森林浴で「我」をなくす。

 

 

最近、面白いことに

森林浴に行け、とのメッセージが

2回続けてあったので

 

なんとなく気になってました。

 

 

 

そしたらですよ。

 

週末に嫁さまが

「○○公園行こう」って言いだして

 

そこ、ばっちり森の中なんすよ。

 

 

お!マジか!

 

って感じ。

 

自然と来るものは来るんだね。

 

 

今、メディアを観るとなんだか

どんよりする話が多いでしょ。

 

 

ずっとTVつけてたら、

ハッキリ言って病むよ。

 

 

深刻な顔して

不安だ大変だってずっと言ってるからね。

 

 

起こってる物事そのものよりも

どう伝えるか、どういう観点から伝えるかで

伝わり方なんて全然変わってくる。

 

 

だったらそこから離れる。

自分のセンスを取り戻す。

 

 

公園に来ていた人達の

顔も和らいで見えた。

 

 

森林浴、

森は森であるだけだから

そこに勝手な色を付けない。

 

 

花はただ花として咲いてるだけ。

木はただ木として立っているだけ。

 

 

人も本来ただその人であるだけ。

 

 

 

じゃ、その人じゃないものって

何?

 

 

自分じゃないもの。

 

勝手に色をつけ

何かをまとい

ゴテゴテに飾り付けていくもの。

 

 

価値観も

正しさも

正義もそう。

 

 

これが自分だ!

と一生懸命自分じゃないものを身に着け

これでも足らない、と別のものを探し出す。

 

 

いつの間にか

何が自分か自分じゃないのか

境目が分からなくなってしまう。

 

 

木がただ立っているように

自分もただ横に立つ。

 

余計な思考

余計な力み

余計な我

 

弛み解く。

 

 

これが自分だ!と思って来たものを

解いていけばいくほど

 

我を手放していけばいくほど

あ、これ・・・我だ

 

 

そう感じる不思議。

 

 

大木の横に立ちながら

自分とこの木も同じものなんだ

 

 

そう感じ始める。

 

 

すると

周りにあるものが

全て自分と同じものなんだ

 

そう感じ始める。

 

 

そりゃ、素粒子の世界じゃ

そういうことなんだけどね。

 

 

理屈じゃなくて

体感として感じたなにか。

 

 

 

あ、これ

漫画バガボンドで武蔵が言ってたな。

 

山も木も川も

すべて一つ。

同じもの。

 

・・・だったかな。

 

 

魂パンを脱ぐ

とはそういうことです。