今から20年くらい前のお話し。

胃癌になった母との最期のやりとりが

 

「子供に殺されるーーーー!!!」

 

だっという話。

 

↓のブログでは、母の亡くなるまでの経緯が綴られていますので、その経緯をご覧になってからお読みいただけると、わかりやすいと思います。

「家で死にたい」と強く希望していた母の願いを叶える為に、往診してくれる先生を手配していたけれど。

 

亡くなる前日の朝に突然、「病院に行きたい」と言い出した母。

 

それまでは、ずっと病院には行きたくないと、外来受診も家族代理で行うことも増えていたのに、急に行きたいと言い出した。

 

癌の末期になると、「せん妄」と言って、幻覚が見えたり、幻聴や幻視があったり、忘れっぽくなったり、暴言を吐いたりと、人が変わってしまったかのようになることが多いのだけど。

 

母も「せん妄」になって、急に病院に行きたいと言ったのだろう。

 

外来に到着して。

主治医の先生が不在だったので、違う先生が対応してくれた。

採血検査の結果が、当たり前だけどものすごく悪くて。

その結果を見た先生は入院をすすめた。

 

処置室にいる母の元で、その先生の話を聞いた時。

外来の看護師さんと私は、お母さんに言った。

 

「お母さんが家に帰りたかったら、家に帰ってもいいんだよ」

 

家で最期を迎えたい母の気持ちをわかっていた外来看護師さんと私。

 

それを聞いた母は、

「先生の言うことに歯向かうなんて、なんて酷い娘」

 

と思ったようで。

 

酷く怯えた顔で、怖い口調で

 

「子供に殺されるーーーーー」

 

と、外来の処置室で声を上げたのだった・・・・

 

その頃の私は

看護師といえども、まだ24歳

 

いくら、せん妄の症状とわかっていても

すごく怯えた顔で「殺される」と、目の前で言われるのは、きつかった。

 

え!!

お母さんが家で死にたいと言うから、それを思って言ったのに、殺される扱いされるの??

と心の中は大きく傷つき

 

何も言葉を返せず

 

最も信頼していた先輩看護師が働いている病棟に、階段を駆け上がって行った。

仕事中の先輩看護師さんが、とりあえず面談室に私を入れてくれて、先輩看護師さんが仕事を片付けて来てくれるまで、ずっと号泣していた。

 

そして、ゆっくり話を聞いてもらって

散々泣いて

 

それから、母が入院した病室へ向かった・・・・

 

入院してからも、母は私に怯えていて

とにかく父を呼んでくれと連呼した

 

こんなに拒否され、怯えられるなんて

思いもしてなかったのだけど

 

せん妄だから仕方がないと

心と感情にシャッターを降ろし

 

父に連絡をとったり

入院の準備をしたりしてた

 

それから母は薬の投与もあり、眠り出し

仕事から駆け付けた父と交代し

後は父に任せて自宅に帰った

 

そして翌日、病院に行った時は

母が亡くなる少し前

 

アッという間に、母は亡くなった

 

最期のやりとりが

まさかの

「子供に殺される」

になってしまった私

 

あまりにも辛すぎて

私は、それをなかったことにした

心と感情のシャッターを降ろした

 

そうしないと

毎日生きていけなかったんだと思う

 

母が亡くなってしまった悲しみについてはシャッターを開けていたので

沢山泣いて

お通夜、葬儀、家族のフォローをしつつ、仕事を再開した

 

仕事では

父の後悔を聞いて、同じような後悔をしないようにと

患者さんご家族への関わりを深くし

 

母にやりたかったことを、代わりに行うかのように

癌患者さんへの看護に邁進した

 

だけど

ずっとずっと

 

「子供に殺される」

と言われたことには、シャッターを降ろしたままだった

 

頭の中では、整理してたつもり

 

「せん妄だったから、仕方のないこと」

「あれは、本当の母の言葉ではない」

 

そう思ってきた。

仕方ないんだ、だからどうしようもないんだと。

ずっとシャッターを降ろしていた。

 

それって、

自分の感情を無視してるから

ずっと私の中にくすぶっている

そしてそれは、少しずつ大きくなっていくのだ

 

10年くらいたって

ようやく

 

あれは仕方がなかったんだなー

と、ようやく思えるようになってきた

 

だけど

今思うと

まだ、シャッター自体は降ろしていたんだと思う

 

時間の経過で

気持ちが軟らかくなっただけのことだった

 

昨年

ようやくシャッターを自ら開けることが出来た

 

母がどうとか

せん妄だから仕方がないとか

 

そういうことじゃなくて

 

私自身の感情

私自身の想いを

ちゃんと外に出してあげようと思った

 

ノートに思いを書いていく作業

 

私はどう感じていたの?

 

辛かった

悲しかった

最期に言われる言葉が「殺される」なんて辛すぎる

何で母は、そんなことを言ったんだ

最低だ

酷い

 

沢山の暴言が出て来た

とにかく自分の中に20年近く溜め込んでいた感情を、ただただ吐き出した

 

良い悪いじゃなくて

ただあるものを吐き出した

 

すると

吐き出し切った時

ものすごくすっきりした

 

ああ、こんなにも私は自分の感情に蓋をしてたんだ

良い子になろうと、理解のある子になろうとしていたんだ

 

そして吐き出したら

母に対する嫌な思いもなくなった

 

自分に無理をして、感情に蓋をしているから

母に対して怒りの感情があるかのように思ってただけだったんだ

 

吐き出しきったら

 

そりゃあ、せん妄になったらおかしくなるよね

子供に殺されると思うくらい、死が目前になって死ぬことが怖かったのかもしれない。

それを表現したら、「子供に殺される」という言葉になってしまっただけなんだ

 

ただの母の感情の吐き出しだったのね

吐き出せて良かったね

 

と思うようになった。

 

ようやくここに来て

負の感情を麻痺させずに

悲しみ、怒り、憎しみをなかったことにしても

身体には残っていて、麻痺して気付かなくなるだけで

どんどん大きくなっていくこと

 

感情を感じた時に

ちゃんと

感じてあげて

出してあげて

それでいいんだよと

自分で自分に言ってあげたら

 

こんなに引きずることがなかったんだなって思った

 

その感情は自分のものだから

相手にぶつけるとかじゃなくて

あくまでも

自分の中で自分の感情を受け止める

 

それが大事

 

ようやく気付けた

 

これこそ

最期に母から贈られた贈り物だった

 

母からのギフトだった

 

20年近く経過して

ようやくギフトに気付いたよ

 

ありがとう♡