執着と踏ん張る粘り強さの違いって何でしょう?

 

大木ゆきのさんが明確に解説してくれてます。

 

僕が悶々としていたことを言葉にしてくれるので助かってますよ、ほんと。

 

 

+++以下、ブログ抜粋

 

執着は、

・自己不信に起点があります。

 

自分に足りないものを満たそうとすることが動機になっています。

 

 

 

 

じゃあ粘り強さはどうなのか?

 

 

粘り強さの場合は

・自己信頼が起点にあります。

 

自分にはそれだけの力があるはずだ。これが私の魂の歓びだという確信があり、そこから行動している。


 ++++

 

 

結局、自分自身を認めているかどうか

自己受容ということです。

 

 

 

なにかチャレンジしてうまくいかないとき

それが自己不信からくるものなのか

それとも肯定感からくるものなのか

 

 

 

できていない自分を受け入れてあげる自己受容も

もちろん必要です

 

 

ですが、

 

 

そこに向かう自己受容と同時に

自分がそれを成し遂げられる自分であることも

信じる自己受容をしていく必要もあるのです。

 

 

 

できていない自分を受容するだけでは前に進みません。

 

 

もしかすると、その受容してると思っているつもりが

ただの慰めになってるだけかもしれません。

 

 

 

自分を信じるということは

 

 

自分を信じるということを決める

ということです。

 

 

 

 

自分をひたすらに満たしていくことで

満たされる自己受容ももちろんあるので

そうやっていくのも一つでしょう。

 

 

 

それでうまくいくならそれで良いのです。

 

 

そうでないのなら

ただの慰めになっていないか自分を感じてみることです。

 

 

 

自分を本当に認めているなら

自分の心に気付いているなら

 

 

そこに行くことを決める。

 

 

それが本当に望んでいるのなら

それは決意なのです。

 

 

 

++++ブログ抜粋

 このテーマは恋愛ネタですけどね。++++

 

”気のない男はさっさとスルーするに限る”

 

 

 

 

 

執着と粘り強さの違いって何だと思いますか?

 

 

 

執着は、

・自己不信に起点があります。

自分に足りないものを満たそうとすることが動機になっています。

だからこの人に振り向いてもらうまでは、

人からの称賛や承認が手に入るまでは、

自分は満たされないという焦りやいら立ちがついて回ります。

・それが手に入っていない自分を責めるし、責めているからいつも気分が悪い

・気分が悪いから、周波数も落ちても、ますますうまくいかなくなる。

 

じゃあ粘り強さはどうなのか?

粘り強さの場合は

・自己信頼が起点にあります。

自分にはそれだけの力があるはずだ。これが私の魂の歓びだという確信があり、そこから行動している。

人が認めてくれるかどうかや相手の反応に、あまりとらわれないし、少々のことがあってもすぐ諦めたりしない。なぜなら、

・そのことをやっていること自体で満たされているから。

・結果がどうであれ、基本的に満たされているし、自分は必ずうまくいくという確信もある。

・満たされているから、周波数も上がるし、周波数が上がるから、宇宙からのラッキーもミラクルも比較的すぐに入る。

・うまくいかないことがあったとしても、そこから素直に学び、やり方が違うのだと気づいたら、さっさと方向転換して、前進していくから展開も早い。

 


 

今日も決意だ ボン・ヴォヤージュ!船