Full-Count
11/29(火) 10:13配信
今季の規定打席到達者は小林のみ…かつての「打てる捕手」の成績は?
シーズン終了後に行われた侍ジャパンの強化試合で“捕手不足”が露呈したように,今の球界では「打てる捕手」が消えつつある。今季,セ・リーグの捕手登録での最多本塁打は巨人・阿部慎之助の12本。だが,阿部は右肩痛のため,1軍に昇格したのは5月末だった。復帰戦でいきなり本塁打を放ったのは見事だったが,今季は一塁手として出場していた。続くのは阪神の原口文仁の11本。パでは10本塁打の西武・森友哉が最多。こちらも正捕手ではなかった。規定打席に到達したのは打率2割4厘の巨人・小林誠司だけだった。
かつては,日本一になるチームには必ず正捕手がいた。しかし,投手分業制が進んだ現在では,捕手も投手によって起用されることが多くなったようにも見える。今年日本一に輝いた日本ハムも,大野奨太と市川友也の2選手が主に先発マスクをかぶり,セ優勝の広島も石原慶幸,會澤翼が起用された。
打てる捕手の減少と重なり,その立ち位置も変わってきている。打率2割8分や本塁打20本をマークすれば,球界屈指の捕手としてその名は球史に残る。だが,2013年に阿部が32本塁打を放って以降,3年連続で20本塁打以上を記録した捕手は現れていない。今の時代なら打率2割5分,15本塁打を打ってくれれば御の字という雰囲気もある。
90年代以降は多くの「打てる捕手」が存在した。
◯古田敦也(ヤクルト)
入団2年目の1991年には打率3割4分で首位打者を獲得した。3年目の1992年には30本塁打を記録。野村克也監督の下で帝王学を学び,卓越したリードも身につけて球界最高の捕手と言われるほどになった。20本塁打以上は4度。ヤクルトでクリーンアップを担った。
城島は5年連続20発,阿部は16年連続2桁本塁打
◯谷繁元信(横浜・中日)
横浜時代の2001年,中日時代の2002年に20本塁打以上をマークするなど,勝負強い打撃で恐れられた捕手。1989年の1年目から引退した2015年まで通算3021試合に出場。最後は監督兼任選手として日本記録を樹立した。
◯城島健司(ダイエー/ソフトバンク・マリナーズ・阪神)
強打と気迫あふれるプレーで本塁を守ってきた捕手。ホークス時代にはクリーンアップも打ち,31本塁打の2001年からメジャー移籍する2005年まで5年連続20発。マリナーズに移籍した2006年も2ケタ本塁打(18本)を記録するなど日米で「打てる捕手」として君臨した。阪神で日本復帰した2010年にも28発を放っている。
◯阿部慎之助(巨人)
1年目の2001年から開幕スタメンに起用され,巨人の主軸への道をスタート。入団から今年まで16年連続で2桁本塁打を記録するなど4番打者としてチームを牽引。2010年には44本塁打。日本一になった2012年には首位打者と打点王を獲得。近年は一塁に転向し,勝負の時期を迎えている。
◯田上秀則(ソフトバンク)
シーズン途中からレギュラーに定着した09年は,下位打線での起用だったが,26本塁打を記録した。ホークスの捕手で20本塁打をマークしたのは城島以来5年ぶりだった。この年はチーム最多でリーグ4位の本塁打数。ベストナインに選出された。
里崎は勝負強い打撃が光る
○中村武司(中日・横浜・楽天)
現役19年,3チームを渡り歩きながら,2005年にユニホームを脱いだ。通算打率は2割5分(.242)を下回ったため,打てる捕手といい難い部分はあるが,ドラゴンズ正捕手時代の1991年には20本塁打を記録。下位打線ながら意外性のある打撃でファンを魅了した。
90年代以降で20本塁打以上を放った打者たち以外にも,バッティングを買われたり,守備面を考慮され,内野や外野にコンバートされて打撃を開花させた選手も多い。ダイエーの吉永幸一郎内野手や日本ハム,巨人,中日でプレーしや小笠原道大内野手,西武,中日でプレーした和田一浩外野手らも元々は捕手だった。また,ロッテで日本一,日本代表で第1回WBC優勝にも貢献した里崎智也捕手は20本塁打こそ記録していないが,6年連続2桁アーチや勝負強い打撃が光り,リードの評価も非常に高かった。
本塁打数ではなく,打率に目を向けると,2003年にリーグ3位の打率.328を記録し,リーグ優勝に貢献した矢野輝弘捕手も高い打撃技術を持っていた。捕手が打撃とリードの両方を高いレベルで維持していくのは大変な作業と言える。
今年のプロ野球を見ていると,西武の森,阪神の原口に「打てる捕手」としての期待がかかる。ドラフトでもソフトバンク3位の九鬼隆平(秀岳館),広島4位の坂倉将吾(日大三)など打力の高い高卒ルーキーが入った。育成しながら,魅力のある「打てる捕手」の登場を待ちたい。