング頑張ろうね、ボス』でした」。
 アルバム発売、ミュージカル出演、20周年コンサートなどすべてをキャンセルした闘いだったが、本人はいつも「負けない」と前向きだった。抗がん剤の副作用で髪が抜け、毎日デザインが違うバンダナを巻いて自分を励ました。
 病床では、ファンや友人の手紙を毎日ながめ、励みにしていた。移植手術後の5月には、ファンに向けた直筆メッセージを発表。「現実を受け入れ病気と闘わなくてはいけないと思っていても、涙が止まらないのです。泣きたい時は我慢しないで泣いています」と不安な心境もつづったが「きっと輝く健康な自分が待ってくれていると信じています」と自分を奮い立たせるような言葉で結んだ。
 普段は「たくさんの人に支えられて私は生きている。そのことが病気になって初めて分かった」と繰り返し語り、不安や希望をノートに書き留めてもいた。亡くなる数日前には「自分の舞台を見たい」という本人の希望で、出演ミュージカルのDVDが届けられた。
 10月半ばに電話で話した関係者には、明るい声で「私は元気よ。あなたこそ元気なの? 」と話し、笑っていたという。ミュージカル共演以来の友人、歌手岩崎宏美は、5日に病室を見舞ったときの様子をこう語った。「意識はなかったけど、大声で呼びかけると『ああ』と答えてくれました」。細身の体から繰り出す歌声同様、その生きざまは最期まで力強かった。


 ◆本田美奈子.1967年(昭和42年)7月31日、東京都生まれ。85年に「殺意のバカンス」でアイドル歌手としてデビューし、同年の「Temptation」で日本レコード大賞新人賞を受賞。92年に「ミス・サイゴン」のキム役でミュージカルデビュー。以後「レ・ミゼラブル」「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに出演し、ミュージカルを中心に活躍した。04年11月に姓名判断で「字画を1つ増やせば、輝ける未来に」といわれ、名前の最後に「.」をつけて改名した。163センチ。血液型O。           (日刊スポーツ) - 11月7日9時56分



すごいショックです。

だって、まだ38歳ですよ。。

思い出せば、高校の頃はよく本田美奈子さんの歌を歌っていたな。

今も時々、懐かしくてカラオケで歌うことも。

最近の彼女は、ミュージカルや、大人の女性を感じるしっとりとした歌で、魅了してきた。


彼女のこと、大好きでした。

他の人たちも言うとおり、天使のような笑顔がとても印象的だった。

いつも、上を見て頑張ってるような人でした。すごい頑張りやさん。

でも、いつも。。気を張ってるような感じがしていたんです。彼女を見ていると。

あの若さで死んじゃうなんて。。