私が船乗りになるという出来事は、「自由やね」と誰もがつぶやき、「なるほどね」と誰もが納得しました。なぜなら、私は自分のやりたいことはやるタイプであり、ただただ海が大好きだと知っているから。

私はHIROSHIMAで生まれ22歳までこの瀬戸内海沿いの町で育ちました。島の見えないまっすぐな水平線にあこがれて。夏は必ず日本海まで泳ぎに行きました。島根県浜田へ。波のある海は少し怖かったけど、水が本当にきれいでした。小学校4年生のとき、さんふらわあに乗って和歌山に行きました。今思えば、そこは私が住み着く場所で、さんふらわあは息子が乗ることになる船だったんだね。不思議なめぐりあわせ。

そこで、太平洋に出会いました。水平線がただただまっすぐに広がる外洋の海。ロマンいっぱいでした。大人になってオーストラリアに留学しました。そこは、毎日の生活の中に海が溶け込んでいました。Maroubra beach 当時住んでたところから一番近い海でした。その後、ノースシドニーへの通勤に、毎日オペラハウスを見下ろしながらハーバーブリッジを渡ってましたねよ。結婚して家を買ったのは、和歌山の山のふもとの川のほとりの小さなおうち。いいところなんだけど、いつも息が苦しくて、なにもかもうまくいかない時がありました。夫と子供たちをつれて、海をみにいくことが多かった。でも海までは遠かった。とうとう、海へのドライブをやめて、海のそばに小さな家を買いました。少し小高いミカン畑の上に、それはそれは夢のかなったすてきな出来事。そこから、紀伊水道を出たり入ったりする大きな船を、眺めるのがなによりの楽しみでした。