その男は老いていた。


ひとりの男が自身の背丈の半分ほどの高さまで、大きく前かがみになり、杖を付きながら私の目の前をゆっくりと通り過ぎた。


バランスを取りながら、必死の思いで自分の身体を動かしているという風に感じ取れ、それを私は、気に留めながら様子を伺っていた。


大きく前かがみになった姿勢では、陳列棚の上方は視界にはいらず、商品を探すことも困難だろうし、

レジの高さは壁の様な存在であるだろう。


それはコンビニエンスストアでの、日常のひとこまだったのだが、その老人はあきらかに異質な存在として、店内に存在していた。


その空間が、若者や学生などで占められていたから、対比して異質な存在として捉えてしまう自分がそこにあったのかもしれない。


異質にみえてしまう感覚は異常なのか。そう見えてしまう空間設計だからなのかもしれない。

そんなことをふと思った。


その老人は、コンビニエンスストアまでセニアカーで移動し、駐車場からは杖を用いて店内までの移動を強いられていた。


「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」という一瞬心地よく聞こえる言葉。


そんなものがこの空間のどこに介在しているのか。


この国のほんの少し未来に「靄」がかかって見えた。