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     ~ 風のように ~

俺はまだ大学生くらいの頃に図らずも母方の叔父と原発について半ば感情的になりつつも話し合った事がある。

半ば感情的になりながらやから話し合いとは言えない程度のものだったかも知れないけど、
まさに震災後に世間で議論されている事とほぼ同じような内容を事前に話していた事をある意味では誇りに思う。


叔父は幼い頃から俺を可愛がってくれて、無条件で可愛がってくれた祖父母が亡くなってしまった今、
家族や親戚を見渡しても俺の事を本当に真剣に考えてくれる数少ない人の一人や。

男気いっぱいで九州男児バリバリだから、たまに

『それはちょっと無茶苦茶だよ(..;)』

って思う事もあるけど、
時に厳しく俺の甘さを叱ってくれるありがたい存在や。


最近ではあまりにも俺が理屈に走るし結局2人共疲れ切ってしまって答えが出ないから議論は避けるようになったものの、
当時はエアコンをつけるかつけないかって話から、
ゲーム機が家庭におけるネット環境の中核になるかならないかとか、
携帯電話についてなど、いろいろな話に時間を割いて付き合ってくれた事が
今もありがたい思い出になっている。

なかなかそんな大人は俺の周りにはいなかったんだよな。

たまにぶつかる事もあるけど、俺にとっては叔父は大切で尊敬して止まない存在や。


そんな叔父とかなり前に原子力発電の賛否について議論していた。

立場は当然賛成と反対に分かれ俺は反対側。
叔父は政策や経済、安全対策を鑑みた上で賛成側だった。

当時の叔父は原子力発電所を見学したりして相当に念入りに安全対策が為されている事や
原子力発電所を利用していかないと日本の経済や生活が成り立たない事などを主張していた。

当時の俺の意見は極論だったけど人間の創ったものに絶対に壊れないものなど無いという事とか、
仮に電力が足りなくても人類は電気の無い時代にもちゃんと生活していたんやから
原子力が無いと文明が成り立たないと言うなら文明なんて後退したって良いという主張だった。

今思うと俺の主張は幼稚な感は否めないもののある面では間違ってなかったと思うし、
叔父の言っていた事も原子力発電所の安全性以外は正しかった。

九州電力はやらせまで使って世論操作などをしていた訳やから
叔父が当時原子力発電所の安全性を信じていたのも無理も無いと思う。


たまたま福島で事故が起きて

『ほら俺が言った通りやんか』

と事故後の今になって叔父を責め立てようとかそういう次元の低い話やなく、
事故が起きてから今ようやくテレビなどで盛んに議論されている事を
事前に叔父と話し合えていた事をありがたかったなって今つくづく感じるねんな。

何年も前に話し合っておいた話だから、今の世の中の議論をそれぞれの立場で客観的に観られる。


未来に向けて世の中には難しい問題が山積している。

日々の生活に一生懸命でなかなか真剣にそれら様々な問題について語り合う機会は無いと思うけど、
皆さんの周りに、もし俺にとっての叔父のような存在の人がいるならば、
たまには未来について恨みっこ無しで熱く語り合ってみるのも良いかも知れない。

そういう経験が自分の考え方をより深いものしていってくれると思うから。
俺は大学は文系を出ているものの得意だったのは主要5教科以外…(笑)
元々は理系だったからか比較的非科学的なものを安易に信じたりはしない。

けど、それでも、時々非科学的な事を実感する事はある。

例えば…
ところ構わずあちらこちらでエラくよく出くわす人ってのがいる。
それは恋人になるとか結婚するとかでないにしても
何らかの縁の存在を感じずには居られないような人ってのがいる。
しかも、縁にも期間があるみたいで、数年間はよく会ってたけど、パッタリ会わなくなったり、
逆に急によく会うようになる人ってのもいる。


他にも、非科学的な事で実感としてあるのは例えば背後からの視線。
当然見える訳はないのに人の視線に気づく事がある。
これはいったい何故なのか?

身を守る為の失われつつある僅かな本能なのかな??
よく判らないけど、確かに気配を感じ取る事はある。


他にも、土地が明るいとか土地が暗いとか感じる事って無い?

何かそういうのって凄く感じて、ここは何かとても嫌な雰囲気があるから離れたいとか、
ここは何だかとっても居心地が良いとかそういうのも実感として確かに存在する。

で…後からそこがちょっと良くない過去や逸話を持った場所だったって知ったり…(..;)


俺が携帯屋だった頃、不本意ながらもポスティングに行ったりもしたんやけど、
そうすると、立ち入りたくない雰囲気が漂うマンションとかって確かに存在してるねんな。

けど立ち入らざるを得ないから立ち入るんやけど、その後、あまり普通では考え難いくらい良くない事が続いてみたり。


たまたまかも知れないけど、仕事仲間に
『~さん(←俺の名前ね)マジでお祓い行った方が良いですよ。絶対変ですって。』
って真顔で言われるくらい異常な時期があった。


暫くするとそういうのもまた不思議なくらいぱったりと無くなって普通の日常になるんやけど、
非科学的な物事は確かに存在するような気がしてならない。

あまり怖い話は勘弁やけど、皆はそんな風に何か不思議やなぁって思う事ってあったりするかな??
と言っても

『時と場所をわきまえなさい!!』

って誰かに言われたとかそういう内容ではなくて…



最近、とても様々な場所の時の流れに想いを馳せてしまうねんな。

今まで住んできた様々な場所やそこで出逢った人々はもちろん、
ちょっと立ち寄って昼食を食べたお店の店員さん、
以前お世話になったマンションの管理人さん、路面電車で子供のようにはしゃいでた見知らぬ女性、
中国で人力車を引いてくれた素朴な笑顔の青年、
小中高、大学で出逢った個性豊かな先生達、ヨーロッパや中国、
日本各地を旅行した時に歩いた街や人々、仕事仲間、お客さん…etc


そういう様々な人々や景色、建物なんかがとても懐かしく思い出されて、
同時に俺が歩んできた時間と共に、それぞれが違う場所で同じ時間の経過を経験してるはずやという事が
当たり前の事なのに凄く不思議な感覚でもある。

俺の中では当時の記憶と共に時間が止まってる世界が、
当然ながら全く変貌してたり歳をとってたりする。

それは大阪や京都、東京など暫く住んでた場所に立ち寄ってみた時につくづく思う事だったりする。

俺が見てきたものは、多分、もう2度と訪れる事も無い場所や、もう2度と会う事も無い人々の方がきっとずっと多いはず。

俺が見た世界は俺の中ではそのままなのに、俺には全く関係無く時を進めていて、これからも時を進めていく。

そんな事を考えながら、あの景色や建物が残ってると良いなぁとか、
あの人は幸せに暮らしてると良いなぁとか、そういう事に想いを巡らせてる俺がいる。


そう…

それはまるで走馬灯のように…


…ではなくて、とてもゆっくりと思い出されるだけやからひとまず安心なんやけどね(^^;)


愛した街や人だけやなく、愛してなかった…って言うと語弊があるか(..;)
特別何の感情も持ってなかった街や人も、
そういうものも全てひっくるめて愛しく思える。


本当はもっと未来を見るべきなんやろうけど、俺の中には過去に出逢った人々と場所がいつまでも居座っている。