心の原野を裸で踊る

心の原野を裸で踊る

幸せで、安寧の日々を過ごせるために食からの健康として自然栽培の農産物と日本の伝統文化・信仰に沿った暮らしを提供しています。

小さな頃から、神仏が日常の中にとても近いところで育ちました。






いつも不思議な出会いや、出来事の中で、人は誰でも守られていると思います。




そんな気付きが、貴方の人生を豊かで幸せなものにさせてくれると思っています。



誰でも、幸せに生きて欲しいと思います。

だって、せっかく人間に生まれることが出来たのは、奇跡なことだから。



みんなが幸せな気持ちで日々を暮らせますように。



下記抜粋
いまや科学の置ける象牙の塔は腐敗している。
今世紀が終わろうとしている現在、社会的に重要とされる問題のうち、
それが本当かどうか、きちんとした実験的検証を経ているものは実はほとんどないのである。

物事の本質を見直すべきである。
そうすればたわごとに惑わされずにすむ。


もう一度私たちがもっている五感の役割を再認識しようではないか。
そして五感を有効に使うことを考えよう。

人類がどれほど夜を明るくしたところで、地球上の現象のほとんどがなお闇の中にある。
人類が耳にする音は様々な音のうちのほんの一部にすぎない。
人類が触れることのできるのは地球のほんの一部の感触だけなのだ。
この宇宙空間のささやきや震えの微妙な組み合わせを知るためにはほとんど無力である。
たとえ今後何千年が経過しても、人類は無力のままだろう。
人類が出来ることと言えば、今こうして生きていられることを幸運と感じ、
地球上で生起してる数限りない事象を前にして謙虚たること、
そういった思いとともに缶ビールを空けることくらいである。
リラックスしようではないか。
地球上にいることをよしとしようではないか。
最初は何事にも混乱があるだろう。
でも、それゆえに何度も何度も学びなおす契機が訪れるのであり、
自分にぴったりとした生き方を見つけられるようにもなるのである。



今朝の朝活のズームで

太陽拝とトイレ掃除の話になった。

 

太陽拝

これは、子どもの頃からの習慣でした。

母がやっていました。

祖父もやっていました。

祖父には、水で顔を洗ったときに、なぜか朝食前に歯を磨くことを強制させられました。

学校では食後で、みんな食後に磨いているというのに…

朝一で歯を磨くのです。

それよりも、まあ、私が結婚するまで、私の実家は昔ながらの農家で土壁がネズミにやられて落ちたり、お蚕様のために通気口として壁が穴が開いていたりしていました。

なので、窓を開けようが明けまいが関係ないくらいの家で、

結婚当初の夫は、

「お前の家は、冬は外の方が暖かい」

と言っていつも皮肉を言われていました。

かくいう夫の家ももっとコンパクトなあばら家でしたが、暖房をガンガン焚くので、半袖の生活をしていました。

そんな昔のあばら家で、真冬でも真夏でも、一年中朝一番に窓を開放して、

私は、ハタキをかけて、箒で掃いて、雑巾掛け、厠の掃除、玄関掃いて打ち水して・・・

それが終わらないと小学校へ行かせて貰えないのです。

しかも、男は何もしなくていいのに、兄弟では女一人だったので、私が毎朝、掃除担当です。

掃除が終わると、燃し火で炊いたお釜のご飯を、少しだけよそってお仏壇にお供えする(シンゼル)のが私の役目でした。

祖父は、毎朝、お水とお茶を神棚や恵比寿講、仏壇など5箇所くらいに灯明とともにあげて、何やら、呪文、真言を唱えていました。

それから、みんなのご飯をよそって、お供えしたご飯を下げてきて、それを私のお茶碗に入れてお下がりをいただくのが朝のルーティンでした。

 

私が結婚するまで、祖父も生きていたので、変わらない二人のルーティンでした。

帰宅後は毎日農作業の手伝いもあったけれど、小学校3年くらいから洗濯物を取り込んで畳むこと。

4年生くらいから、母が捏ねてあったうどんかそばを伸ばして打って、お湯を沸かして茹でることも日課になりました。

お風呂は薪で沸かしていましたが、祖父が年を重ねてからは、私が斧で薪割です。

祖父と二人でお風呂を沸かしていました。

 

私が結婚するまで、掃除は、ハタキと放棄と雑巾でした。

私が結婚した途端、お風呂や掃除に困ったのでしょう。

お風呂は灯油のボイラーが投入され、

掃除機も買ってありました。

 

懐かしいですね。

 

どんどん横道に逸れました。

 

窓全開で、当時は家の外で東に行って、太陽に向かって手を合わせていました。

ご先祖様に、太陽に、大地に、自然に、感謝する。

小さい頃は強いられていたって感じです。

でも、私はそんなに嫌な感じは持たなかったんです。

更には、小学校も中学校も高校も、通学途中に氏神様とお墓があるのです。

母からは、必ず、通るときに手を合わせて通るように言われました。

 

なので、私は、お墓が怖いものではなく、大好きだったんです。

嫌なことがあった時、お墓の中で泣きました。道で摘んだ草花を供えたこともありました。

優しく抱いてもらえるように感じたのです。

 

今、あちらこちらで太陽拝をしましょうっていう話を耳にします。

そして、素手のトイレ掃除。

 

 

トイレ掃除も小さい頃から、汲み取り便所の掃除を一人で担ってきました。

小さい頃は、木の小屋で、木の床が抜けるのではないかと怖かったですが、その後、やはり汲み取りでしたが、コンクリートのトイレになったので、以後は、やっているうちに楽しくなるんです。

掃除もそうですね。気持ち良くて、木の床や帯戸が照り光ってくるのが嬉しくてウキウキしました。

トイレの呪文は、ここ10年くらいの話ですが、

トイレの神様 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)発音はうっさまみょうおうといっています。

(人によっては、うすしまみょうおうと言っている方もおられるようです。)

に、排泄の時に、
「おんくろだのううんじゃくそわか」

という真言を三回唱えていました。

そして、排泄物に感謝を述べることを数年前に出会った95歳のおばあちゃんから教わってからありがとうも付け足しています。

 

何気なくやってきたことですが、

時々、珍しいものをいただいて帰った子どもたちが、

「爺ちゃん食べるかい?」

って、お仏壇コーナーにお供えしているようになったのを見ると嬉しく思います。

 

孫曾孫の代まで、自然に継承していって欲しいと思います。

たまに行くお店のご主人から、所持品について、衣服について、褒めていただくことがあるのですが、実は、私は生まれた時からほぼ洋服やバッグ、靴などを買ったことがありません。いただき物で済ませています。

なので、いつもいただき物ですというと、

「ご先祖様の陰徳に感謝しなさいね。」

と言われます。

 

結果論として、

とっても守られているとつくづく感じる今日この頃です。

 

ありがとうございます。感謝しております。