2025年8月6日は80年目の原爆の日。
またあの暑い夏の日が来ました。
原爆投下の8時15分、広島の街に鐘やサイレン
が鳴り、一分間の黙祷。( ̄人 ̄)
朝から夏の陽射しが注ぐ。今日も暑くなりそ
うだ、と思いながらいつもの様に朝食の洗い物
をしていた。ふと、窓を見ると真っ赤な火の玉
がフワリフワリと落ちて来るのが見えた。
「ありゃあなんじゃろうか?」
外に出ると、その真っ赤な火の玉が突然轟音
と共に爆発して突風が吹いた。
何が起こったのか分からないまま洗い場に戻る
と、窓ガラスや茶碗が粉々に割れ、吹き飛んで
いた。
「どしたんかいの?何で、こがぁになっとるん
じゃ?」
そして、はっ!と気が付いて、慌てて縁側に
向かった。縁側のガラスが粉々に飛び散ってい
た。慌てて我が子を探すと、縁側の押入れに娘
2人が居て、ホッと胸を撫で下ろした。
「あぁ、えかった、あのまま外に出んかったら
わしは、どうなっとたんじゃろう…
ほいで、この子等も押入れに居らんかったら死
んどったかもしれん。
ほいじゃが、ありぁ一体なんじゃったんかの
う?」
80年前のこの日、私の祖母と母の身に起き
た出来事。
市内が焼け野原になっていると聞いた祖父は
親戚を探しに急いだという。
しかし、そこは地獄絵図の様だった。
「ほんまに酷かった…川にも、あっちこっちに
も人が死んどるし…ほしたらのう、兵隊が来て
わしに救護を手伝えぇ言うんよ。大火傷の人が
いっぱいおって、これを塗れぇ言うて」
刷毛を渡されて傷に薬を塗れと言う。
「ものすごい人よ、薬はすぐのうなって(無く
なって)機械油を塗れぇ言うんで。
わし、もう気持ち悪うなってのう、自分等で塗
りんさい、言うて逃げたんよ」
80年前の祖父の被爆体験。
あの日、いつもと変わらない朝を迎え、仕事
や学校に向かい、普通に生活していた人の営み
をたった一個の原子爆弾が一瞬にして奪い…
広島の人間は子どもの頃から平和教育を受け
る。私達の頃は8月6日は登校日で平和教育を
受けた。体育館で被爆フィルムを観さされた。
「目を背けてはいけません!」
とても悲惨な…大火傷を負った被爆者の映像
今なら問題になるかも知れないけど、気分を悪
くする子や、失神する子も居た。
だから私は平和教育が大嫌いだった。
私の年代、両親や祖父母、親戚が被爆者で、多
かれ少なかれ、被爆の話しは聞いている。
と、いうより被爆2世だ。私もそうだ。
平和記念公園や原爆ドームには欧米からの
観光客が多い。勿論日本人も。
平和を祈り、学ぶ場所。
実は私は小学生の頃社会科見学で一度だけ
しか原爆資料館に行った事が無い。
広島の人はあまり行かないのではないだろう
か?( ̄へ ̄|||) ウーム
私にとって被爆は、教科書や資料館や報道で
見るモノではなく、もっと生々しくて怖いモノ
で、あの日母が押入れに居なかったら私は存在
しなかったもしれないし、祖母が外に出なけれ
ば82まで天寿を全う出来なかったかも知れな
い…( ̄ヘ ̄;)ウーン
祖父が探しに行った親戚はあの日居なくなっ
た。私と血の繋がった人が被爆で、この世から
居なくなった。
まだ世界の至る所で戦争が起きている。
身勝手な為政者の愚かな行為で何の罪もない
民が命を落としたり住む場所を追われている。
苦しむのは名もない民衆だ。
核をちらつかす愚かな為政者。核の抑止力
に核を持つ愚か者。
こんな悲劇、二度と起こしてはいけない。
80年目の8月6日…
広島の街は祈りに包まれます。
