ある時、いつも通りばちばちなメイクをして帰宅し、カラコンを外しながら鏡を観て急に思った。
〝もし、私が望む完璧な顔になれたら?〟
〝整形でもして、誰もが羨む美人に生まれ変われたら?〟
たぶんたまらなく高揚するだろう。嬉しいに違いないし、完璧な顔に惚れ惚れし、幸せな気持ちでいっぱいだろう。
だけど、それってずっと続くのかなっ?
ずっとその顔で居られるのかなっ?
このメイクを落とした時みたいに、カラコンを外した時みたいに、ひとまず満足して高揚したあとの落胆っていつか来るんじゃないのかなあ。
美人な人であればあるほど、皺にシミに、たるみに、ましてや整形でもして作り上げた顔が変わっていくことをいつか理解して受け入れれないといけないんじゃないかなあ。私にはそれをまた受け入れることができるのかな...?
若くて美人で綺麗なだけが、私にとっての幸せじゃないかもしれないと思った。
人は皆、平等に時の流れの中に生きている。
どれだけ自分の顔が不細工だと思っている人も、美人な人も、必ず40歳、50歳、60歳、70歳と歳を重ねるのだ。
そんな中で、これだけ美に執着して、完璧な美を理想を手に入れたとしてもきっと私は欲深いから、衰えていく恐怖や不安に苛まれるに違いない。
今を犠牲にして若い時こそ綺麗でいなければと、今が良ければそれで幸せなんだと、望む美を手に入れてもそれはまた同時に失う恐怖や不安も同時に引き受けていかないといけないんだと。
それなら、〝いつどんな時もありのままを愛せる〟、そんな自分でいれたほうが幸せな生き方なんじゃないかって思った。
そう思ってから自分の顔を可愛いく思える箇所を鏡をみながら見つけ出した。
太陽光でよく見ると裸眼の輪郭に宿る様々な虹彩がきらきらしていて綺麗だった。決して綺麗ではないけど肌のキメもきらきらしてるし、つぶらな奥二重、長くてコシがある睫毛に、海でできたシミ、ぷっくりした鼻、上がっている口角...。
嫌なとこも好きなとこも
〝この顔と生きてきたんだよなあ。これからも生きて行くんだよなあ。ごめんね、ずっと可愛いって言ってあげれなくて。〟って気持ちで溢れてきた。
これから無理にカラコンで瞳を大きくみせる必要は無いし、ファンデーションで均一になるくらい肌を厚塗りにしなくたっていい、顔の造形を変えるほどのメイクもしたくない!
この顔を愛していきたい、愛していこうと思った。