公開時から気になっていた「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観る。


学生運動がさかんだった世代が自分の身近なところにはおらず、自分が知り得るのはあくまでも資料的な側面のみであるし、自分の世代には学生運動は起こり得なかっただろうという体感や時代の空気を感じるので、自分にとって学生運動というものは最早フィクションのようにさえ感じられて、だからこそこの世代が何と闘い何を得てまた何を失ったのかということに大変興味があります。


この記録を観ると、知と知のぶつかり合いがかっこよく、特に三島の学生の話を傾聴する姿勢や、相手の言葉尻をとらえて揶揄するようなことをせず真摯に討論をするところに、理想的な闘いをみるのだけれど、討論だけでは物事が変わらないから暴力に訴えたのだろうと思うと、そこに関して東大という日本の最高学府の学生たちは、知の敗北を感じたりはしなかったのだろうかと思ってしまう。


しかしその反面、認識が先か行動が先かという問いに行動が先であると考えた三島と暴力という行動に訴えた全共闘とはその点において同志であるような気もする。


三島由紀夫という人が生きていたら、今この世の中をどんな風に見たのだろうということを強く強く思わされた記録だった。