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1/16(月) 17:00配信
公益財団法人、野球殿堂博物館は16日、東京ドーム内の野球殿堂博物館で平成29年度の野球殿堂入りを発表した。プレーヤー表彰では、元西武の捕手で現千葉ロッテ監督の伊東勤氏(54)が選ばれ、監督、コーチの退任後6か月以上、引退後21年以上を経過した人を対象とするエキスパート部門では、中日、阪神、楽天の3球団で優勝監督となった星野仙一・楽天副会長(69)、元大洋ホエールズのエースでカミソリと恐れられたシュートを武器に通算201勝を果たした平松政次氏(69)の2人が殿堂入りした。
3人は、この日、野球殿堂博物館での記者会見に出席してスピーチを行った。
また特別表彰として、夏の甲子園で合計13度も決勝の球審を務めるなど、高校野球の名審判だった故・郷司裕氏、元毎日新聞の野球記者で、プロアマの公認野球規則の整備に尽力した故・鈴木美嶺氏の2人が選出された。これで殿堂入りは述べ197人となった。
9年目にして265票を集めた(当選必要票は250)伊東氏は、1500試合以上出場した捕手としては、史上4人目の殿堂入りとなった。熊本工時代に甲子園に出場したが、西武管理部長だった故・根本陸夫に惚れ込まれ、西武の球団職員として囲われる異例の形で、1981年にドラフト1位で西武へ入団。ルーキーイヤーから出場機会を得て、現役時代は捕手として歴代3位となる2327試合に出場、ベストナイン受賞10回、ゴールデングラブ賞受賞11回で、1996年9月7日から1998年5月27日にかけては、捕手の日本記録となる1263守備機会連続無失策を記録するなど、14度のリーグ優勝、8度の日本一を経験。西武黄金期を司令塔として支えた。
捕手としては、それまでの常識を覆すような強肩、強打、俊足の3拍子揃ったハイブリッド捕手で、通算1738安打、156本塁打に加え、通算犠打305はパ歴代1位、通算134盗塁は、捕手としての日本記録だ。
引退後は、西武監督を務めて初年度にリーグ優勝。その後、韓国でのコーチ経験などを経て、2013年からロッテ監督。優勝はないが、4年で3度のAクラスに導くなど監督としての手腕も高く評価されている。
伊東氏は、この日、「本当に自分でいいのだろうかというのが正直な気持ち。歴代の恩師、川上(哲治)さん、広岡(達朗)さん、森さん、ウォーリーー与那嶺さん、根本(陸夫)さんらに一歩でも近づけたか、感謝したい。昨年、故郷の熊本が大惨事となり、今でも多くの方々が苦労している。郷土の代表して、このニュースが故郷の明るい希望、未来へ少しでも貢献できればと。今もユニホームを着れて勝負できているのは幸せ。ロッテは優勝から遠ざかっているし、殿堂入りの自覚と責任をもって恩返したい」と、喜びの声を伝えた。
「西武では勝つことを宿命づけられ、そのことだけに必死だった。捕手としては、私生活からの観察が大事で、私の強みは経験だった。あらゆる局面を経験してきた、そこは負けないという自負がある。だから今も現役選手が困っていればアドバイスができる」とも語った。
必要当選票数を4表上回る88票で当選した星野氏は、再資格を得て3年目での殿堂入り。現役時代は「燃える男」と言われる闘志あふれるピッチングで、中日のエース、ストッパーとして活躍、146勝121敗34セーブの数字を残したが、特にドラフト指名で因縁のある巨人に異常な闘志を燃やした。1974年には初代最多セーブ王と沢村賞を獲得する活躍で巨人のV10を阻止して20年ぶりの優勝をもたらした。1987年に戦後生まれ初の青年監督として中日監督となると「闘将」と呼ばれる激しいリーダーシップでチームを鼓舞。鉄拳制裁や乱闘にも、加わる暴れん坊ぶりで、中日、阪神、楽天と3球団にわたって優勝を経験。楽天では、巨人を倒して悲願の日本一を手にした。
3球団にまたがっての優勝は、過去に故・三原脩氏、故・西本幸雄氏と星野氏の3人しかいない。北京五輪では、侍ジャパンの監督も務め、本番ではメダルを取れなかったが、激戦だったアジア予選を執念采配で勝ち抜いた。監督生活17年間でAクラス10度、通算1181勝1043敗で、歴代10位の勝利数。
現在は楽天副会長だが、中日監督時代には落合博満のトレード、阪神では、金本知憲のFA移籍を成立させるなど、GM監督としても力を発揮した。
「私には似合わない席。野球に感謝したい。あと1週間ほどで70歳になるが、ジワジワと野球をやっていてよかったなという気持ちが沸いている。(3球団で4度の優勝に関しては)すべて最下位のチームを2、3年後に優勝させたが、運よくというか、選手のおかげ。闘将という言葉ばかりが先行しているが、データだってきちんと取っているし、考えているんだよ(笑)。まあ、そういうニックネームをつけてもらうのはありがたいことだけど、もっと他にもあるんだよ(笑)。
最下位チームを育成する秘訣? 思いやりを持つことだろう。すべてにおいての思いやり。ユニホームを脱いでからの人生の方が長いんだ。今は楽天の副会長だが、楽天だけにとらわれず、これからは少年野球、アマチュアも含めて野球界全体のことを考えて行動したい。底辺を拡大していかないと野球界は破滅してしまう」
星野氏は、そうユーモアを交えてスピーチをしたが、ゲストスピーチとして招かれた明大、中日を通じての先輩にあたる杉下茂氏には、「他のチームには目をくれずに打倒・巨人だけを考えていた。監督になってからも巨人を倒して優勝した後に『巨人に勝ったからもういいんだ』と言っていた。だから日本シリーズではずっと勝てなかった。楽天で日本一になったのは相手がジャイアンツだったから」と暴露され、「今、思えばもっと日本シリーズも真剣にやっておけばよかった(笑)。でも(楽天で優勝した)2013年は『巨人出てこい!』という気持ちだった」と、4度目の挑戦でのシリーズ制覇の理由をこう説明した。
平松氏も打倒・巨人に燃えた一人だ。
岡山東商のエースとしてセンバツ甲子園で全国制覇。中日にドラフト4位で指名されたが入団を拒否、社会人の日本石油を経て、星野氏と同じく巨人の1位指名の約束などに振り回されたが、1967年のシーズン途中から、この日、ゲストスピーカーを務めた土井淳氏らに説得されて大洋に入団した。
カミソリシュートを武器に、18年プレーして、最多勝2度、最優秀防御率タイトル1回、通算201勝196敗16セーブ。対巨人の通算51勝47敗は、金田正一氏の65勝に次ぐ歴代2位の記録、特に長嶋茂雄氏に滅法強く、通算対戦成績は、181打数35安打8本塁打、打率.193、三振は33も奪い、シュートで詰まらせ、内野ゴロは65を数え25打数無安打に抑えたことさえあった。ただチームの最弱時代で優勝は一度も経験できなかった。
表彰式での平松氏は「夢ではないのか」と頬をつねって「痛いので夢じゃない」と興奮した様子。
84票での当選で、もし1票存在した無効投票がなかったら1票差で落選していた。
「夢の中の夢。素晴らしい最高の名誉です。原辰徳ら若い人も入ってきたし、いずれ抜かれて無理かなと思っていた。連絡をもらったときは、思わず涙が出た」と続け、両親、家族、これまで巡りあってきた指導者の方々に感謝の意を伝えた。
大洋時代にバッテリーを組んだ土井淳氏が「巨人戦になると目の色が変わった。優勝できなくても巨人に勝てばいいと考えていた。ボールは速かったが、そこに本当に切れる、カミソリシュートが武器になった」と紹介。
「小さい頃からファンだった巨人にドラフト指名を約束されたのに、いざ蓋を開けると違った。あのときの悔しさ、今にみておれという気持ちが原動力。しかも、全国区になるには、巨人に勝たねばならなかった時代。長嶋さんに打たれれば巨人というチームは盛り上がるので、第一に子供の頃ファンだった長嶋さんを抑えることを、夜も寝ずに考えていた。自分では、長嶋さんには凄いボールがいっていたと思う。人が変わるほど集中していた。でも、原や中畑が、巨人打線の中心を打つようになって、夜眠れるようになった(笑)。おかげで成績は悪くなった(笑)」
長嶋茂雄氏も、平松氏と対戦する際には、シュート対策のため相手チームだけでなくファンにもわからないように、打つ寸前のバットをすっとずらして短く持っていたという。
殿堂入りの表彰式は、後日、改めて行われる。
世代的にいいと思う。
たたかうおとこ