私の出身は兵庫県西宮市です  生粋の関西人です  30歳で関西を出て、名古屋、福山、岡山と移り住み、いまは自宅は岡山にありますが、自宅に戻るのは月に2回、あとは松山にいます  転々としたのは仕事による転勤でしたが、各々の現場で方言に楽しみながら苦労もしました  名古屋には1年ほどしか居ませんでしたが、広島県福山市や岡山市に転勤した時に何度か辛かった事があります  関西では仲良くなればなるほど距離感が近くなり、アホか  なにしとんねん?  などと言う言葉が増える傾向にあります  ホントにアホとは思ってはいませんが、親愛の情を込めて笑いながらアホか( ˙꒳​˙ )と言うのは友達同士でよくある会話です  でも出身や育ちが違う人と話す時、自分は十分距離感が近くなったと思い込み、アホかと言ってしまうと烈火のごとく怒られた事があります  あるいはなにしとんねん?を少し丁寧に何をしてるんですか(笑)だと問題ないのですが、なにしとんねん?になるとバカにしているように聞こえてしまう事もありました

逆に岡山では早くしなさい…を早うしねえといいます  最初はよ死ねと聞こえてびっくりしました  関西では言葉尻に〜じゃという終助詞を使うのはおじさんと相場が決まっていますが、岡山ではうら若き女性の大半が〜じゃ!と言います  関西の人はそれを言葉が汚いと言う事がありますが、関西の人がアホかと言うのと同じ感覚で、他意はありません  荒い言葉でもなんでもなく、ごく普通なんです  これを粗野な人とレッテルを貼るのは如何なものでしょうか?当社には福岡出身の女性がいますが、終助詞に〜と という表現をします  なにしよっと?と言う疑問を表しますが、これを可愛いと受け取る人もいれば、面白く感じる人もいます  言葉のみに翻弄される人は自分の枠に収まらない表現を楽しいと受け取ったり、面白いと受け取ったり、失礼と受け取ったり、腹がたったり…相手の本意を見ない人はそれだけストレスを自分で作り出している事に気づきません  噛んで含めるように物事を丁寧に伝えられると有難く思う人とバカにされているように思う人がいたりします  自分が距離感の近い冗談を吐いておきながら、相手が同じように返すと怒り出す人がいたりします  なんとか伝えたい事があり、一生懸命話す人に対して感動する人がいれば、うっとおしいと感じる人がいたりします  すべて自分の枠内に当てはまらない事を良しとしない、自我の強さです  私が全て柔軟に受け止めているとも思いませんが、言葉ではなく、その人がその時に発しているエネルギーが本意です  頭が固いと感じ取ることは出来ません  不思議な事に相手が子供であれば、いくら憎たらしい事を言われても本意を感じやすかったり、いくら立派な事を言われても背伸びや虚飾を感じたり…  相手が無邪気だからなせるワザなんでしょうか…  穏やかに歳を重ねた方々の中には包み込むように人の言葉を聞かれる方々が居られますが、私はそういう方々のようになりたいと思います  そういう方々に向けては自然と柔らかい言葉が出るのを感じるからです  仲の悪かった配偶者が亡くなったあと、日記を見て本意に気づき、涙した方がいたり、逆に虚飾に気づかずに居たことに気づく事があったり…  言葉を理解する左脳が優先だとそうなるのでしょうね  その人の発しているものに気づけるような、落ち着いた自分を作り上げていかないとストレスまみれの人生で終わっちゃう  病気や不調はなにも食べ物だけではないと思います