【REAL-ME!】自分を主に据える挑戦!

 

生きていくための○○をしないし

お金のための○○をしない!

 

このスタンスでいく

と決めたものの

 

やっぱり

目の前には支払いがあるし

欲しいもの、やりたいことには

お金が要りますわね。

 

そのためには

まず毎月○○万円のフローを

生み出す必要があるし、

 

それにはそれだけの

お役立ちを施さなければ、

 

と思ってしまうのも

また致し方ないところでは

ありますね💦

 

でも、そうやって揺さぶられることも

自分に赦しているし

そういう自分もあってよいよね

と許可をしている受容の中で
 

本来の落ち着きを

取り戻していくのですが
 

ここらへんが

自分の挑戦となっていくところなのだと

感じております。

 

「○○円稼ぐためには、

それに見合った△△を施さなければ」

 

という捉えの世界は

 

どこまで行っても、お金が主導。

価値創造という対価がありきの土台。


 

お金が主人で

私は従属の身で

 

そのお金をいただくためには、

対価を生み出して初めて成り立つ

 

という構造。


どうも
これはつまらない、
そう感じてしまうのです。

 

 

お金が土台の対価創造ゲームは、

比較競争が生み出す、勝者獲得の世界だから。
 

不足、欠乏の「ない」を土台とした

世界が起点。

 

 

それをバネに乗り越えていく
「苦難福門の世界」も、

それもそれで面白い世界だよね。
 

その苦難のおかげで

目が覚めて、意識が変わって

真剣に取り組むようになり
一心不乱に取り組んでいったら、

人生が変わっていく、

 

という流れの世界。
 

確かにそれはとても波乱万丈で

面白い素晴らしい世界です。

 

 

ただせんちょーは、

もうそこではいかないと

決めたのです。

 

そこがいつも葛藤するポイント

だったなあ。


これから生きていくと決めた

その世界では、

対比対極で捉えるのではなく、
 

「どれもが

すべての一面一部、

一つの現れ」

 

と捉えるの世界。


一元一極という全てであり、

全てがある世界。
 

それは、

 

すべての可能性が

ありえるし、

あってよいという世界。

対比構造ではないのです。

今までの二極対極の世界では、

NGからGoodに向かう流れ

苦難を乗り越えていく流れにあった。
 

その流れにそって、

成長、達成、拡大していくことが

楽しかった時代。

 

苦と福の対があることで、

より面白さが際立った時代。
 

だからこそ、

苦があってこその福来、

苦難福門だったのだな。



「今のままでは

絶対に終わりたくない。

そんなの嫌だ!」

 

「絶対にこれだけは嫌だ!

そんな未来は嫌だ!

絶対にそれだけは避けなければ!!」
 

 

そうやってNGな現状の自分や

NGな未来をはねのけ、

受け取らないようにする反発力が

原動力であり、

 

欲しい未来を手に入れよう、

とする夢や希望が原動力となってきた

のだと思います。

うん、でも

俺はもう、そこじゃないんだ。

「いま、ダサくて情けない今、

この状況の自分も、これもありだ」

と受け入れてる。
 

”NGとは捉えてない!” 

 

「それもそれで貴重なありなのだ」

と認め入れている。

 

未来に起こりえる

絶対避けたいどんな絶望的な

未来も、

 

「そんな未来もあり得るし、

あってよい」


と認めれ入れている。 

 

それを”NGとは捉えていない!”


もちろん、

それを望むかといったら、

望みませんよ💦

 

絶対に嫌よ。嫌は嫌。滝汗
 

 

だからといって、

絶対に起っちゃいけないもの

(NG)にはしてしまわない。
 

可能性を拒絶しない。



それも確かに起こりえるもの

可能性として、許可を出す。
 

そんな最悪の未来が

起こりえることも、

可能性として認め入れる

 

それは

 

最上の未来も起こりえる

可能性を同時に

認め入れることになるのです。


最善の結末も、最悪の結末も、

全ての可能性を認め入れ、
 

「来るなら

全部来い!」

 

と肚をくくって

万事を尽くし天命を待つ。


「俺の役目は、

今俺ができることを

全力でやりきること!」
 

起こる未来の結果を

すべて天に明け渡し、

自らの素の発揮に徹する。

 

「どうであれ、

自分に起ること全てが、

自分の絶対価値の現れなのだ!」
 

というスタンスに立つと

決めたのだから、
 

お金を得るためを

目的として、

 

わざわざ対価を

生み出そうなんてしない。
 

 

だから、

一見そうは見えないことであっても

 

「それが豊かさの現れなのだ」と
天の導きを信じ切っている。

 

(天の演出は、人間の概念では

とらえきれないものだから)


「何か対価を生み出さなければ

お金ももらえないし、

どうやってその価値生み出そっか、、、」
 

というような弱弱しい視点では捉えてません。


お金がなくても絶対大丈夫!

お金のために生きない方が

絶対うまくいく!
 

そう信じてやっていく方が、

よっぽど力強いエネルギー感なのです。


じゃ、ボランティアでやるの?

じゃ、何もせずにいるか?

 

というと、そうではない。

そんなことは、内が望んでいない。
 

価値を生み出さなくてよい

とか、お金が必要ない

といってるわけではないのです。ニヤリ


お金の土台のもとに価値を生み出す

という発想が、新時代とは方向違い!
 

力強いエネルギーが沸き立っているのに、

何もしないなんてありえない!


もっと周りと連動していく流れに

のっているもの。

そう捉える感覚からくるもの。

 


これからの新時代では、

素、本来の価値を活かせるような

場やきっかけやツールを創造し
己という素を発揮していくことが、

更なる世界の豊かさを醸成させていく。



「対価を生み出さなくとも、

私は豊かさそのもの

 

お金に困ることはなく、

お金は必要に応じて

必要なだけ回るし巡る!」

そう信じ、

このスタンスで行くと

決めたのです。

 

結果的には

それは豊かさとして

巡ってくる。


 

この素をいかに発揮して、

喜ばしに用いていくか、

もっと面白い世界を創り出していけるか
 

純粋にそこに没入していく。

 

そうやってやっていって

朽ち果てたら

それも受け入れる。


純粋に向かいたいもの、

作り上げたいものへと向かう

せんちょーの挑戦です。