スポーツ報知 1月24日(日)20時53分配信 

「2006年1月23日付スポーツ報知紙面より」

 カド番だった東大関・栃東(29)=玉ノ井=が2003年九州場所以来13場所ぶり3度目の優勝を決めた。東横綱・朝青龍(25)=高砂=を上手出し投げで破り14勝1敗。モンゴル出身の朝青龍に奪われていた賜杯を、日本人力士としては04年秋場所の大関・魁皇以来8場所ぶりに奪回した。日本相撲協会の北の湖理事長(元横綱・北の湖)は、春場所(3月12日初日・大阪府立体育会館)が綱取り場所となることを明言した。

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 栃東は手負いの朝青龍を投げ捨てた瞬間、小さくこぶしを握り、ふーっと大きく息をついた。長いトンネルをくぐり抜けてのカド番優勝。「いろいろけがもあった。うれしい優勝です」。喜びを静かにかみしめた。

 初日から貫いてきたまわしにこだわらない押し相撲を、千秋楽は初めて変えた。胸から当たり、左四つでいち早く右上手を取る。「思い切ってやって負けるならしようがないと思った」。あえて挑んだ横綱得意の四つ相撲は、正攻法であり、最大の奇策でもあった。

 3年前の九州場所で2度目の優勝を果たしてから、いいことがなかった。左肩を骨折し、右ひざも負傷。休場が相次ぎ、大関から2度も陥落する挫折を味わった。師匠で父の玉ノ井親方(元関脇・栃東)は「もうやめたらどうだ、という話は何度もした。でも、救いは弱くて落ちたんじゃなくてけがしたから。それで本人はできると思ったんじゃないか」と話す。

 場所前から柔軟エクササイズのピラティスを取り入れた。筋肉の緊張感をなくし、頭部から尾てい骨までの体の芯を鍛え、体のバランスとしなやかさを養う運動だ。「今までとは体の柔軟性が全然違うのは相撲を取っていて分かった」。ガムシャラな申し合いよりも、けがをしにくい肉体をつくり上げる狙いが見事に結果を生んだ。

 日本人力士がだらしない―。こんなファンや好角家のささやきを耳にタコができるほど聞き、「言わせておけばいいぐらいに思っていた」と笑い飛ばしてきた。鍛錬してつくり上げた自分の相撲を取り切れば、いかなる相手にも負けないという自負があった。

 春場所では1998年名古屋場所の3代目若乃花(花田勝さん)以来8年ぶりの国産横綱誕生の期待がかかる。玉ノ井親方の師匠だった先々代春日野親方(元栃錦)は、同じ29歳だった55年初場所で昇進。3度目の優勝が起点になったことも、一門の偉人と重なる。栃東は「また再チャレンジして、体を徐々につくっていきたい」と意欲。栃錦は昇進場所後に結婚式を挙げている。結婚を前提に交際中の彼女とのゴールインも、ひょっとしたら合致するかもしれない。(甲斐毅彦)

 ◆栃東大裕(とちあずま・だいすけ)本名・志賀太祐。1976年11月9日、東京・足立区生まれ。29歳。玉ノ井部屋。明大中野高時代に高校横綱。94年九州で初土俵。96年夏に新十両、同年九州で新入幕。2002年初に大関に昇進した。序ノ口から幕内まで各段制覇は元横綱・羽黒山以来、史上2人目。父は玉ノ井親方(元関脇・栃東)。殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞7回。得意は押し。179センチ、154キロ。