その赤ら様な皮を剥ぎ取ってみろ
ロマンのかけらもない
苛立ちにも似た
たまらなく異臭を放つ
疲れきった骨格が透けて見える
瑠璃色の血液が飛散する様を見てみろ

露出度あれ思想なきピンクのゴミよ
世の眼はあざむけない
今でも好きだろ権力という名のパワー
あからさまに苛立ちにも似た愛を唄うコマーシャリズム







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一日一体どれくらいのゴミをだしてるのか

デザインという行為で多くのゴミを創り出してきた

多分、他の職種の方より多くのゴミを作り、多くのゴミを廃棄し、焼却埋め立てをしてもらうコトを繰り返してきたと思うのだが、このサイクルは資本主義の世界では終わることもなく、ただ当たり前の様に続いて行く

モノをつくらない思想を実践し、商業的にも成功をおさめている方がいるのだが、氏のコトバが心にスッと入ってくる。全てではないが、自然に受け入れることができるコトバか結構あるのだ

ナガオカケンメイといえば思い出す方もいらっしゃるのではないか

氏のブログで坂本龍一氏と一緒に撮影された写真を見たのだが、それを見てピンときたというかハッとさせられた

それは私の記憶の断片にある坂本龍一氏の一言だった

「アスファルトを剥がす事に金をかけても良いのでは」という様な内容だったと思う

公共工事に金を湯水の様にばら撒いていた頃なのだが、無意味に作る行為はもう辞めたらどうなの?という内容だったと記憶している

これはもう20年くらい前の氏のコトバだったのじゃないかな。もっと前かも知れないが、ずっと頭の隅に残った

坂本龍一氏が反原発を唱えているのも合点がいくのだが、ナガオカケンメイ氏も作らないコトを生業としている

全く接点のなかった2人が同じ思想を持ち、引きつけ合う様にして同じ写真に収まったのだろうと想像すると、一つの思想を貫く大切さを改めて思うのと同時に、私にはメッセージの様に受け取れた

「まだゴミをつくるのですか?」と言われている気がしてしまう

モノに価値があるキャピタリズムの世界ではゴミを作り続けなくては対価としてのカネは私の口座に入ってこないのだが、人々の価値観が大きく変革しモノには価値がなくなり、他の価値により対価が発生する様な日がくるのではないかと夢の様な妄想をしてしまう

共産主義になってしまいそうな夢の様な妄想なのだが、創らなくてはならないモノは創られず、ゴミは明日も生産され大量に消費されて行くのだろう















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すべての人に今宵Merry Christmas

なにもかも上手くいってるあなたへ
なにもかもしくじっているあなたへ

被災地のあなたへMerry Christmas

絶望しているあなたへ

祖父を、祖母を、母を、父を、兄を、弟を、妹を亡くしたあなたへ

すべてをなくしたあなたへ

暗闇のその先にはそれはあるはず
光は自から引き寄せるんだよ
あきらめないでほしい

この国は 自分のコトは自分で全て責任を負いなさいと言っている

ゆっくりと進もう 這いつくばって
生き抜いて行こうよ

この国へ生まれてきた君へ
この国にこれから生まれてくる君へ

今宵Merry Christmas





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