人を褒めることはとても簡単だけど、
人を認めることはとても難しい。
私は人を褒めることがとても得意だけど、
人を認めることにかけてはとても苦手。
人を認めるということは、
その人と私を同じところにおかないといけないと思うのです。
相手が人なら、私と同じ人として、
同じクラスの子なら同じ年数を生きてきた子として、
先生なら、私よりも何十年も沢山生きてきた先生として、
私を基準においてそこから足し算とか引き算をして、
私と同じところに置いたときに、
自分が納得できるかどうか、理解できるかどうか、
それがとってもとっても私には簡単じゃないことです。
私以外の人のことは、外からしか見えません。
でも私にかけては中から見えるから、
私は私にあきらめと納得と理解があると思うんです。
それがない他人を、認めるのは、とても難しいと思います。
自分じゃない人を自分と同じ基準に置いた時、
私はほとんどの場合羨ましくなって、
それが原因のいけない解釈によって理解ができなくなります。
自分の親とか自分の友達ですら、
認められないことが多いです、褒めることはできますが。
話は変わって、子供達と接するときに、
褒めることはに異常に簡単であるために、やりすぎることがよくあります。
褒めるというのは一見とてもいいことに見えて、
その反面、
「○○ができてすごいね(○○ができないとだめだよ)」
という無言のメッセージを、そこにいるほかの子に与える危険もあります。
褒めるということは、認めることとは大違いで、
その褒めた部分のみを評価していることであって、
褒められていない、評価されていない部分はそのままです。
それを避けるためには、認めてあげればいいんです。
認めることはとても難しくやっかいですが、
一度認められるとそれは全てを認められたことになり、
その人のすべてを認めたことになり、
褒めた、怒った、とかを越えたところに納得や理解の柱ができます。
寮に居た時代、私のことを褒めることもなく
ただ怒り続けた先生に、
「私はうららを認めている」
と一言言われただけで、全てに納得できました。
今日書いたことのほとんどは、ある文章を私なりに解釈したものです。
その文章を書いた方の真意を伝えているとも思えないし、
私の真意かと言われるとそれも少し違う気がします。
私は沢山の人を認めたいし、
できれば誰かに認められる人間になりたいと思います。