苦しみの始まりはおそらく、
創造主がエゴと自己を同一化し
外側にあるものを手に入れなければ
幸せになれないと思い込むことから始まる
(本当はすべて自分が創った=
自分のものであることを忘れている状態)
創造主の立ち位置を見失ったまま
創造したものを批判し、変えようと
分離であるエゴの「欠乏・不足」視点で
行動に走る。メソッドに走る。
(成功するか失敗するかはわからない)
こうして第二の苦しみが始まる…
エゴで散々こねくりまわした結果、
世界は本来、やわらかくてやさしいものであり
こねくりまわさない方がいいという結論に達した笑
本来完璧であるものに対し
何かしようとするから停滞、逆行するのかも。
創造主から見れば、全てが愛で構成されている。
欠けているものは一つもない。
私が何度も跳ね返されたのは
愛に対し愛じゃないもので挑んでも勝てないよ、という教え?
すでに調和のとれた世界の中で
それに気づかずあれこれ考え行動し
調和を乱してしまうのがエゴだ。
意図にあれこれ手を加えない。
創造主が発したものだから。
エゴがどうこうすることじゃない、たぶん