みなさん、こんにちは! あいです
みなさんの身体は、元気でいてくれてますか?
今回は、私が人生を終えてた時のお話をしますね
私は40代突入と共に始まった病の嵐に、仕事も人生も奪われかけました
まぁそうなった理由も『自分を生きる』とか『自分を大切にする』とか、今自分が一番大切にしていることが出来ていなかったことが原因なんですけどね…
自分の思考に問題があったという訳です…
まさに地獄のような暗黒時代の始まりは『めまい』でした
ある朝、ベットから降りて立ち上がろうとした瞬間に転んだんですよね…
最初は何が起きているかわからなくて、でも、ふと視界がグルグルして、フワフワしていることに気付きました。
気持ち悪くて、あぶら汗が出てきて、何とかベッドに戻ったのを今でも覚えています。
そこから…
自律神経失調症、鬱、腰椎ヘルニア、更年期障害、四十肩…
…と身体的にも精神的にもどんどん追い込まれ、もちろん仕事も休職から退職へと進み、自分が出来ることがどんどん減っていく現実が辛くて、もう何も望まない、夢も希望も持たないと決めたのでした
何かを望む方が辛くて、人生終わった…とそう思って、静かに生きることだけに専念しようと決めていました。
なんで?
こんなことになったのか?
私は、専門学校を卒業後、スイミングインストラクターとして大手のスポーツクラブの社員として働いていました。
自分も競泳選手だったこともあり、水泳が好きで『水泳の楽しさ』『上達する嬉しさ』を多くの人に伝えたいと、とても純粋な気持ちでスタートしました。
そこから本当に仕事が楽しくて、指導すること以外にも、コーチの教育やチームで仕事をすることの楽しさに、どんどんのめり込んで行きました
でも、だんだん年数が経つと運営や経営の業務が増え、現場で水に入ることも減って行きました。
私にはそれがつまらなくて『現場で生きよう!』と決め、社員からフリーインストラクターとして仕事をして行くことを選んだのです。
仕事をする環境や状況は色々ありましたが、最後私が倒れる直前の働き方はこんな感じでした
・独身
・フリーインストラクター
・週6勤務(だいたい1日6時間入水)
・週末朝練あり
自分で選んでこの環境を選んでいたにしても、本当に無鉄砲な40歳だったと思います
で…労働環境が一番の原因と自分も周りの人達も思っていたと思いますが、実はそうではなかったというのが、この1年でわかったことでした。
大好きだったスイミングインストラクターと言う仕事。
最初は担当したお子様や大人の方の笑顔や成長をみていることが、好きだった…
でも、経験を積めば積むほど…
現場で生きると決めたんだと思えば思うほど…
『優秀じゃなきゃだめ』
と言う気持ちが強くなり、『自分の思い』や『こだわり』を周りに振りかざすようになっていったのです…
自分の価値感や考えが全て正しいと思っていたし、そこに合わない意見の人とは全力で闘ったし…
『なんで出来ないの?』
『なんでこうなるの?』
…と、毎日イライラして、モヤモヤして怒ってばかり
ケガや事故を防ぐために必要な事だけど、担当している子供達にもルールやマナーに対する厳しさが増して、本当に怖いコーチ(厳しいとかじゃない)だったと思います
自分が評価されるために、必死だった
自分が存在するために、必要な防御だった
たくさんの人を傷つけて、たくさんの人を否定して、自分が正しいと自分を周りに押し付けていた
でも、いつしかそんな自分が大嫌いなことに気付いたんですよね
人とも自分とも闘うのが、違うし、辛いとわかっていた
毎晩帰って、その日の自分を浄化するかのように、ビールをしこたま飲んで、泥の様に眠る日々…
自分を正当化するために…
嫌いな自分で明日も一日頑張るために…
おそらく、そのバランスに限界が来て、私の身体と心は壊れたんだと思います
不調だった期間は、本当に辛かったけど…長かったし…
今思えば…あの時、体が壊れたから立ち止まれたと思うし、今に繋がるスタートだったんだなと思えます。
そして…去年出会った『マヤ暦』と『ハッピーマインドチェンジ講座』で学んだ概念によって、私は遂に体の不調や心の闇から抜け出せることが出来たのです
今はびっくりするほど元気だし、夢や希望で溢れた毎日が楽しくて、よだれ垂らしながら生きてます
『元気があれば何でもできる』
これは本当に、名言だなって思いますね
そんなこんなで、次回から少しずつこの一年の経験などもお伝えしていきますね
今までの自分や、今の自分、これからの自分を書き綴ることで、どこかで誰かの笑顔に繋がってくれたら嬉しいなぁと思っています
最後まで読んでくださって、本当にありがとう
またね
あい